その存在が外へ出て行ったことを、ブレイン・アングラウスは感じ取った。
剣の天才と言われていたブレイン・アングラウスは強さのみを追い求め、己の腕を磨くために野盗崩れの傭兵団に用心棒として雇われながら日々剣の修行に明け暮れていた。
目指すのは唯一ブレインに土を付けたガゼフに勝利する事、その目的のために生きてきたと言っても過言ではなかった。
しかし、ほんの数週間前にその価値観を人生を破壊された。
出会ったのは悪魔。強く、高慢で、相手をいたぶることを好む相手。しかし、ブレインはその悪魔の強さを感じていながら刀をとり、戦いを挑んだ。
――――――結果は惨敗。ブレインとの格の違いを見せつけた悪魔は、耳元で囁いた。
「本気を出していただいて結構ですよ?」
ブレインが、今まで本気だったことは解っているはずだった。しかし、つまらなそうに悪魔は鼻を鳴らしてブレインを見た。
「つまらない。魔法詠唱者の私でも指先だけで相手できるなんて―――、貴方もう少しまじめに鍛えた方がいいですよ」
これまでの努力を、いや人生を否定された気がした。心を折られたブレインが見逃して欲しいと懇願すると、まさにどうでも良さそうに悪魔は言った。
「私から逃げきれるのならどうぞ。取りこぼしたところで気にしませんので」
この悪魔にとって、自分は道ばたに落ちている石ころと価値が変わらないのだとヒシヒシと感じ、ブレインは死ぬ気で逃げ出した。あの悪魔の横を通り抜ける勇気も無鉄砲さももはや無かった。
脱出路から飛び出した後も、全く気をゆるめることが出来ない。注意深く探れば、やはり周囲には悪魔が逃げ出す者を監視していた。"逃げきれるのなら"と言ったが、逃がす気はないのだろう。それでもブレインはとにかく身を隠し、ガタガタと震えていた。信じてもいない神にすら祈る。
―――しばらくして、悪魔共がどこかに去っていくのが見えたが、罠かも知れないと思うと動けない。ブレインは、ただただ朝日が昇るのを闇を恐れる子供のように待っていた。
その後はただがむしゃらに逃げて、そしていつの間にか宿敵であるガゼフがいる王都にたどり着いていた。心身ボロボロでふらふらと亡霊のようにさまようブレインをガゼフが拾い何も聞かずに自宅に置いた。
そして、ブレインは久しぶりに深く眠った。疲労がピークだったからだろう、ブレインはその館の中の存在に気が付かず、ただただ眠っていた。
気力体力ともに十分に回復した頃に気が付き、ブレインは血相を変えて跳ね起きるとガゼフに詰め寄った。しかし、ガゼフは心配するなと刀を放そうとしないブレインの肩を叩いて、天井を見上げて笑った。
「彼は人に危害を加えることはない。私の友人だ」
ブレインはビクビクと天井を見上げているが、敵意がないと感じると刀の柄から手を放し、もう一度ガゼフに「大丈夫なのか」と訪ねた。
力強く頷くのを見て、ブレインは胡乱げながらもその存在に触れないことにした。
それでも気配を探ってしまうのは、相手が自分を指先一つで殺せる存在だと本能で解るからだ。その気配が動くたびにブレインはビクビクと震えていたが、最近はようやっと危険はないと理解し慣れた。そして、冷静に観察できるようになった。
奴はよく外に出かける。どっから出入りしているのかとガゼフに訪ねると、屋根の一部がはずれるようになっていると説明された。自由に出入りさせるのはどうかとも思うが、ブレインはあまり関わりたくないので何も言わなかった。
しばらくして、ブレインは外に出るようになった。あの悪魔が俺ごときを追ってくるはずがないと確信したのと、もし追って来ても屋根裏にいる強い存在を先に襲うだろうと思ったのだ。
そして外に出て、王都をブラブラしていると色々な噂が耳に入ってくる。その中には屋根裏の存在だろうと思われる噂もあった。
どこからともなく現れて、悪を倒し困っている者を救う。巨大な魔獣だろうと、屈強な野盗だろうと瞬きする間にたたき伏せる。その者の正体は未だ不明。男であろうことと、赤いマントが特徴だとか・・・・・・。ブレインは気のない振りをして聞いていた。
(・・・ガセフが好みそうな奴だ)
だから天井裏を貸しているのだろうと何となく思った。そして、そいつはあの悪魔とどれくらい戦えるだろうかとぼんやり考えかけて頭を振る。
*****
ブレインがガゼフの館に戻ると、女にばったりと出くわした。女はガゼフの館に住み込みで働いているが、詳しいことは聞いていない。自分の顔を見るなり震え、奥へと走っていってしまう女を見送り、ガゼフは頭を掻く。―――あの女にはブレインが今まで何をしてきたか肌で解ってしまうのだろう。
女の名前はツアレだとガゼフから聞いている。事情があり家で働いている使用人とのことだがブレインには一目でツアレがどんな目に遭ってきたか解った。あの塒に捕らえられていた女たちと同じ目をしていたからだ。女たちにブレインは何もしなかったが、同時に何の感情も無かった。しかし、ガゼフが保護している女については妙な罪悪感が沸く。ガゼフという繋がりがあるからだろう。ブレインもツアレについてはあまり接触したくない女だと思っていた。
ツアレはガゼフの使用人であるが、大抵は天井裏にいるようで、おそらくツアレを連れてきたのはアイツだろうと想像できる。召使いの老夫婦は屋根裏のアイツのことは知らないようだがツアレのことは知っていて、婦人の方がよくツアレに仕事を教えたり労っているのを見た。おそらく婦人もツアレがどんな目に遭って来たかうすうす感づいているのだろう。人におびえるツアレと根気よく接する姿に、ブレインはお人よしだなと横目で眺めた。
そして、やっかい事だと知っていながら匿うガゼフもお人好しだとブレインは思う。
―――しかし、ソレが長く続かないだろうことはブレインも、ガゼフもよくわかっていた。
ガゼフが珍しく早く帰宅していた時だった。ブレインが部屋で寝転がっていると、館の扉を乱暴に叩く音が聞こえた。物騒な気配にブレインは音もなく起き上がり、窓から入り口を確認するとやせっぽっちの男と太った男、ソレと兵士が一人。
・・・王国戦士長の館に来るにはいささか無礼にも見えるが、役人らしい太めの男が偉そうにしている。
わかりやすいやっかい事が訪ねてきたのだ。ガゼフが直接対応して館の一室に案内するのを確認して、ブレインは息を殺して隣の部屋に潜む。
一方的な問答だ。王国戦士長と言う地位をもらっていながら女を誘拐したと言いがかり、女の引き渡しと金銭の要求をしている。―――そして後々は、これを弱みにガゼフを揺するつもりだろうことが解る。
ガゼフは貴族連中に嫌われているから、弁明したところで貴族共は聞かないだろう。・・・もしかしたら地位剥奪だってあり得る。
奴らが帰った後、怒りを隠そうともしないガゼフの前にブレインは立つ。
「どうするんだ?奴ら根回しをしっかりしてお前を脅しに来ているぞ」
「・・・そうだな。アングラウスにも迷惑をかける」
俺のことなど、どうでもいいだろうとブレインは怒鳴りたかったが、実際自分には関係ない問題なのだ。安易に首を突っ込んで道連れなどゴメンだ。
・・・何も言わずにいれば、ガゼフは通り過ぎて物置へと向かった。―――奴と話をするのだろう。ガゼフの性格なら、女を連れて逃げろと言う気かも知れない。
「―――俺には関係ない」
そう言い聞かせるように、与えられた一室に戻って布団を被った。
しかし、屋根裏の存在が外に出たのを感じて、ブレインは布団を跳ね上げるとガゼフに何も言わずに飛び出した。
やっかい事を持ち込んでおきながら、全部ガゼフに押しつけててめぇは逃げるのか!?
自分より遙かな強者と知っていながらも、一言いわねば気が済まないとブレインは気配を追いかけた。
*****
ブレインが、その気配を追いかけていると、大通りで酔っぱらいの喧嘩が起こっていた。あまり関わらないように、気配を見失わないようにと道の端に寄ると、今まで屋根をつたっていた気配が下に降りた。
あわてて身を隠すと、騒ぎの輪に向かうそいつの姿をブレインは確認した。一見、赤い外套の普通の人間に見えた。しかし、強いモンスターは人間に化けることが出来ることをブレインは知っていたので、奴も化けたのだろうと考える。
そのまま様子を伺えば、酔っぱらいたちをほんの一撃で黙らせ、地面に倒れていた子供を助け起こした。しかし、なにかを考えるそぶりを見せると、衛兵らしき男に子供を託してその場から去っていった。
(これ以上やっかい事を増やすんじゃねぇよ)
あの酔っぱらいの中に権力者でもいたらまたガゼフに迷惑が掛かるだろうと、ブレインが舌打ちして尾行を続行する。
―――奴を尾行する者が一人増えていることも、自分を尾行している者の存在も気が付いていたが無視し、ブレインはただ奴を追いかけた。
人気のない場所まで来ると、奴は尾行者に対して話しかけた。ブレインは自分の尾行もバレているだろうなと薄々気づきながらも物陰にかくれ、もう一人の尾行者の顔を見る。声が異様に枯れた少年だった。少年は王国の兵士で奴の強さを目の当たりにしその強さに感動し、教えを請いたいとのことだ。
無駄なことをとブレインは少年を哀れんだ。奴は人間ではないから、どんなに教えを請うたところで同じ高みには到達しない。
しかし、断っても少年が諦めないことと、少年が兵士であることを聞いて、奴は稽古をつけてやることを承諾した。
それの見返りとして、自分の友人が陥っている事態を何とか解決できないかと少年に相談した。
勿論ガゼフの名は伏せてはいるが、不特定な人間にそんな話を広めるんじゃないという怒りと、問題をガゼフに任せず解決したいという気持ちに少し見直した。
しかし、そんなことを相談された少年も困り果てていた。当然だろう、ただの一兵士にそんな問題が解決できるはずもない。考えれば解るだろうと呆れ、謝る少年を哀れに思っていたら、稽古を付ける話に戻った。
交換条件が成立しないのにと、身を乗り出したのはその稽古方法と言うのが気になったのだ。――――――しかし、すぐさま後悔した。
奴の放つ殺気にブレインはへたり込み、ガタガタと身を震わせた。体の芯から刻み込まれたあの悪魔の恐怖心が奴の殺気により蘇ったのだ。涙が滲み、お守りのように刀を握りしめそれでも少年が気になり視線を上げた。
・・・驚いた。あの殺気を真正面から受けて立っていた。立っているのがやっとという感じではあるが、確かに気力を何とか失わずに前を向いていた。
奴の腕がゆっくり上がる。その手にはきらめく刃が見えた。ナイフかと思って目を凝らすと、それはただのカトラリーのナイフで人どころか、硬い肉すら切れない。切れるはずも届くはずもないと頭では理解していたが、心が逃げたいと悲鳴を上げていた。それでも刀を握りしめて少年の背を見つめていた。いくつもの疑問符も、嫉妬も、そして尊敬が浮かんでは消えていく。
ガゼフも、きっとこの殺気を前にしても立ち続けるのだろうと、ブレインは思った。
*****
やはり、ブレインの尾行もバレていたようで、あの殺気を浴びたブレインを見て奴は納得したように頷いた。
「なるほど、気骨はしっかりありますね」
ガゼフがブレインのことを褒めていたのだが、ふぬけたブレインしか見ていなかったので、ついでに試したらしい。
勝手に試されて腹が立ったが、現れたブレインの尾行者と戦うことになり、文句は言えなかった。尾行者の見当はついていた。ガゼフを脅していることを他の者に漏らされては困るのだろう。だから館から出てきたブレインを尾行して殺すつもりだった。まあ、ソレも承知でブレインは館を出たのだが・・・。
その後はまあ、割愛する。腐っても周辺諸国最強のガゼフと同等のブレイン、それをはるかに上回る化け物がいるのだ。むしろ刺客にはご愁傷さまとでもいうべきだろう。
刺客を倒した後は怒涛だった。人間に化けていた奴が時間切れだと本性を現したり(まさか蟲人間とは俺も思わなかった)刺客から情報を引き出して、諸悪の根元である娼館に強襲すると言って聞かずに巻き込まれる形でブレインと少年・クライムも突入することになった。
そこが八本指と呼ばれる犯罪組織の娼館だったり、アダマンタイト級と同等の力を持つという六腕(これはガゼフの館に来た男だった)と戦闘して勝利したりと、色々と大変だった。特に大変だったのは奴の強情さである。働かされていた(むしろ虐待されてた)従業員を連れていくと言って聞かない蟲やろうをブレインは殴り(むしろ此方の拳が砕けそうだった)兵士のクライムに託して何とか事なきを得た。
そしてクタクタになって帰ってきたブレインたちに、ガゼフは驚きつつも感謝した。――――――というか、ガゼフもこいつを怒るべきだろう。さては甘やかしまくっているなと、ガゼフに説教すると
「自分は立場があって出来ないことを、代わりにして貰っているのだ。出来る限り手助けするのは当たり前だし、そのための苦労など苦労とは思わん」
きっぱりと言い放ったガゼフに、これは自分が手綱を持たねばそのうちガゼフが失脚するとブレインは頭を抱えた。
*****
「王都への荷運び、ですか?」
漆黒の剣を名指して、どんな依頼かと思えば拍子ぬけする依頼だった。一応、"漆黒の剣"は悪魔の件もあってオリハルコン級に昇格していた。モモンに関してはアダマンタイト、と言う話も出たのだが「私もまだまだなので」と辞退したのでオリハルコン止まりである。
ちなみにイグヴァルジ達、"クラルグラ"もオリハルコンに昇格した。そしてイグヴァルジがモモンにやたら先輩風を吹かして絡みまくっている。
「はい、オリハルコン級の冒険者の方には物足りないと思われますが、荷は貴重なもので、万が一壊れたり紛失されると此方も困りますので・・・」
そう言ってニコニコ笑う依頼者は、以前話をしたことのある帝国のデミウルゴスの使いであった。帝国から王都のさる貴族の下まで荷を届ける予定だったのだが、事情がありエ・ランテルからは冒険者を雇って王都まで届けて貰うことになったのだという。
「店にトラブルがあり、我々は帝国に戻らなければならず。信用のおける冒険者の方に荷を預かって貰いたいのです」
「それを私たちに、ですか?」
「ええ、こういってはなんですが・・・"クラルグラ"のリーダーさんはちょっと」
「ああ、なるほど・・・」
イグヴァルジは確かに悪い奴ではないのだが、少し嫌みがすぎるのと優しさを素直に出せないという癖の強さがあり、初対面では距離を置きたいタイプだ。"漆黒の剣"だって理解するのに時間が掛かったし、仲間もなかなか根気がいったと笑っていた。―――モモンぐらいである。初対面でイグヴァルジに反発せずにいたのは。そのせいでかまいまくられてるが。
「他の方を信用しないという訳ではないのですが、何せ近くに悪魔が現れたとなると・・・」
出来るだけ強い冒険者にお願いしたいのだと言われれは"漆黒の剣"も納得した。
「―――で、受けちゃったんですか」
連絡を受けてカルネ村までの<
「まずかったですか?」
「・・・依頼内容はいいんですが時期がまずかったなぁと」
カルネ村の新村長となったばかりのエンリを置いて、しばらく村を空けなければならない。なにかと不安だろう。エンリが。
今も泣きそうな顔でこちらを見つめている。でかでかと無理だと顔に書いている。しかし、受けた依頼を断ればチームの信用を落とすだろう。
ペテル達だけが行く選択もあるが、悪魔がいたあたりを通るのだ。あまりいい考えとは言えなかった。
「―――千尋の谷に突き落とすか」
ここで甘やかしてはエンリは成長できないと判断し、アインズは依頼を受けることにした。
*****
「じゃあ何かあったらゴブリンメイジに<
「モモンさん、ソレぐらいにしとかないと日が暮れますよ」
子供の留守番を心配する親のようにモモンがエンリに言い聞かせていた。はじめは不安そうだったエンリも、モモンの心配性に苦笑いに変わり「大丈夫ですよ」とむしろモモンを安心させるように胸を張った。
「何かあったら連絡しますし、無理はしませんから」
「そうですよ。僕もついてますし」
「何かあったらンフィーレアを盾にしても良いからな」
「ええ?!」
「ん~、ンフィーじゃ盾にならないかな」
「ちょっとエンリまで!!」
頼もしさをアピールしたつもりが全く期待されてなくてンフィーレアはガックリと肩を落とした。それを慰めるように叩くルクルットとジュゲム。
「モモンさん、ちょっとはンフィーレアさんを認めてもいいんじゃ」
「いやですよ。水瓶も持てない男にエンリは渡せません」
きっぱりと言い切るモモンに漆黒の剣は苦笑いを漏らす。
「・・・・・・この数日がチャンスだぞ少年。モモンさんが留守の間にエンリちゃんのハートをがっちりキャッチだ」
「そおッスよ。既成事実作っちまえばこっちのもんス」
「き、ききき、既成事実って?!」
「既成事実はともかく、男らしさアピールしてエンリちゃんに惚れてもらいな。そうすりゃモモンさんもなにも言えねぇから」
ルクルットとジュゲムにグッとサムズアップをされ、赤い顔に大量の汗を掻きながらも、ンフィーレアは覚悟を決めたように重々しく頷いた。
こうして、"漆黒の剣"は王都に向かって出発した。
――――――それが悪魔の罠とは知らずに。
*****
ちょっと駆け足すぎですね。
ただ、原作とほぼ一緒だとだれると思うので思い切ってショートカットしました。
すみませんでした。