『A LOW DOWN DIRTY SHAME』
(BVCR-6203)
 
FUSA and THE GRUB STREET BAND
『23A Benwell Road』
(BMCR-6012)

注6
大村憲司
:ギタリスト。72年「赤い鳥」に参加。80年、YMOのサポート・ギタリストを経て、井上陽水、高橋幸宏、矢野顕子、沢田研二、柳ジョージなどをサポート。98年11月18日肝臓疾患で永眠。享年49歳

注7
ゴードン・エドワーズ
:ニューヨークのセッシュン・ミュージシャンたちが結成したバンド、Stuffのリーダー。メンバーはゴードン他、エリック・ゲイル(Gt)、コーネル・デュプリー(Gt)、リチャード・ティー(Key)、スティーブ・ガッド(Dr)、クリス・パーカー(Dr)。リチャード・ティーの死をきっかけに、94年キーボードにジェイムス・アレン・スミスを迎え、「メイド・イン・アメリカ」を発表。このあたりから、ゴードン・エドワーズはスタッフ�と名乗り音楽活動を行っている。

注8
今 剛
:ギタリスト。PANTA&HALに参加しライブ中心に活動後、スタジオ・ミュージシャン達のバンド、PARACHUTEを結成。その後NOBU CAINE等のバンドに参加。最近は、井上陽水、今井美樹、宇多田ヒカル等のライブ・サポートもしている。

注9
ドナルド・フェイゲン
:ヴォーカル&キーボーディスト。ウォルター・ベッカー(Bass,Vo)を中心としたスティーリー・ダンを結成。緻密なレコーディングと妥協なきサウンドへの固執は有名。
 
PAPA GORDON and BABY FUSA
『rough mixed ~Live at SHINJUKU LIQUID Room~』
(BMCR-7009)
 
the Grub Street Band
『gravel road』
(BMCR-7010)
 
近藤房之助 & The Deepest Pocket
『in a deeper pocket』
(BMCR-7018)
――その94年5月に5枚目で、ようやく初のスタジオ録音のアルバム『A LOW DOWN DIRTY SHAME』。
FUSA:そう。あれはね、時間かければいいのにさ、スタジオだから。でも、一発録りなんだよ(笑)。なんだか俺、時間かけても一緒なんだよね(笑)。
――そして、念願のパーマネント・バンドthe Grub Street Bandを結成。9月に『23A Benwell Road』がリリースされました。
FUSA:うん。ひと月、音楽漬けになりたくてロンドンでやったんだよね。自分ひとりでブッキングもやったんだけど、楽しい作業だったね。朝一人ずつさ「じゃあピーター、明日一曲持ってこいよ」とか言って。翌日、「どんな感じ?」とか聞いてたら、奴はギター弾けないから、「パーパーパー」って歌ってんだよ(笑)。で、キー低いもんだから曲調が全然わからないんだよ。それをみんなでコードつけてさ。もう原始共産制でさ(笑)。で、次の日は曲ができてしまう。でもね、そういうことやりたかったんだよね。日本じゃ大変でしょ。プレゼンテーションかけて、デモ・テープ作ってって……。ロンドンでは朝からスタジオ集まって、飯食って、コーヒー飲んで、「さぁ、録ろう録ろう」ってトロトロって始まって、8時頃終わってね。土、日は休んでっていう感じで、すごく面白かった。
――ギターの大村憲司(注6)さんは、このthe Grub Street Band参加前にもやってたんですか?
FUSA:セッションのとき一、二度やったのかな。ポンタが紹介してくれて。でも、the Grub Street Bandは憲司の力が大きかったな。「こんな感じ」って言うと「わかったわかった」って。優れた音楽屋だよ、あいつは。
――で、いろいろ全国ツアーをまわりつつ、ゴードン・エドワーズ(注7)とライヴをやりますよね。
FUSA:うん。ゴードンとはね、92年かな。ニューヨーク中心に11本くらいツアーを回って。バンド・リーダーもやってくれて、ずいぶん世話になった。毎年のように行って、一緒にやりたいって言ってたからさ。「一枚作ろうよパパ?(ゴードン・エドワーズのこと)」って言ったら、「いいよ!」って言ってくれてさ。その話は憲司が死んじゃって引き延ばしになってるんだけど。今剛(注8)が前からやりたがってたからね。今剛を連れて来年くらいは一緒に行きたいね。
――すごいですね、それは。是非見たいです。しかし、大村さんが亡くなったのはかなりショッキングでしたよね。
FUSA:俺もまいった。どうしようと思ったよ。憲司はわりにワイルドな男だから、好きだったな。憲司が死んでちょっと落ち込んで、しばらくやる気なくなったくらいでさ。憲司をニューヨークつれてって、一枚作ろうってもう口約束してたし。なんかもう何にもやる気がしなかったなぁ。

――ところで、ニューヨークとロンドンって全然違います?
FUSA:違うねぇ。ニューヨークは、擦れっ枯らしみたいなところがあるね。例えば、A店とB店がリンクしないのよ。だから個人主義的に音楽やってる人が多くてさ。ロンドンはね、いい意味でも悪い意味でも純情なところがあって、リンクするのね。そうそう、シャーデーが見にきてたよ。俺、知らなくてさ。「お、きれいなねーちゃんだな」と思ってたら、周りから「有名だぞ」とか言われて(笑)。違いといったら、ニューヨークみたいなビジーな街はさ、癒し系のカムダウンした音楽がはやる。ロンドンのほうは街がカムダウンしているから、音楽はビジーな音楽がはやると思ったね。
――そもそもニューヨークへ行った経緯は?
FUSA:自分で出来がいいと思ったライヴのテープをニューヨークのエージェントとロンドンのエージェントに送っただけなんだよね。そしたら、最初に返事がすぐ来たのが、ドナルド・フェイゲン(注9)という人で。
――えっ、ドナルド・フェイゲン!
FUSA:俺知らなかったんだよ。全然知らなくて、それで一週間後くらいに、ゴードン・エドワーズから来て、「ここはゴードン・エドワーズだな」と俺は思ったのね。(ドナルド・フェイゲンって)すごく有名だったのね(笑)。今では彼のファンだけどね。
――ドナルド・フェイゲンからはどんな話をもらったんですか?
FUSA:年1回のブルーズ・パーティみたいのがあるんだよ。それに出てくれないかって。ブルーズが大好きなのよ、あの人。ブルーズ・パーティといっても、カッチリとした僕に言わせれば退屈なブルーズなんだよね。うまいんだけど、断然自由さがないし。だから、ここはゴードンだろう、と思ったんだよね。
――そしてN.Y.へ行ったんですよね。そしてバックはStuff �ですよね。
FUSA:うん。最初はスティーブ・ガッド(Dr)だったんだけれども、スティーブがポール・サイモンに1年間スケジュール押さえられちゃったんだよ。そしたら、バンドマン・アティテュードがすごかった。わざわざ俺のところに来てくれて「ごめんね」って。それで、クリス・パーカー(Dr)がやってくれたんだから、すばらしかったよ。最後にはヴィレッジゲートに320人ぐらいきて、うれしかったな。最初の頃は「Hello! New York City!」なんて出ていったら7人くらいしかいないんだよ。後ろでゴードンが「HAHAHAHA」とか笑ってんの(笑)。でもね、日増しに観客が増えていくんだよね。街に入り込もうと思ってたから、宣伝しなかったし。口づてで観客が増えていって、ニューヨーク在住の日本人たちも来たしさ。俺が歌ってて、涙流しているのを見たら「やったぁ!」と思ってさ。“やれるじゃん、俺って”って。いい思い出だね。ラジオ出演なんかも自分でやったからね。エージェントの人が話はつけてくれるんだけど、自分でデモ・テープ持っていって門前払いくらったりさ。「お前しつこいなー」とか言われて「いいじゃねぇか!」って(笑)。で、「明日も出てくれ」とか言われてさ。壁はあついけど、壁がとれると、ぐっと味方になってくれるね。それはニューヨークのすごくいいところだな。
――房之助さんのパワーがすごいですよね。実際に行動する力が。
FUSA:こっちも“グッ”という感じでもっていかないとニューヨークはダメ。そのかわりに、ロンドンで13本やったツアーはちょろいもんだったね、悪いけど(笑)。でも、ニューヨークは厳しかった。悔しくて3、4回は泣いたね。「くっそー」と思ってさ。対バンにいじめられるし、ピストルなんか突きつけられたり危ない目にもいっぱいあったけど、面白かったなぁ。みんなに逢いたいけどね。あんなことが起こったから。来年、行きたいな。
――連絡はとりました?
FUSA:うん、取った。“大丈夫だよ”って言ってたよ。
――96年に2枚目のthe Grub Streetのアルバム『GRAVEL ROAD』とゴードン・エドワーズとのライブ盤PAPA GORDON and BABY FUSA『rough mixed~Live at SHINJUKU LIQUID ROOM~』を同時リリースしました。
FUSA:実はゴードンとのアルバムは出す気なんてなかったんだよね。今はすごくうまくいってるんだけれども、当時マネジメントとうまくいってなくてさ。腐ってたんだよね。それで「ボツだなぁ」なんてパパと言っててさ。それで、the Grub Street Bandのためにロンドン向かう飛行機の中で、テイクバックを聴いてたたら「悪くねぇなあ」と思ってさ。それでロンドンからすぐにパパに電話して。パパもテープを持っていたから「いいじゃねぇか。出せ出せ」って。で、出しちゃったんだよ。わかんないよね、音楽って。俺なんかいまだにわかんないよ、何がいいか。
――97年には、日本でのバンドということで、The Deepest Pocketを結成して全曲日本語詩のアルバム『In a deeper pocket』をリリースしました。
FUSA:今はもうスタジオ専門のユニットになったんだけれどもね。僕は日本語でずっとやりたくってさ。外国の「パパ、ママ」じゃなくて、「お父さん、お母さん」という言葉で、極力外来語みたいのを取り省いて作詞をやってみたかったんだよね。
――英語と日本語って響きが違うから難しいですよね。
FUSA:難しいね。でも、自分の言葉を持ってくとスポンとはまったりするんだよね。そのときに思ったことを書いて、字余りだったら同じような言葉をさ探してみたりしてね。わりに楽しい作業だった。