僕が朝比奈御大と「出会った」のはいつだろう?
憶えているようで憶えていない。

恐らく、中学時代に指揮者のカッコよさに憧れ、カラヤンだバーンスタインだと言っている頃には、既に知っていた。
しかしあの棒振りだ。カラヤンだバーンスタインだとかに比べて、あまりに格好が付かない。
なんじゃこりゃ?と思って、ほとんど無視していた。

それを一変させたのが、ご存知宇野功芳センセの『名演奏のクラシック』である。
ここで朝比奈隆をえらく絶賛しているものだから、そんなもんかなぁ、と、真面目に聴いてみることにした。
確かラジオ、FMで録った、年末の「第九」だったように思う。
だから高3になる前の高2の冬だ。

テンポが思いっきり遅い。
カラヤンだバーンスタインだと聴いていた身としては、それが新鮮に思えた。
こういう解釈もあるのかぁ。
「象の行進」というたとえが浮かんだ。のっしのっしと。
新しく思えた。

でもやっぱりこれでは解らない。実演を聴くか。
特にブルックナーがいいらしい。当時僕はブルックナーをまったく理解できていなかった。
ウワーッと鳴るだけで、なんか流れがつかめない。起承転結が解らない。

高3の夏、フェスティバルホールで「ブル8」を初めて聴いた。
初朝比奈、初大フィル、初ブルックナーだ。

これが実に気持ち良かった。
まだ曲の構造は把握できなかったが、とにかく響きが気持ちいい。
「朝比奈の音楽はヒーリングだ」というのをここで体感した。
特に最前列近くに座っていたので、奥のブラスの音がまっすぐに来ず、天井から降ってくるのだ。
おお、神の調べだ、なんて思ってた。

しかし御大の真の力を知ったのは、当時最新のベートーヴェン全集を買ってからだろう。
これまた全曲遅い!しかしカラヤンはもとより、フルトヴェングラーにもないこの堂々とした威容、どういうことだろう?
「英雄」は殊の外気に入って、受験前日の晩、気合を入れるために聴いた。

そして大学生になる。
ここでまたしても「ブル8」を聴く。
伝説にもなった94年、シンフォニーホールでの演奏だ。

僕はここで、ようやく「開眼」することになる。
圧倒的だった。
ブルックナーはウワーッと鳴るだけ、というイメージが払拭された。
アダージョが実にいい。万感の想いが込められ、メランコリックになったと思ったら哲学的にもなる。
そして峻厳な金管群が世界を戒める。

ブルックナーは宇野センセの「大宇宙の鳴動」とか、そんなイメージが付き過ぎだ。
やはり、ロマンティックなのだ。
感情、感傷、感嘆が、幾度も押し寄せる。

そこからは夢中になった。
通いに通った。
大フィルは当時、安いチケットなら3500円くらいで買えたはずだ。それを貪るように買った。
年11回(のはず)通った時もあった。
年末の二回回しの「第九」も、先輩と二回共行ったこともあった。
因みに50周年記念の「アルプス交響曲」も二回回しで二回聴いている。これはちょっと納得いかなかったなぁ。


そんな中、95年か、大フィル会館でマーラー「復活」のリハーサルを聴き、御大とご対面した。
緊張で死ぬかと思った。

握手していただいた手はとても大きかった。


良く言われたことだが、ファンは御大に「理想の親父像、祖父像」を求めたという。
ご子息の千足氏が「そんないいもんじゃない!」と後年否定したが。


僕もなんだかんだ言って、「理想の祖父像」を見ようとしていたのかも知れない。
それくらい、今も尊敬する、もっとも偉大な人だ。