葬儀でのデヴィッド・ヘンドリックス | 1983年11月7日夜、イリノイ州ブルーミントンの警察にデヴィッド・ヘンドリックスと名乗る男からの電話があった。 「自宅にいくら電話をかけても誰も出ないんです。妻と子供たちの身に何かがあったのではないかと心配です。申し訳ありませんが、安否を確認して頂けないでしょうか」 彼はウィスコンシン州に出張中なので確認できないのだという。間もなくパトロール中の2人の巡査が以下の住所を訪問した。 「313 Carl Drive, Bloomington, Illinois」 明かりが点いていない。玄関の鍵も掛かっていない。巡査たちは胸騒ぎを覚えた。そして、2階の寝室で最悪の事態に直面した。一家4人が惨殺されていたのである。 スーザン・ヘンドリックス(30) レベッカ・ヘンドリックス(9) グレース・ヘンドリックス(7) ベンジャミン・ヘンドリックス(5) 凶器は現場に残されていた斧と肉切り庖丁だった。残念ながら、指紋は残されていなかった。検視官によれば、遺体は死後3日は経過していた。 翌朝、出張先から帰還したヘンドリックスはこのように供述した。 「私が家を出たのは11月4日の深夜のことでした。その日は妻が友人の夕食会に呼ばれていたので、私は子供たちをピザ・ショップに連れて行きました。午後7時30分頃です。食後はゲームセンターに寄り、午後9時30分には帰宅しました。妻が帰宅したのは午後10時45分頃です。それから身支度をして、午後11時30分には家を出ました」 ヘンドリックスの供述が正しければ、犯人が押し入ったのはこの後ということになる。ところが、検視解剖の結果はこれと矛盾していた。子供たちの胃にはまだピザが残っていたのだ。つまり、少なくとも子供たちは食後2時間以内に殺されたことになる。ヘンドリックスがまだ家にいた時間である。 また、数々の聞き込みにより、ヘンドリックスがかなりの好色漢であることが判明した。彼は自ら発明した背骨の矯正ベルトをセールスすることを生業としていたのだが、その広告用に雇ったモデルたちにちょいちょい手を出していたというのだ。 妻と別れたがっていたとの証言もあった。しかし、厳格なプリマス同胞派の信者である彼には離婚は許されない。だから殺したのではないかと警察は考えたわけだが、はてさて、それだけの理由で子供たちまで殺すだろうか? しかも、斧や肉切り庖丁で。たしかに死亡時刻に関する矛盾はあるが、動機としては些か弱いように思える。 にも拘らず、ヘンドリックスは裁かれて、4件の殺人で有罪となり終身刑を宣告された。直接的な証拠は何もなく、すべてが状況証拠だった。不当判決と云わざるを得ない。思うに、宗教的偏見が陪審員の評決を左右したのではなかろうか。 結局、ヘンドリックスは再審で無罪を勝ち取った。1991年3月28日のことである。「疑わしきは被告人の利益に」の原則が遵守されたのだ。たしかにヘンドリックスは灰色だ。だが、確固たる証拠がない以上、有罪にしていいわけはない。 (2011年5月20日/岸田裁月) |