どんな夫婦にも、やがて離別の日はやってくるもの。球界屈指の愛妻家だったこの人も、その現実に直面した一人だ。妻の一周忌を目の前に、いま何を思い、どう生きているのか。ありのままを語る。
妻・沙知代が虚血性心不全で倒れ、85歳でこの世を去ってから、早いものでもうすぐ1年になる。
だだっ広い家で独り過ごしていると、ふとした瞬間に、あの日のことを思い出す。
忘れもしない昨年の12月8日、寒い日だった。
「大変です。奥様の様子が……」
昼過ぎにリビングでテレビを見ていたら、お手伝いさんが飛んできた。慌ててダイニングに行くと、食事中の彼女が、座ったまま頭をテーブルにつけている。
「どうした?」と聞いて背中をさすってやると、一言、「大丈夫よ」と言ったきり動かない。彼女はどんなときも前向きで弱音を一切吐かない人だったけれど、まさかあれが最期の言葉になるとは思わなかった。
慌てて119番通報した。救急車が到着して、担架に乗せられたときにはもう息がなかった。
救急隊の人が言う。
「病院に搬送しても、もう手の施しようがありません」
頭ではわかっている。しかし、どうにも気がおさまらない。
「とにかく、病院に連れて行ってくれないか」
頭を下げて、無理にお願いした。
病院に向かう車中、横たわる彼女に「サッチー、サッチー」と何度も何度も声を掛けた。
だが、ついに彼女が言葉を返してくれることはなかった――。
こんな別れがあっていいのか。そう思った。あんなに強かった女が、あまりにもあっけない。人間の最期とは、かくも唐突に訪れるものなのか。
むろん、齢80を超えた夫婦の二人暮らし、ここ数年は、おのずと死を意識するようになっていた。
時折、思い出したように「俺より先に逝くなよ。俺をちゃんと送ってからにせえよ」と言う私に、彼女は決まって、こう応えた。
「そんなの、わからないわよ!」
私は8年前に、解離性大動脈瘤で生死の境をさまよっている。だから、絶対に自分のほうが先に逝くと信じて疑わなかった。沙知代が俺を看取ってくれるものだと。よく考えたら、そんな保証はどこにもないはずなのに、男とは単純なものだ。
それだけに、思わぬタイミングで妻に先立たれて心に空いた穴は、あまりに大きい。
あの日から、82歳の何もできない男の、独りの日々が始まった。