いよいよ今まで避けて通ってきた、宮﨑勤のことについて調べ始めた。
いやぁ、これはしんどい。
まさに「深淵を覗く者が深淵に覗かれている」の心境だ。

しばらく平静を保てるのかどうか、心配だ。
彼は狂っていたのではない、ただ身勝手だっただけだ。
フジテレビの特番にもあった通り、彼は「ただの人間だった」。それが恐ろしいのだ。


僕らの世代のオタクはまさに「受難」の世代、宮﨑勤にいいようにやられてきた世代だ。
だからこそ身を潜めるように生きている人がほとんどだった。大学時代の先輩や同期にも多かった。
「自己否定」をアイデンティティにしていた。

僕はそれだけは嫌だった。抗ってたらこんななっちまった。


近年のオタクが世間体や「大人の事情」にやたらこだわるのは、宮﨑勤から連綿と続く「オタク=引きこもりニート=孤独=犯罪者」というイメージを払拭したいという、その反動なのだろう。
しまいには、宇野さんが日々怒っているように、スルースキルや煽り耐性やら、完全にお前の都合だろうというローカルルールを作って、ネットの狭いコミュニティの中で社会人気取りしている。
それはそれでやはり無様だが。

死ぬまでに、やはりこれだけはやっつけておかねばならないと思い始めている。
「オタク」とは、何だったの?ということだ。

それは限りなく公平・ニュートラルなものにしたい。
普段はポタクポタクと攻撃しまくっているが、それはオタク界隈に近づいてきた先天的キチガイのことであり、アニメを愛する常識人(アニフィル)はもちろんたくさんいる。
たくさんじゃないかも知れないが・・・。


そろそろ「オタク」の総括をしなければならない。