―リ・エスティーゼ王国王城、ロ・レンテ城内ヴァランシア宮殿の一室―
「国を明け渡すことなど出来るはずがない」
そう声を張り上げたのは温厚で知られるランポッサ3世、この国の国王だ。
自分の懐刀にして、最も信頼すべき側近であるガゼフ・ストロノーフからの報告は耳を疑うものだった。
王国貴族がガゼフを暗殺するため、法国に利用されたこと。法国が王国そのものを害悪と見做していること。
それ以上の衝撃が、この国の本来の支配者を名乗るものが現れたことだ。
「戦士長よ。その、アインズ・ウール・ゴウンには勝てぬのか?」
「勝てません。私が百万人いようが、確実に負けます。人間ごときが勝てる相手では、いえ、戦いにすらならないでしょう」
何の迷いもなく、王の目を見つめたまま、一瞬の間もおかず、戦士長ガゼフ・ストロノーフは答える。
「カルネ村を救ったことを考えれば、冷酷非道なモンスターとは考えられません。ですが、敵対する者には容赦はしない、そういう御仁であると考えます。それに、彼の御仁が作ったというアンデッドですら、私でも勝てるかどうか分かりません。さらに、彼の従者は私など比べ物にならないほどの戦士です」
淡々と、件のアンデッドの印象を、戦力を語る。
「それ程か、それでも、矛を交えずして敗北を受け入れるなど出来るはずがない」
王はまだ信じ切れていなかった。
「ならば、蒼の薔薇や朱の雫はどうだ?」
王国が誇る最高位の冒険者の名を上げる。モンスター退治の専門家である彼らならどうにか出来るのでは、という期待を込めて。
「無駄です。確実に殺されるだけです。いえ、戦いにすらならないでしょう。彼らですら自分が死んだことにすら気付かない間に殺されます。それ程の差があるのです」
ガゼフが自分の意見をこれ程強硬に主張するのは初めてのことだ。
ガゼフの話を聞く限りでは、王国の貴族は大半が粛正されることになるだろう。
無能な為政者を退場させる、とはつまりそういうことだろう。
自分は仕方がない。国を纏めきれなかったのは事実だ。
だが、子供たちは別だ。自分の無能のせいで粛正されるなど、親としては耐えられない。決して受け入れることなど出来ない。
「先ずは、情報だ。その魔法詠唱者に関する情報を集めるのだ」
これは只の逃げかもしれない。決断を先延ばしにしているだけかもしれない。それでも、足掻くしかない。絶望の現実が目の前に訪れるまでは。
ヴァランシア宮殿の一室、第三王女ラナーの部屋には、アダマンタイト級冒険者、蒼の薔薇が集められていた。
「それで、一体どうしたの?王国の危機って」
蒼の薔薇リーダー、ラキュースの格好はいつものドレス姿ではない。
説明を聞いたら、すぐにエ・ランテルに向かってほしいというラナーの伝言で出立準備は万全にしてきた。
「法国の特殊部隊、陽光聖典が全滅しました。アインズ・ウール・ゴウンと名乗るアンデッドによるものです」
「は?陽光聖典が全滅?陽光聖典ってあいつらだよな?前に俺らと戦った亜人絶対殺すマン」
「はい、ストロノーフ戦士長を暗殺するために近隣の村々を焼き討ちしていたそうです」
「やり方が糞外道じゃねえか、人類の守護者が聞いてあきれるぜ」
戦士ガガーランが吐き捨てる。
「はい。偶々、それが神の目に留まってしまったようです。彼らは神の怒りに触れたそうです」
「神?ラナー何を言ってるの?」
「捕らえられた法国の人間がそう言っていたそうです。自分たちは神の怒りに触れたのだと」
「法国の神で、アンデッドか…スルシャーナと言ったか?」
仮面の魔法詠唱者イビルアイが続ける。
「だが、スルシャーナは八欲王に弑されたと聞いたぞ?本当にいたとしても今は死んでいるのは間違いない」
かつて共に戦った友の言葉によれば六大神も八欲王も、もう誰もいないはずだ。
「先日、戦士長がお父様の元に報告に上がりました。その数日後、法国と評議国連名で書状が届きました」
「連名だと?馬鹿な、ありえない!」
法国と評議国は犬猿の仲だ。イビルアイは誰よりもそれを良く知っている。
「落ち着いてイビルアイ。それでラナー、内容は?そのアンデッドに関することなんでしょ?」
「ええ、内容は想像できると思うけど、“王国が不法に占有している土地はアインズ・ウール・ゴウン魔導国の正統な領地であり、早急に正しい所有者の元に返還せよ”とのことよ」
「初耳だぞ、魔導国って何だよ?」
「その名の通り、アインズ・ウール・ゴウン魔導王が治める国らしいわ」
「そんなもの相手にする必要があるのかしら?質の悪い悪戯だと思った方がまだ現実味があるわよ?」
「悪戯で聖戦を宣言するほど、法国と評議国にユーモアがあるのかしら?」
「聖戦?嘘だろ?帝国との戦争とか比べ物にならねえぞ!王国が滅亡するまで、いや、この国の人間を根絶やしにするつもりか!正気かよ?」
「おいちょっと待て、評議国も聖戦って言ってるのか?」
「ええ、両国共同で、聖戦の準備があるそうです。だから、国家存亡の危機なの」
「嘘だ、評議国が、ツアーが…そんな馬鹿な…。リグリットに連絡を取らないと!」
「そうそう、法国は正式にアインズ・ウール・ゴウン魔導王を神と認め、魔導国に恭順するそうよ。評議国は同盟国になるらしいわ」
「…私たちにその神を殺せっていう依頼かしら?」
「無理だと思うわ。戦士長の話だと、彼が作ったというアンデッドでさえ戦士長より強いらしいわ。それに魔導王の従者の戦士の力量は戦士長より遥かに上らしいわよ?」
「戦士長より遥かに上ってどんな戦士だよ?」
「戦士長の話では“今の自分と棒切れを振り回してる子供より差がある”です」
「そんなのに勝てる奴なんざいねえよ」
「だから王国が滅ぼされないよう、魔導王の調査をしてきて欲しいの。貴族が余計なことをすればこの国は亡びるわ。運が良ければね」
「悪いわよ」
「運が悪ければ国民全員が虐殺された上、アンデッドにされるでしょうね」
「げ」「それは勘弁」
「それと、魔導王は死者の蘇生も出来るらしいわよ。カルネ村で法国に殺された村人全員、多分50人位を同時に生き返らせたらしいから」
蒼の薔薇全員が言葉を失った。蘇生される方に十分な強さがなければ復活魔法には耐えられない。ただの村人なら確実に灰になるはずだ。
「本当なの?本当に只の村人を蘇生したの?」
「本当らしいわよ。それで、カルネ村では魔導王を神と崇めてるらしいわよ?」
「本当ならマジで神じゃねえかよ」
「一般人を生き返らせる程の魔法詠唱者、貴族がどうでるか分かるでしょ?」
「ええ、すぐに出発するわ」
挨拶もそこそこに、慌ただしく去っていく蒼の薔薇。それを見ながら一人ほくそ笑むのは黄金の姫。
「頑張ってね、皆。私と、ついでに王国の民の為に」
―カルネ村に最も近い大都市、エ・ランテル―
蒼の薔薇が到着した時には既に日が落ちていた。
とりあえずは宿をとり、明日にはカルネ村に向かおうと準備をしていた時、叫び声が聞こえてきた。
それはあっという間に町中に広がっていく。
「何?何の騒ぎ?」
アダマンタイト級冒険者である彼女たちはすぐに戦闘態勢に切り替える。
「アンデッドの大群だ!あんたたち冒険者か?頼む、手を貸してくれ!」
「おいおい、例の魔法詠唱者のせいか?やっぱやべえ奴なんじゃねえか?」
「お喋りしてる場合か!行くぞ!」
イビルアイが先頭に立って駆けていく。宿の外は地獄絵図だった。そこらじゅうにアンデッドが溢れている。
「何これ?こんな量のアンデッドが発生することなんてあるの?」
「どう見ても不自然」「でも魔法でこんなこと出来る奴なんていない」
「ああ、ここまで強力な召喚魔法なんて聞いたことがない、リグリットでも無理だ」
「兎に角、発生源を潰さないと」
「じゃあ墓場だな。アンデッドの発生源なんて墓場に決まってんだろ。この街にはだだっ広い墓地があるんだろ?」
「適当すぎるだろ。まあ。情報も何もないからな、怪しいところを当たってみるしかないか」
イビルアイも呆れながらも賛同する。
「あれ~?あんた達もしかして、蒼の薔薇?」
腰から複数のスティレットを下げたボブカットの女が声をかけてくる。
冒険者らしき連中を刺しているところを見ると、この事態の犯人の一人に間違いないだろう。
後ろには禿げた魔法詠唱者らしき連中がいる。どうやらこいつらがこの事態を引き起こしたようだ。
何にせよ、犯人が自分から出てきてくれたのだ。こいつらを倒せば終わりだ。
「こっちは急ぎの仕事があるってのによ。いらねえことしやがって、高くつくぜ」
言うや否や、ガガーランがウォーピックを片手に襲い掛かる。
「キャー、こわーい」
ボブカットの女、クレマンティーヌは軽々と回避しながら挑発してくる。
ガガーランの直感は、この女は自分より強いと言っている。
しかし、蒼の薔薇よりは弱い。自分は一人ではないのだ。
「イビルアイ、ラキュース、補助魔法をくれ!こいつは俺より強え!」
「え?ズルくない?」
「正々堂々と戦いたけりゃ騎士にでもなれや!こっちは冒険者なんだよ!オラァ!」
ガガーランのウォーピックをスティレットで受け止める。同時に双子の忍者から手裏剣が飛んでくる。
回避しきれず一つが左腕に刺さる。深い傷ではないがこのままダメージを受け続ければ確実に負ける。
「ちょ、カジッちゃん、援護してよ!」
「ふん、だらしない」
呆れつつも禿げた魔法詠唱者カジットがクレマンティーヌに補助魔法をかける。
彼女に倒れられたら自分たちも同じ目に会うのだから。
クレマンティーヌは強かった。しかし、英雄の領域に達してるとはいっても彼女一人ではどうしようもない。
少しずつ手傷が増え、動きが鈍くなってくる。
「守ってばっかじゃ詰まんなくない?ガンガン来なよ。その体は見掛け倒しなのかな?」
「悪りいな、俺も冒険者じゃなけりゃあ付き合ってやったんだがな。まあ、運がなかったって思ってくれや」
ガガーランは歴戦の戦士だった。挑発に乗るほど愚かではない。自分より強いと確信した時点で、チームとして勝利する方に方針転換していた。
「くっ、死の宝珠よ!力を!」
蒼の薔薇が居合わせるなど最悪の巡り合わせだが、まだ終わったわけではない。
これまでに溜まった死の力は相当なものだ。これを開放し、新たなアンデッドを召喚すれば可能性はある。
ゾクリと背筋に悪寒が走った。一目見てわかるほど強力なアンデッドだ。馬に乗った蒼い騎士。
これなら勝てる。いや、この都市の人間を皆殺しにすることも容易いだろう。
「ふ、ふははは!良いぞ!奴らを殺せ!」
今召喚した新たなアンデッドに命令を下す。その瞬間、胸に熱さを感じたような気がした。
カジットは自分に何が起きたのかを知る間もなく息絶えた。
「カジッちゃん何やってんの?自分で制御できないアンデッドなんか呼ぶなよ!馬鹿!」
あれはヤバい。やりあったら確実に死ぬ。
「ちょ、蒼の薔薇、一時休戦しよう!共闘しよう。あれはヤバい!」
「ちっ、もうちょいだったってのによ。本当についてねえぜ」
「私たちでは時間稼ぎ位しか出来んぞ!お前ら、他の連中を撤退させろ!」
「何なの、あのアンデッド?あんな強力なアンデッド聞いたこともないわよ?」
ゆらり、とアンデッドの姿が霞んだ。蒼い騎士<ペイルライダー>は幽体と実体を自在に切り替えることが出来る、レベル以上に非常に厄介なアンデッドだ。
「え?不可視化?」
それが反応すら出来ずに心臓を貫かれたクレマンティーヌの最期の言葉になった。
「糞が!ラキュース!お前は逃げろ!俺が時間を稼ぐ」
蘇生魔法が使えるラキュースが死ねばそこで終わりだ。彼女だけでも逃がせればどうにかなる。
しかし、蒼褪めた騎士<ペイルライダー>とのレベル差は絶望的だった。
ペイルライダーが繰り出したのはただの突きだが、避けることも受けることも出来ず、ガガーランは槍に貫かれた。
ついでとばかりに双子の忍者を纏めて薙ぎ払う。3人はピクリとも動かない。
最高位の冒険者である自分たちがこんなに簡単に殺されるのか。
「イビルアイ、貴方だけでも転移の魔法で逃げて。ラナーに伝えて」
もはや逃げることも叶うまい。せめて情報だけでも送らなければ。ラキュースがそう覚悟を決めたとき、天から声が聞こえてきた。
「ほう、ペイルライダーとはな。珍しいものがいるものだ」
味方か?という期待を込めて見上げれば、その期待は儚く砕け散った。浮かんでいたのは強大な力を持つアンデッドだった。
「新手?(もう駄目。いや、このアンデッドはもしかして?)」
ラキュースは最後の希望を込めて尋ねる。
「もしや貴方が魔導王アインズ・ウール・ゴウン殿ですか?」
「おや?私を知っているのか?」
「はい、戦士長から話を伺っています。どうかお力をお貸しください」
サラッと嘘を吐いたが、背に腹は代えられない。藁にも縋る思いで頼み込む。
「己の国の民を守るのは王たるものの務め。任せておくが良い」
―都市長の邸宅―
冒険者組合長、プルトン・アインザックは組合長に就任以後、最大の危機に直面していた。
市長を守りつつ、魔術師組合組合長のテオ・ラケシルと共に冒険者たちの指揮を執っていた。
弱いアンデッドばかりだが、兎に角数が多い。じわじわと押され始めていた。
「ラケシル、なんかすごい魔法とかないのか?アンデッドを纏めて昇天させるような奴」
「あるわけないだろプルトン、馬鹿なこと言ってないで手を動かせ」
「ありんすえ」
「え?」「誰?」
「私はアインズ・ウール・ゴウン魔導王陛下が妃の一人、シャルティア・ブラッドフォールン」
いつの間にか真っ赤な鎧に身を包んだ戦乙女が自分たちの前にいた。
「アインズ・ウール・ゴウン魔導王?まさか、ストロノーフ戦士長を救ったという魔法詠唱者?」
「そうでありんす。慈悲深きアインズ様のご命令により、貴方たちを助けてあげんす」
「いや、女の子一人程度ではあの大群は」
パンッと乾いた音が響き渡ると周囲のアンデッドが消滅した。
少女がしたのは手を叩いただけだ。
「嘘だろ?低級なアンデッドだって、あれだけの数を」
退散させたのではない、消滅させたのだ。英雄級の冒険者にだってそんなことは出来はしない。
では、あの少女は何なのか?魔導王は法国の神だという。その妻だという彼女もまた神の一柱なのだろうか。
「さあ、雑魚は片付けたでありんす。アインズ様が元凶を倒している頃でありんしょう。ついてきなんし」
その少女は当たり前のように広場に向けて歩いて行ってしまった。
慌てて追いかける。これだけの強者だ。機嫌を損ねるのも恐ろしい。
―墓地―
法国の神だという魔導王の力は想像を絶していた。
最初に唱えた魔法
その効果範囲も威力も、見たことがないレベルだ。
効果範囲の地面は一部がガラス状になっている。信じられない高温を発した証拠だ。
幽体化したペイルライダーには効果がなかったようだが、次の魔法
「これで終わりか。もう少し骨のあるやつがいた方がやりがいがあるんだがな」
物足りなさそうな魔導王に対し、震える声で礼を言う。
「あ、ありがとうございました」
「ああ、気にするな。さて、君の仲間を含め、死者たちを広場に集めてくれないか?」
広場にはこの騒動で死んだ者たちの亡骸が集められていた。
「貴方様が魔導王陛下ですな。エ・ランテルを救っていただき、都市長としてお礼申し上げます」
都市長パナソレイがいつもの冴えない演技を止め、堂々とした態度で礼を言う。
「救った、というにはちと遅すぎたな。この都市はこのままではもうダメだな。」
魔導王の言う通りだ。既にこの都市は手遅れだろう。
建物の大半はアンデッドの群れによりボロボロだ。倒壊した建物も少なくない。それ以上に、民の半数どころではない数が殺されたことが大きい。
エ・ランテルは既に死都と呼んでも差し支えない程だ。ここから立て直すよりは新しい都市を建造した方が遥かにましだろう。
「アインズ様?どうされたでありんすか?」
何かを思案しているような魔導王に明るく声をかける戦乙女。
「ふむ。この都市から再び魔導国を立ち上げるとしよう」
「え?既に廃墟でありんすよ?」
「ふふ、何もないところから創めてこそ新たな国というもの。都市長、この都市の生き残りが別の都市に移住したとして、どの程度が元の生活に戻れる?」
「殆どおりますまい。王国でこれだけ多くの難民を養える都市などありません」
「そうだろうな。まあ上手いこと更地になったことだ。一から都市計画を行えると考えると悪いことではない」
都市を作るという一大事業をこともなげに言ってのける魔導王は広場に集められた死者に向かう。
「不幸にも命を落とした者たちよ、お前たちには、この魔導国最初の民という幸運を授けよう」
アンデッドが放つ光にしては神聖すぎるそれは、後に神話として語られることになる。
何万という人間を生き返らせるという神の奇跡を見た者たちの中に魔導国の支配を拒むものはいなかった。
この日、全ての生命の救い主にして至高の神、魔導王アインズ・ウール・ゴウンの名が世界の歴史に刻まれることになる。
ペイルライダー「呼んだ?」
カジット&クレマンティーヌ「帰れ」