サッカー日本代表監督をはじめ、主要ポストに卒業生を次々と送り出している関学大サッカー部が創設100周年を迎えた。その歩みは日本サッカーの発展と重なり、日本協会トップとして2002年の日韓ワールドカップ(W杯)誘致を成功させた故長沼健氏ら殿堂入りOBも4人を数える。12月1日の記念式典を前に、名門の足跡をたどった。(有島弘記)
1889(明治22)年に開学した関西学院は現在の兵庫県西宮市ではなく、今の王子動物園(神戸市灘区)が拠点だった。神戸港から外国の文化が入った時代で、サッカーも学生の身近にあった。
関学大の体育会同窓倶楽部の会報第5号には、次のような記載がある。
「平田が一ケのフットボールをどこからか持ってきて、文科の小田切平和・大崎治郎の3人で蹴り始めた。(中略)仲間が次第にふえてきて、商科館前の細長いグラウンドに集まって夕食後フットボールの乱蹴りに興じた」
サッカー部は1918(大正7)年に「蹴球部」として発足したが、起源はその3年前にあった。広島一中(現広島国泰寺高)出身の平田一三氏が「啓明寮」の仲間とボールを蹴り始め、もう一つの「成全寮」との対抗戦から部活動に成長していった。
◇日本サッカーの雄
29、30年にはOBを交えた「関学クラブ」が天皇杯全日本選手権を連覇。戦後の59年までにさらに5大会を制し、名門校の地位を築いた。
殿堂入りを果たした名選手、名指導者は4人を数える。
56年のメルボルン五輪主将の故鴘田(ときた)正憲氏は「戦後最高の右ウイング」と評されている。日本サッカー協会の会長を務めた長沼氏は代表監督としても歴史に名を刻み、68年のメキシコ五輪で日本初の銅メダル獲得に貢献。64年の東京五輪主将で、メキシコ五輪ではコーチとして長沼氏を支えた故平木隆三氏はJ1名古屋の初代監督に就いた。
日本初の「プロ監督」として知られる加茂周氏(79)も、OBの一人。日産自動車(現J1横浜M)を国内3冠に導き、98年W杯フランス大会に出場した日本代表を最終予選途中まで指揮した。
◇低迷、そして復権
関学大は69年の関西学生リーグ優勝を最後に低迷。スポーツ推薦廃止の影響で2部降格も味わった。98年、29年ぶりに同リーグ制覇を果たしたが、その次の優勝は加茂氏が母校を監督として率いた2009年だった。
以降は有望株の入部とともに復権し、15年にはOB会の河崎司郎会長(64)が「ドリームチーム」と呼ぶ世代が登場。J2山形の小林成豪(24)ら後のJリーガー7人を擁し、関西のタイトルを含む大学4冠の偉業を達成した。
09年には女子部を新たに設け、卒業生は総勢千人を超える。
「1世紀の歴史は先人のおかげ。今の隆盛に対し、感謝したい」と河崎会長。大阪市内での記念式典には日本協会の田嶋幸三会長(61)も出席を予定している。