とある貴族の館。
その寝室にある大きなベッドの上に、今にも泣きそうな顔をした女の子が座り込んでいる。
「私、これからあの貴族に……」
この子は王国のとある村で暮らしていた子供で、両親が幼い頃に他界してしまったため妹と二人で支えあって暮らしていた。
しかし、見た目が大人びているわけでも無く、まだ成人にも遠い年齢だというのに悪い貴族に目をつけられた。そして妹と引き離され、この館に誘拐も同然の扱いで妾として無理やり連れて来られてしまったのだ。
自分がこれからどんな目に合うか、歳の割に賢い少女は少しだけ分かる。隙があれば逃げ出したいが、逃げたら貴族が妹に何ををしてくるか分からないため行動に移す事も出来ない。
平民が貴族に逆らう方法などないのだ……
少女が悩んでいるうちに寝室の扉が開き、太ったお腹を揺らした人物がバスローブを纏って入ってきた。
「ぐっふっふ…… またせたね。これからたぁっぷり可愛がってあげるからね」
全身を舐め回すような不快な視線を向けながら、少女の座り込んだベッドに近づいてくる男。その目には少女に対する優しさなどカケラも無い。
「あ、ああ…… 嫌、こ、こないで……」
「ふん、平民は所詮貴族の玩具なんだ。私が飽きるまでは遊ばせてもらうよ……」
「誰か、誰か助けて……」
最後の抵抗として後ろに下がっていくが、そんな少女をあざ笑うかの様に目の前の男は口を開く。
「そうそう、君の妹さんの事だけど……」
「っ!?」
不意に妹のことを言われ、動きが止まってしまう。
「姉さんを返せとうるさかったから殺したよ。私に逆らうなんて馬鹿な奴だ。今頃死体は燃やされて風に舞ってるところかな。ああ、すまなかったね。遺灰を残してあげれば良かったね……」
「あ、ああ、そんな…… どうして……」
本当はこの男は何もしていない、少女の妹なんぞ気にも留めていなかった。全てはこの少女をいたぶるための嘘だ。
だが、少女はそれを真に受けてしまい、絶望の浮かぶ表情で静かに涙を流す。
「あっはっはっは!! 理由なんてあるわけないだろ。強いて言うなら貴族に逆らった者の見せしめと、君の絶望に歪む表情が見たかったんだ…… 今の君は実にそそられる表情をしているよ!!」
(どうしてなの。私たちは何も悪い事はしてないのに…… 私を攫うだけでなくあの子にまで。――神様、私の魂を捧げます。どうかこの男に天罰を……)
少女は怯えて震える体で祈る様に両手をきつく組んでいるが、そんな姿も男からすればこれからの事を楽しませてくれる材料でしかない。
「ぐふふっ…… さぁ精々楽しませてもらう――」
男は着ていたバスローブをはだけさせ、興奮で息を荒げながらベッドに上がる。
そして恐怖を煽る様にゆっくりと近づき、そのまま少女を押し倒そうと手を伸ばし――
「――このクズがぁっ!!」
「ぐぼぉへぇっ!!」
――ぶん殴られた。
「……」
「……」
――ああ、来てくれた。
この醜い男に天罰を下すために、死の神様が来てくれたのだ。
豪華な闇色のローブに多数の装飾品を付け、肉も皮も無い真っ白な骸骨の姿…… お腹の辺りに怪しく光る赤い玉が収まる様に浮いており、まさしく神と言えるだけの神々しさが感じられる。固まっている様にも見えるが、ゆったりとした動作の一つ一つが神秘的だ。
(一体何がどうなってるんだ!?――)
しかし、当人はただ困惑しており、今までの事を必死に思い返す……
◆
ナザリック地下大墳墓の円卓の間、41席あるが座っているのはモモンガただ一人だけだ。
ユグドラシルの最終日に集まりませんかと、かつての仲間にメールを送ったが今日来てくれたのは数人。
「またどこかでお会いしましょう、か……」
サービス終了時刻まで共に残ってくれる者は誰もいない。先程来てくれた一人も終了時刻を待たずにログアウトしてしまった。
みんなにも色んな事情がある事は分かっている。分かっていても込み上げてくる感情は止められない。抑え込んでいたモノは一人になった途端に溢れ出し、溜まった感情を吐き出すように円卓に拳を振り下ろす。
「ふざけるなっ!! ここはみんなで作り上げたナザリック地下大墳墓だろ!! あんなに楽しかったのにどうしてそんな簡単に捨てられるんだっ!!」
振り下ろされた拳は円卓に当たり、鈍い音と0ダメージの表記だけが残される。当然円卓に傷が入るわけもない。
『0』というこの表示も、破壊不能オブジェクトである円卓に何も残らないのも当たり前なのだ。
しかし、何も残らないという事実が今はどうしても悲しくて、罵声と共に拳を何度も叩きつける。
――5回、10回と拳を叩きつけていたら、急に運営からのメッセージが届いた。
「――くそっ!! ってあれ? こんなタイミングで運営からのお知らせ…… 『嫉妬する者たちの代行者』ってなんじゃこりゃ?! アバターの筋肉量が増加って、骨だから見た目変わらねーよ!!」
運営から送られてきたのは称号とそれと同名のアイテム。装備品ではなく一度使うと無くなる消費型のモノ。
一応アバターの筋肉量が増加するだけでなく、魔法攻撃力を物理攻撃力に変換するという異常な効果と複数のデメリットが存在するようだった。使うと二度とステータスをリセット出来ないあたり、流石クソ運営と言えるだろう。
「ははは…… クソ運営め、魔法職にこんなの渡してどうしろって言うんだっ!! それにこんな条件普通は満たせるわけないだろ…… くそっ!! ボッチにはお似合いのアイテムだよ……」
習得条件は『嫉妬する者たちの仮面』を12個所持しながら、破壊不能オブジェクトを一定時間殴る事。
ヤケになったモモンガは効果の説明を最後までちゃんと読まずに使用した。
最後は玉座に座って終わりを迎えようと思っていたため、そろそろ玉座の間に移動しようとするが気づけば残り時間が30秒を切っていた。
「あぁ、こんな終わりだなんて…… はははっ、俺は何て馬鹿なんだ。有終の美を飾ることも出来ないなんてな。運営には最後まで馬鹿にされて、みんなもこんな俺を笑ってるのか? ――ふっ、今の俺には笑ってくれる人すらいないんだ。いてもいなくても変わらないゴミ屑みたいな存在か……」
(誰もいない…… 思い出も全て消える…… たった一人でもいいから俺と一緒に居てくれる人が欲しかったなぁ。ああ、本当に俺ってやつは――)
ユグドラシル最後の瞬間――運営と自らへの罵倒、目を背けていた現実への思いを全て込めて誰も座っていない寂しい円卓に向かって拳を振り下ろす。
「――このクズがぁ!!」
「ぐぼぉへぇっ!!」
――グシャリ……
――モモンガの振り下ろした拳は円卓ではなく、だらしない体型をしたバスローブ姿の男の頭に直撃していた。
拳は頭蓋骨を陥没させるどころかほとんど上半身を引き裂いており、腰のあたりまで抉れている。正面から見れば傷一つ無いだろうが、後ろから見れば抉れた背中から折れた骨が飛び出ているのがハッキリと見える。
「……」
「……」
(一体何がどうなってるんだ!? さっきまで俺はナザリックにいたはずなのに!? ――それに何だこの感覚…… 手についた血が気持ち悪い…… うっ、この匂い、いったいどうして…… これは俺がやっちゃったのか!?)
いきなりの事に思考が全く纏まらない。
モモンガの右手からは目の前の男の血がポタポタと垂れており、やってしまった事実だけを物語る。
モモンガはあまりの事態に状況が一切掴めていないが、どう見ても背後から人を撲殺した構図そのままである。
(これはグロすぎる、R15どころじゃないぞ。いかん、吐いてしまいそうだ……)
血で汚れていない方の手で口を抑えようとして、自らの身体がモモンガとしてのアバターのままであると気づく。
「ああ、神様が来てくれたんですね……」
「えっ!? いや、私はモモンガというものです」
こんな状況にも関わらず社畜の条件反射で名乗ってしまうモモンガ。
今まで目に入っていたにも関わらず意識から抜け落ちていたが、ベッドの上には死んだ男だけでなく一人の子供が座っていた。前面に血が飛び散らなかったのが幸いして、愛嬌のある顔立ちも綺麗な金髪も無事である。
「……助けてくれてありがとうございます。――これで、妹の仇も取れました。」
「いや、いきなりそんなことを言われても……」
(何言ってんのこの子!? いきなりの事で錯乱しているのか。この状況どう見ても俺が悪者だよね!? いや、助けてくれてってことは、この男が誘拐犯だった可能性も…… 妹の仇って事はコイツに殺されたのか?)
モモンガこと鈴木悟は彼女いない歴=年齢である。自身の子供は勿論、兄弟もいなかったため子供への接し方など分からない。あれやこれやと考えているうちに、何故か
「〈
(血を落とせて良かった…… って使えた!? コンソール無しで魔法が使えるし、
体に着いた血を落とせた事で多少は落ち着いてきた。目の前の死体を無視するために、無理やり別のことに思考に集中させる。
「モモンガ様、私には家族はもう誰も残ってません。たった一人の妹もこの男に奪われてしまいましたっ…… だから、私も連れていってください」
「……えっ?」
目の前で人を撲殺した骨に自分を連れていってとお願いする子供。きっと家族のいる死後の世界に自分も連れていって欲しいと望んでいるのだろう。
(ここはきっと俺の知らない世界だ。子供なんかに構っている余裕なんてない。放っておいてここから逃げ出すのが正解だろうな…… でも……)
「連れて行けか…… 分かった、私と一緒に来てくれるんだな。丁度いい、この世界を旅するのに一人は寂しいと思っていたところだし」
「えっ、違いま――」
「さてっ!! 君の名前を教えてくれるかな?」
モモンガは彼女を放っておくことが出来なかった。
小さい時に両親を亡くしずっと一人だったモモンガは、目の前の少女と自分の過去を重ねて見てしまったのだ。
それに、ただひたすらに一人でいるというのが寂しくて辛かった。誰でもいいから一緒に居たかった。
「――ツアレ、ツアレニーニャ・ベイロンです……」
「じゃあ行こうかツアレ。――君の家族もきっとまだ来るなと言ってるはずだしな……」
モモンガとツアレニーニャ・ベイロン、全てを失ったと思い込んだもの同士の出会いと始まりだった。
「ここから逃げるなら現場の偽装くらいはしとかないとな。とりあえずこの男はアンデッドに襲われた事にして、ツアレは死体も残らず食べられたと思わせよう。死んだ人間を探す奴はいないはずだし。
モモンガはこの貴族の死体とアンデッドがいれば、この現場でアンデッドに襲われたと思わせる事が出来ると考えたが問題が起きた。
「ヴォォォォ!!」
「……あれ?」
「死体、無くなっちゃいましたね……」
ユグドラシルとこの世界の差を実感するモモンガだった。