ゴォォォォォォ……。
大きく揺れるバスに乗って。
僕たちは学習合宿のために、都内を離れ北へと向かっていた。
合宿の内容は前回述べたとおりで、案の定参加した生徒は少なかった。
僕こと桐生凛も、その合宿に参加していた。
まさか、この合宿において、僕の運命が大きく変わることになろうとは…。
「よかったな、凛。いっしょになれてよ」
バスの天井を見上げていると、後ろの席から亮輝がひょっこりと顔を出した。
学校一のイケメンである彼は、僕の無二の親友でもある。
そんな彼もまた、この合宿の参加者だった。
「うん、ほんとによかったよ。……あまり知ってる人いなかったから」
参加者や部屋の割り当てが発表されたのは、今朝、出発直前になってからだった。
そのとき、参加している人に亮輝くらいしか仲のよい人がいなかったこと、亮輝と同じ部屋に割り当てられたことを知った。
いや、本当に幸運だ。知らない人と組まされても、気を遣いあって気まずくなるだけだし。
「ん、そいつはよかった。―─っと、見えてきたぜ」
亮輝の言葉につられて、僕は前を見る。
すると、遠くに僕達の目指す宿泊施設が見えてきた―─。
「ふぃー、着いた着いた」
んー、と身体を伸ばしながら言う亮輝。
「へぇ、案外大きいんだ」
僕はそんな感想を述べた。
見た目、普通の旅館っぽい。
国民宿舎の一種なのかな?
先生の点呼、そして移動が始まった。
「なぁ凛。最初の講義って何だっけ?」
ロビーまできて、亮輝が尋ねた。
「えっと……、数学Ⅱ・Bみたい」
「そっか。じゃ俺は自習だな。凛は?」
合宿での講義は、自由参加式なので自分の好きな講義を選んで受けることが出来る。
受けない生徒は、別室で自習ということになるのだ。
「僕は受けるよ。数学、ちょっとまずいんだ」
特には微分積分だ。
「そっか。まぁがんばれよ。っと、そろそろ行かなきゃな。じゃ、あとでな」
「うん、あとで」
そうして僕と亮輝は別れ、僕は講義会場まで急いだ。
「あ゛~、疲れた~……」
ふらふらふら……ぼてん。
部屋に帰るなり、僕は用意してあった布団に突っ伏した。
時刻は午後九時半。
最後の世界史Aが終わり、入浴時間となっていた。
「お疲れ。じゃ、俺は先に風呂入ってくるぜ」
「あ~い……」
着替えと洗面用具を持って部屋を出る亮輝に、僕はただ生返事をした。
「ふぅ……。さて、僕も準備しとくか」
よっ、と身体を起こし、僕はパジャマや洗面用具―─例のボディソープもある―─、そして明日の講義の準備―─日本史A、数学ⅠA、現代文、英語Ⅱ等の教科書や参考書を鞄から取り出し、枕元に置いた。
食事のあとはすぐ勉強。これがこの合宿でのやりかたである。
全く時間の無駄がないな、うん。
けど……頭に入らなさそうなのは何故だろう?
「これでよし、と」
一通りの準備を終え、一息ついていると。
「おーっす、上がったぜー」
バン、という豪快な音と共に、湯気を昇らせながら亮輝が戻ってきた。
「お帰り。――は、早いね」
ものの5分もかかってなかったんじゃないだろうか。
「ああ、俺、風呂はあんま長く入らない主義だからな。パッパと入ってパッパと出てきた」
そう言ってどこかで買ってきたらしいコーヒー牛乳を飲む亮輝。
……新事実。
学校一のイケメンは、鴉の行水男だった。
「……ま、人それぞれか。じゃ、僕が入ってくるよ」
「おぅ、湯当たりすんなよ」
亮輝の言葉を背に、僕は着替えなどを持って部屋を出た。
それが、僕が男として亮輝と会う最後となるとはつゆ知らず……。
かぽーん。
「─―ふぅ」
なかなかにいい湯加減だ。
風呂場には、僕以外誰もいなかった。
幸いだ。あまり他人と一緒にはお風呂に入りたくない。
お風呂は広く、床はタイル張り。
そのタイルには細かな溝が入っていて、水の表面張力を壊す工夫がなされている。
壁一枚向こう側には、当然女子の風呂場があるのだが、何の音沙汰も無い。
もうすでに皆上がったあとだったのだろう。
─―そこだけ別世界かのように、とても静かだった。
「─―身体洗うか」
僕はざばぁ、と浴槽から上がり、鏡の張られた洗い場に座る。
そして用意しておいたスポンジに、あの少女手製のボディソープを染み込ませる。
仄かにたちのぼる桃のような香り。
それをしっかりと泡立てて、僕は全身をくまなく洗った。
そしてシャワーで泡を洗い流し、そのまま髪を洗う。
全てを済ませ、再び浴槽に入った。
「……ん?」
身体中が何かムズムズする。
「なんだろう……」
そう思った途端、
ドクン!
「──っ!?」
身体が爆ぜた。
「ぐ─―あぁぁ!?」
全身が熱い!
身体が煮えるようだ。
僕はそのままうずくまり、事が止むまで耐えようとした。
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……」
しばらくしてそれが止み、僕はゆっくり立ち上がる。
「何が……起きたん……だ……?」
そう呟いて、僕はある変化に気づく。
─―声が高くなっている。
それも、男の裏声なんてタイプじゃない。どちらかといえば、声質の高めな女の子のそれだ。
シャワーによる湯煙が濃くて、おまけに目が悪いので今の位置からじゃ自分の姿が確かめられない。
「か……鏡っ……!」
僕は慌てて浴槽から這い出て、先ほどの洗い場に座り込む。
そして。
「な、ななななななななななななな!?」
僕は、鏡に映る全裸の少女を目の当たりにした─。
「嘘……でしょ……」
僕は愕然とした。
小さいけど立派に男性であることを主張していたものは無くなり、代わりになんだかよく分からないけど、男性のものでないものができている下腹部。
もはや男性のそれではない、胸部に豊かに実った二つのふくらみ。
きゅっとしまったウェスト、かわりに張り出した臀部。
元々目が大きい方だったけど、さらにくりくりとした感じになっている上、小鼻や小さな口が可愛らしい顔。
それは、紛れも無く少女―─それもプロポーション抜群の子であった。
「僕……なのか!?」
そんなわけがない。
僕は男だ。
しかし、鏡には僕の姿は無く、その少女の美しい裸体が映し出されている。
よく見ると、その髪型は僕とほぼ同じ―─少々長くなっているが―─であり、左耳のたぶにある小さな黒子(ほくろ)も僕のそれと同じ位置にある。
「……」
最後の手段だ。
ぐにぃぃぃぃぃっ。
「……いったぁい……」
頬を思いっきし引っ張ったら、めちゃくちゃに痛かった。
「……」
よし、いい加減現実に目を向けよう。
僕は、女の子になっていた─―。
……。
「――て、そんな馬鹿なぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」
あまりの衝撃に、僕は叫び膝をつく。
な……なんでこんなことに!?
一体僕に何が起こったのだろうか!?
「―─まさか、ボディソープ!」
そうだ。
怪しいといえば、少女から買ったあのボディソープしかない!
僕は慌てて、ボディソープの入った子瓶を取り、ふたを開ける。
その途端、
ほわんっ……。
「へ……!?」
残っていた中身は、一瞬にして気化した。
「な、……なんでだ……!? ―─ん?」
よく見ると、瓶の底に彫り文字がしてあった。
なぜか日本語で。
「なになに、『このボディソープは、あなたを身体的に理想な姿へと生まれかわらせるものです。用法、用量をよく守ってご使用ください。また、他人に使ってはいけません。そして、一回こっきりの使いきりなので、複数回に分けておくことは出来ません』だって!?」
僕は愕然とした。
あの時少女が言いよどんだのは、この効果があるからだったのだ。
身体的に理想な姿……。
つまり僕は、女の子としての方が理想的な身体だったっていうのか!
ショックだ……。
「僕は……一体どうなるんだ……?」
気が遠くなりそうだった。
そんなことを考えているうちに、あることに気がついた。
「―─やば、よく考えたらもうかれこれ1時間は入ってるんじゃ」
いい加減出ないと、亮輝や先生に気づかれる!
僕は急いで風呂から上がり、身体を良く拭いて、着替えた。
「うわぁ、ダボダボだぁ」
ただでさえ僕には大きめだったその男性用パジャマは、今の僕にはかなり大きく、たとえば手は袖からちょっぴり出ているだけだった。
おまけに言えば、下着のサイズがあわない……。
少し大きめになった眼鏡をかけ、僕は一目散に部屋へ駆け出した。
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ」
浴場から部屋まで全力疾走し、なんとかたどりついた。
部屋を覗いてみると、幸いなことに亮輝はいなかった。
「……女子のとこに遊びに行ってるのかな。まぁ、いいや。今のうちに……」
こっそりと布団に入り、狸寝入りをしようと部屋に入ったその瞬間。
「あれ、凛?やっと出てきたのか」
「─―っ!?」
なんと、亮輝が向かいの部屋から現れた!
僕は慌てて部屋に飛び込み、近場にあった亮輝の布団を被る。
「おい凛、何してんだ?そこ俺の布団じゃねーか」
そういって亮輝は布団を引っぺがそうとする。
「や……やめてくれっ!ちょっと、眠いんだ!」
われながら理不尽な理由に託けて抵抗する。
「―─っ、おい、何のつもりだよ凛!」
亮輝はさらに力をいれて引っぺがしにかかる。
「頼む、こっちで寝かせてくれぇぇぇ! 引っぺがさないでぇぇぇぇ!」
必死に僕は抵抗するが、それでも次第にはがされてゆく布団。
「どっちで寝たって変わんねぇだろがっ! せぇの、よっと!」
バッ!
「あ─―!」
抵抗むなしく、ついに布団は剥ぎ取られてしまった。
「へ……?」
瞬間、
世界は固まった。
―─10分経過─―
「……」
「……あ」
そして、再び時は動き出す。
「えっと……凛、なのか?」
呆けた顔で亮輝が言った。
僕の姿に驚いて。
……。
「……う、うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
僕は泣きながらいろいろなものを投げまくる。
「ちょ、待て凛!ものを投げるなって!」
慌てて避けまくる亮輝。
「見ないでくれぇ、見ないでぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!」
ひゅん、びゅっ!ぽーん。
もはや混乱していて、僕は自分が何を投げつけているのかさえわからなかった。
「お、おい落ち着けってお前!いい加減にかぐはぁっ!」
「あ……」
僕の投げた国語辞典が、亮輝の顔面にクリティカルヒットし、亮輝はそのまま倒れこんだ。
「─―で、なんだってそんな姿になったんだ、お前」
顔のど真ん中にバッテンをつけた情けない顔で(僕のせいだけど…)、亮輝はたずねてきた。
「実は……」
僕はお風呂場で起きたことをかいつまんで説明した。
それを亮輝は、一笑に付すこともせず、ただ真剣に聞いてくれた。
それが何より嬉しかった。
「―─というわけなんだ」
僕が説明を終えると、亮輝はふーんといった感じの顔をして、
「ほほう。じゃぁ本当に女の子になってるのかなっと……」
なんて言って、いきなり僕のズボンを掴んだ。
「――っ、バカーーーーーーーーーーーーッ!!」
ベキッ!
「はぐぁ……」
思わず出した蹴りが再び顔面に命中した。
「うう……悪い、凛」
「もう……本当に悪い冗談だよ……」
お互い涙目だった。
しばらくして落ち着き、改めて亮輝は僕を見て、ため息をついて言った。
「それにしてもなんつー理不尽なボディソープなんだ、それは……」
「僕もそう思う……」
涙ながらに僕は同意した。
というか、明らかに店側の説明不足だと思う。
……まぁ、詳しく聞かなかった僕も悪いのかもしれないけれども。
……くっそー、帰ったら文句言いに行こう。
「―─まぁ、それで、どうすんだよお前。そのまま明日行くわけにもいかねーだろ」
「そうだね……どうしよう」
明日をこのままの姿で、平穏無事に過ごせるはずがない。
「……仕方ない、先生に正直に話して、みんなに説明してもらおう」
亮輝の言葉に、僕はだまってうなずいた。
先生方ならわかってくれる。そう祈ろう。
「じゃぁ早速……」
「ちょっと待て」
立ち上がり、先生の部屋へ行こうとした僕を亮輝が呼び止めた。
「……?なんだよ亮輝」
「その……前。胸、見えてるぞ」
その言葉に、僕はゆっくりと視線を自分の胸部に落としてゆく。
「──」
男のときの癖で、パジャマの下から三番目までしかボタンを留めてなかったので、胸がだいぶ露わになっていた。
「……うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁん!!」
「うぁやめろ!物を投げるなぁぁぁぁ!ぐあぁぁぁぁぁぁぁ!!」
その日、僕と亮輝の悲鳴が施設内にこだました。
─―Tomorrow―─
「―─というわけで、女性となってしまった桐生君だ。色々思う所があるかもしれないが、みな、今までどおり接してくれ」
先生の簡単な説明が終る。
あの後、訪れた僕を見て先生達はとても驚いていたけど、みな柔軟な頭をされているらしく、僕のことを受け入れてくれた。
後は、他の生徒なんだけど……。
「おいおい、マジか……!?」
「ほんとにあの子、あの桐生君なの……?」
「どうなってんだよ……」
ざわざわとする生徒達。
うう……何か視線が……。
「静かに。このあとすぐに日本史Aの講義だ。出席する者はこの場に、そうで無い者は自習室へ行け」
先生の言葉に、生徒たちはゆっくりながらも移動を開始した。
しかし、それでも好奇の目が僕を見ている。
―─よし、ここは日本史Aに集中して、気を紛らわそう。
そう考えた僕は、早速日本史Aのテキストその他を取り出した。
「今日はここまで。次の講義の準備をしておくように」
先生の声が聞こえる。
「……」
全然集中できなかった。
講義中、となりの女子は話し掛けてくるわ背中に視線をめちゃくちゃ感じるわ手紙がまわってくるわ(しかも、内容がHなのが多い)……。
もう、しょっぱなから精神的に疲れていた。
「はぁ……ん?」
気がつくと、僕の周りをぐるりと生徒たちが囲んでいた。
な、なんだ??
「桐生君」
なかの一人の女子が話し掛けてきた。
「え……、な、何?」
どうしてか緊張―─不安というべきか、そんな気分で僕は尋ねた。
その瞬間、
「ホントに女の子になっちゃったの?」
「バストどれくらいなの?」
「ちょっと胸さわらせてくれ!」
怒涛の質問攻撃。
「あ……あの、そんないっぺんに聞かれても」
「ねぇ、どうなの?」
「ウェスト細いねー。どのくらいよ?」
「ちょっと胸さわらせてくれ!」
わいわい、がやがや。
こっちの言葉なんざ聞く耳もたない。
と、遠くに亮輝が見えた。
すると亮輝はこっちを見るなり、
「おぉ凛。すっかりモテモテだねぇ~」
なんてことを言って来た。
「ば、馬鹿言ってないで助けてよ亮輝!」
人並みにもまれながら、僕は彼に助けを求めた。
─―こ、こんなに生徒いたっけ!?
「OKOK。待ってろ、今そっちにいくかげほぁっ!」
そう言って近づこうとした亮輝は、哀れ更に後ろから来た集団に押しつぶされた。
「亮輝~~~……。だ、誰か助けてぇぇぇぇぇぇぇぇ!!」
僕の悲鳴は、悲しいかな誰にも届くことは無かった。
「─―ふぅ」
かぽーん。
湯船の中、僕はゆっくりとお風呂に浸かっていた。
あのあと、質問攻めは講義が始まるまで続き、講義の途中にも手紙、内緒話が絶えなかった。
「うう……疲れたよぉ」
そういって、はぁと溜息をつく。
─―ほんと、疲れた。
勉強疲れよりも、精神的に疲れた。
明日もこの調子なのか?
……考えるだけで頭が痛くなりそうだ。
「……でよっかな」
そうして、ざばーと湯船から身体をあげる。
丸みを帯びた身体を、湯の雫がつーとすべる。
途端、
ヒュゥ……。
「うっ……」
どこからか風が吹き込んで、ブルッと身体が震えた。
「……おかしいな、入ったときはどこも開いてなかったはずだけど」
あたりを見回すけど、やはりどの窓もあいてない。
「……ま、いいや。出よう」
そう言って後ろを振り向くと、
「あ」
『あ゛』
扉が少し開いていて、そこから6人ほどの男子がこちらを覗いていた。
……。
「……きゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
「うわっ!やべぇ逃げるぞ!わっ、わっ、うわぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
『んぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!』
逃げるまもなく。
彼らは僕の風呂桶乱舞を次々と受けていった。
─―ああ、神様。
女の子って、大変なんですね……。