鈴木涼美(社会学者)

 「すみません、ミス慶応の出場者を募ってる者なんですが、ぜひ出て下さい!」と当時大学に入って間もない私に声をかけてきたのはTシャツにシャツを羽織ってちょっとしたネックレスをつけた男だった。もちろん「あ、でも君の場合は勿論あれです。エントリー写真は顔のアップじゃなくて乳の谷間のアップで」というオチつきで。失礼な。

 そういう、大して面白くはないけれどその場は盛り上がるような笑いを彼らは持っていた。その数ヶ月前、入学式の翌日、日吉でも三田でもない辺境のキャンパスで広告研究会の「キャンスト班」の新歓お茶会にも行った。先輩たちが飲めよ食べよその代わりぜひ入ってね、とやる例のやつである。テーブルで話題になるのは去年の海の家で誰と誰がヤッたとか付き合ったとか、一昨日の三田との合同のバーベキューで誰と誰がヤッたとか付き合ったとか、夏は誰々がクルーザーを借りるらしいとか、誰々の親はなんちゃら株式会社の社長だとか。

暴行問題で揺れる慶応大学日吉キャンパス=13日、横浜市港北区
暴行問題で揺れる慶応大学日吉キャンパス=13日、横浜市港北区 
 どれもこれも別にすごく面白くはないが、場がしらけずに湧く。時は2002年。ちょうど早稲田の有名サークルのトップが逮捕されたことが話題になっていた頃である。慶応の広研はそれよりは随分上品に、けれども若さで想定しうるありきたりなことはすべて内包していた。セックス、恋愛、お酒、オシャレ、不真面目、オカネ儲け、嫉妬、仲間、遊び、遊び、社会、悪意、ノリ、リアル。どれをとっても別に特別なことではない。特別なことではないが、どれも真剣に全うしようとすると結構時間と手間がかかる。



 2002年当時はまだ「リア充」なんていう便利なコトバは一般的ではなかった。その代わり、慶応の辺境であるSFCには暗い、マニアック、オタク、真面目っぽい、ダサい、キモいで形容されるような在り方はたくさんあった。その対義語、アンチテーゼとして彼ら広告学研究会らの佇まいはあった。私はここ10年「リア充」というコトバが一般名詞として使用される度に、なんとなく広研の人らを想起する。



 この度、そのリア充集団である広研は未成年の飲酒問題で伝統あるイベントのミスコンを中止にしてしまったことを発端とし、集団レイプ疑惑やら美人局疑惑まで浮上し、ポリティカリー・インコレクトな存在として不名誉な脚光を浴びているらしい。私は失礼なミスコンスカウトや入学直後のちょっとした飲み会などの縁しかない同サークルを擁護する義理も愛も何もないし、そもそも法律を破った人らに肩入れする熱意のある異端派でもない。ただ、彼らをただの鬼畜で非人道的な犯罪者集団として説明してしまうような安易さは、後々自分自身の首を締めるのではないかとちょっと懸念しているだけだ。おそらく杞憂に終わるし、おそらく気のせいだが、あまりにコレクトネスにとらわれると、逆に正しさへの自然な敬意を失うこともある。