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2018-11-22

糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの今日のダーリン

前川清さんと矢野顕子さんと、ぼくでの鼎談
 おもしろいと言ってくれる人がいて、なんだかうれしい。
 話す内容についての計画もなくて、
 とにかく3人が3人とも、あの場で、
 じぶんをよく見せようという気がない。
 こう言ったら困るということもないし、
 いまさらこういうこと訊けないということもない。

 幼稚園の園児が、大きな白い紙を床に敷いてさ、
 色紙だとかちっちゃな玩具を持ってきて、
 のりでぺたぺた貼り付けていくような、そういう時間。
 たのしいに決まってるんだよね、こんなの。
 ただ、ぼくはともかく、前川さんにもアッコちゃんにも、
 無数の経験というか、修羅場があったわけだから、
 そいつが全身に染み込んでいてね、
 息をするだけでそれが出ちゃうわけだよね。
 飾らずに、へりくだりもせずに、
 ただ事実を目の前に置くと、絵になってくるわけだ。
 ぼくは、ある意味、「おう」とか「いいね」とかね、
 かけ声というか合いの手を入れてるだけでいいの。

 それでも、かけ声や合いの手もね、
 それはそれで、歌であり絵でもあるんだよね。
 これまでの経験というやつが染み込んでたものが、
 かけ声にだってでるんだぜ、ほんとだよ。
 合いの手が、編集作業をしていることもあるし、
 他のメンバーの楽器をよく鳴らすこともあるんだよー。

 こういう場では、いわゆるジャンルなんて無意味なんだ。
 歌謡曲だとか、ジャズだとか、ポップスだとか、
 どうだっていいんだよね。
 この人とこの人が出会うとおもしろい、という
 そっちのほうが重要なんだよ。
 思えば「ほぼ日」って、そういうことをしたかったんだ。
 こういうターゲットだとか、こんなジャンルだとか、
 「個性」を表現するために、いろんな不自由なワクを
 じぶんでつくっちゃうことがよくあるよね。
 そういうの関係なくやりたいと思ってはじめたんだ。
 「おもしろいけど、説明がむつかしい」って言われるの、
 「ほぼ日」では、かえって望むところだもんねー。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
整理整頓されて名付けられちゃったら、それまでだからね。


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