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2018-11-23

糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの今日のダーリン

・あるとき、ぼくの書いた文章を、永田さんが拾ってくれて
 『ぼくの好きなコロッケ』という本に収録してくれた。
 それを古賀史健さんが気に留めてくれて、ツイートした。

 『若い人たちには、どう見えるかわかりませんが、
 『みうらじゅんだって、進化してきた』んだよ。
 いまのみうらじゅんは、過去のみうらじゅんの
 進化したかたちなんだ。あ、おれだってそうさ。」

 どうして、古賀さんがこれをツイートしたのか、
 きっかけはわからないのですが、ぼく自身にとって、
 これはずいぶんタイムリーな文でした。
 ほんとうに、そういうことをつくづく感じているのです。
 先日は林真理子さんに会って対談しました。
 いまそれは、『週刊朝日』に掲載されているのですが、
 ここでもこころから思ってて言いたかったことは、
 林真理子は、みごとに林真理子を進化させてきたよね、
 ということで、そう言いたい気持ちがありました。

 若い人は、「若い人時代を抜け出た人」から見ると、
 強がっていて、ださくて、恥知らずで、未熟です。
 だけど、そんなことは、それぞれがじぶんで知ってます。
 ぜんぜん足りないもので全身を満たしながら、
 それでもなんとかしようとあがいて、じたばたして、
 ちょっとずつちがうものを身につけていきます。
 それは推敲というものなのですが、
 デジタルに「上書き」で消されていくものではなく、
 「修正された原稿」として残っていく過程でもあります。
 少しずつ、否定したり、改訂したりを積み重ねて、
 別人のようなじぶんになっていくのであります。

 みんながじぶんと同じだとは思っていませんが、
 ぼくが経験したり観察してきたかぎりでは、
 とんでもなく早熟な人のことは別にしても、
 だいたいの人は「まし程度の人」が進化して、
 「なんらかの人」になってきているのだと思います。 
 その進化の過程にあったものを、努力と言ってしまうのは
 ちょっと考えが浅すぎるように思えます。
 じゃ、進化する過程になくてはならないものは、なにか? 
 あえて言えば、「しつこさ」「ねばり」かなぁ…。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
そりゃぁ、ぼくの恥知らず、だささも半端じゃなかったよ。


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