最近のカルネ村には新たな日課が出来ていた。
朝も早くから働きクタクタになると、いそいそとその場所に向かう。
そこは石造りの壁に囲まれた建物で、村の中で一番立派かも知れない。それもそのはず、村の大魔法詠唱者のアインズが一から全て作ったのだ。その建物は入り口が複数に分かれており、それぞれの場所に散ると皆汚れた服を脱ぎ、その扉を開ける。
そこには並々と温かい湯が張られた大浴場だ。
風呂は用意するだけでも手間と時間がかかるため、村人は頻繁に入る習慣はないし、贅沢すぎて川で体を洗う、濡らした布で体を拭うのが一般的であった。が、アインズが突然作り、無料で開放した浴場に村人は毎日入らずにはいられないほど虜にさせられた。
「ふぁ~~~、もう最高だわ~~~」
「お湯に入ってるだけなのにこの極楽感・・・ゴウン様万歳よね~~」
湯船に浸かってこれでもかとダレているエンリに、近所のおばちゃんもうっとりとお湯に身を任せていた。
「お風呂にはいると疲れって溶けちゃうのね。もう、昔の生活に戻れない~~」
はふぅ、と顔を赤らめていたエンリはふと、隣の男湯に目を向けた。
「ンフィー!そっちの湯加減ど~お?」
「っ!!えええ、エンリ?!う、うん。すっごく気持ちいいよ!!」
「でしょぉ?ンフィーも毎日入ろうよ。迎えに行ってあげるから」
「ま、まま、毎日、え、エンリ、と~~~~っっ」
最後はなんだかブクブクと沈むような音が聞こえたが、お風呂の気持ちよさにエンリはどうでもいいと手足を伸ばした。
ンフィーレアが村に引っ越してきてから、ポーションの研究のためにバレアレといつも家に篭もっている。そのため薬草の臭いなのだか濃い体臭の臭いなのか解らない異臭をまとっていて、エンリには我慢ならなかったのだ。これからは強制的に連れてこようとエンリは決めていた。
そしてこちらはまた別の湯船では、人間の姿は全くなく入るのはゴブリンにデスナイト、それにアインズである。ここは別名モンスター湯だ。
「あ~~~、生き返るわ~~~」
教えられたわけでもなく、顔にお湯をバシャバシャかける姿は小さいおっさんである。はじめは、水に体を浸したり臭いを落とすことに抵抗を示していたゴブリン達だったが、アインズの「女の子は臭い男は嫌い」という言葉にあわてて風呂に駆け込んだのだ。
俺たちのエンリ姉さんに嫌われたら生きていけねぇとのことだ。しかし、一度入ってしまえばその気持ちよさに癖になり、言われなくても入るようになっていた。
「スケルトンの旦那もすげぇの作りましたねぇ」
未だ洗い場から動けないアインズに、ジュゲムが尊敬の声を上げる。一生懸命デスナイトと一緒に自分の体を洗っていたアインズは振り返るとため息の真似事をする。
「村人に気に入ってもらえて良かったよ。これで無職にならずにすんだ」
村の防壁を作ったあと、何の仕事もないアインズは焦った。働かず、ぶらぶらと遊んでいたらご近所の噂となり白い目で見られてしまう!
そんなことは全くないし、むしろ一番の稼ぎ頭にそんな目を向ける輩はいないのだが、なぜか仕事をしない者は生きている価値なしという強迫観念が根付いており、働いていないと落ち着かない。
そこで、風呂屋を開業したのだ。ただお湯を沸かしているだけでいいのでアインズでも簡単に出来た。川の水をファイヤーボールでお湯にし、朧気な知識で薪式のボイラーを作って保温を可能にした。
24時間入れる風呂に村人からは好評である。カルネ村の名物になればいいな、アンデッド銭湯。―――その名称と店に掲げられたドクロにより、知らない人間からは禍々しい雰囲気しか感じられないことはアインズは気づいていない。
「旦那がスケルトンじゃなきゃ、文句なしに姐さんを任せられんだけどなぁ」
再び体を洗うことに集中するアインズを見ながらジュゲムはため息をつく。しかし、スケルトンでは一番重要な子作りは出来ないだろうと諦めて、次に見込みがあるンフィーレアを絶賛応援中である。
だがしかし、それに立ちはだかるのもエンリとネムの親代わりになっているアインズであった。エンリと交際したいのなら俺を倒してからにしろと邪悪なオーラを立ち上らせた。気分は魔王に立ち向かう勇者ンフィーとゴブリンの仲間たちだ。だが、それもネムの協力によりハッピーエンドを迎えられそうである。
最終的に体の洗浄にキレたアインズを眺めながらジュゲムは姐さんが幸せになればそれでいいと目をつぶった。
*****
「悪魔討伐、ですか?」
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話はこうである。
ある冒険者達が街道の警備をしていたのだが、近くに野盗の根城があると聞き様子を伺いに行ったのだが、その野盗がモンスターに襲われていた。遠くから伺うだけだったのだが発見され、逃げることは出来ずに戦闘。しかし、相手がすさまじく強く、異常を知らせに走ったレンジャーとなぜか見逃された女戦士だけが生き残った。
それから数日経っているのだ、そこに悪魔はもういないだろう。しかし、絶対とも限らないので調査し、遭遇したら討伐という仕事だ。
「悪魔の種類は?」
「解らんね、見たことも聞いたこともない姿だから突然変異かもしれん」
組合長アインザックの話にモモンは眉を寄せた。情報が少なすぎてどのように対処するべきか迷う。カルネ村の財政は落ち着いたから金の心配は今のところ必要はない。無駄に危険な依頼を受ける必要はない。依頼を断ろうとすると、横から"クラルグラ"のイグヴァルジがしゃしゃり出る。
曰く、モモンの実力に疑問を感じるからテストしてやるとのことだ。イグヴァルジとモモンのチーム(ペテルがリーダーだと何度言っても聞かない)で依頼を受けて実力を見てやると。
あんまりにもモモンに噛みつくので組合長もコメカミをひくつかせているが、モモンは仕方がないと思う。
(そりゃ入ったばっかの新人が今まで努力してた自分と同じ席に座られたら面白くないよなぁ)
気持ちも分からなくはないので、モモンも穏便に済まそうとしているのだが火に油の状態である。なら実力を示すしかないのだろうと諦めるが、問題は悪魔の実力である。
ランクは鉄とはいえ、冒険者数人を楽に屠ったのだ。下級悪魔ではないだろうな。それは組合長も思っていたらしく、渋い顔をした。
「悪魔相手にたった2チームなど、容認できん。全員が出るべきだぞ」
しかし、イグヴァルジが引かずに喚くものだから、こめかみの血管がキレそうになったところでモモンが止めた。
「悪魔がいまだそこにとどまっている可能性は低いですよね?むしろ、近くの村や町を狙っているかも知れませんし、ミスリルクラスが全て出払うのもまずいからイグヴァルジさんは2チームと言ったんじゃないですか?」
フム、確かにそうかと頷く組合長にイグヴァルジがまたモモンを睨む。助け船を出したのに睨まないでくださいよ先輩。
「しかし、洞窟で遭遇したらひとたまりもないぞ?」
「それでしたら、私の切り札があります」
切り札?と、全員が身を乗り出したのでそれを出す。
「魔封じの水晶です。中身は第八位階魔法」
言ったとたん周りの異様な熱気にモモンは怯む。前回の戦闘の反省から、モモンのままでも勝てる切り札を用意するべきだと考え、魔封じの水晶を用意したのだ。モモンでも勝てない相手だとそれぐらいの魔法が良いと思い第八位階にしたのだが・・・失敗したかも知れない。
皆、伝説級の魔法に興奮するなか、特に魔術師組合長のラケシルの興奮がハンパなくてモモンはどん引きである。
見せて欲しいと血走った目で見られたら渡す以外の選択肢はない。没収はさすがにないだろうと、他も触りたがるのでバケツリレーの要領で全員に触らせてラケシルの元に届ける。鑑定魔法をかけて良いかと聞かれ、何も考えずに頷いたが後悔した。
受け取ったときは欲しい宝石を貰った女のような恍惚した、いや、欲しい物を手に入れた少年のような表情を浮かべていたのだが、まだ理性が働いている状態だった。鑑定でアイテムの情報を確認したラケシルの感情は爆発し、暴走を始めた。
「本当だよ!これに封じられているのは第八位階の魔法だ!私の魔法ではこれが精一杯だが・・・いや、これはすげぇ!すげぇ!」
「おち、落ち着け!何をしているんだ!」
水晶を掲げ、頬ずりし、舐め回したところでモモンは悲鳴を上げる。なんだこの変態?!モモンのどん引きに、組合長であり、ラケシルの仲間のアインザックが仲間の非礼を詫びながら取り上げようとするが、がっちり掴んではなさない。
「ばっか!これが落ち着けるか!すげぇよ、これ!マジで封印されているのは第八位階だぞ!さすがに何の魔法かまではわかんないけどよ!」
キラキラしたオメメでどこで手に入れたか聞いてきたが、全く覚えていないので適当に煙に巻く。組合長の努力によりようやく返却されたが、涎まみれの水晶にモモンは若干身を引いてつまみ上げる。
さすがにもういりませんともいえないので持っていた羊皮紙で入念に拭って別の羊皮紙にくるんで仕舞った。ラケシルの目が怖い。見せるんじゃなかった。
「ところで私は―――モモン殿が悪魔退治に行くことは反対だ!」
「おまえいい加減にしろ!!」
悪魔ごときにもったいない!!とラケシルが喚く様はもはや子供である。アインザックも苦労するだろう。
「何も悪魔に遭遇すると決まった訳じゃないですし、戦闘になっても使うとは限りませんよ」
モモンもなだめに入れば、少しは落ち着いたらしいラケシルがじゃあと、いくつかの強力なスクロールを渡してきた。
「こ、これを使ってくれ!その水晶のなかの魔法は神の領域なんだ!!本当に貴重なんだ!!くれぐれもおいそれと使わないでくれ!!」
「ラケシ―――ルッ!!!!」
ついにラケシルのもとに鉄拳が落ちた。
*****
渡されたスクロールを返そうとしたら、アイザックに迷惑料と思って受け取ってくれと深々と頭を下げられた。ぶっちゃけ、アインズにとっては弱い魔法しかないのだが、ニニャにでも上げようとそのまま受け取ってきた。
討伐に出発するまで二日、準備期間を貰ってモモンは漆黒の剣に相談した。やはり相手の強さが未知数なため、そのまま連れて行くのははばかられたのだが、4人はアッサリ了承した。
「大丈夫ですよ。モモンさんと一緒なら」
楽観視とも取れるが、それだけ信頼されている証でもあるのでモモンも頷いた。次に情報収集だと、生き残った冒険者に会いに行ったら見たことのある女冒険者に驚いた。―――世間って狭い。すでにイグヴァルジが話を聞いていた後らしく、すぐに当時の状況を話してくれた。
*****
その悪魔は、野盗が根城にしている洞窟から出てきた。最初は獣人の一種かと思ったのだが、牙の生えた山羊の頭にそれは違うと気がついた。小悪魔を従えて優雅に歩くその手には野盗の頭部が握られていた。むろん体はその下にはない。
遠くから伺っていたが、すぐに撤退しようと仲間が言う。おそらく我々では勝てないだろうと、―――しかし、すでに気付かれていた。
「おや、もうお帰りですか?せっかくですし遊んでいきません?」
頭上からの声に、女戦士、ブリタは短く悲鳴を上げた。いったいいつの間にと、すぐさま戦闘態勢に入るが、力の差がありすぎて何の抵抗にもならず仲間が倒れていき、ブリタだけが残された。
ブリタだけなぜ残されたのか、それは目の前の悪魔の言葉ですぐに解った。
「フム、・・・人間の女が、悪魔の子を孕む事は可能なんですかね?」
これほど女の身を後悔したことはない。逃げようにも、悪魔が何かしたのか硬直した体は指一本動かせない。従う小悪魔が手を叩いてはやし立てる。
「幸運な女だ!我が主の寵愛を受けられるのだから本当に幸運だ!!」
「―――別に好みではないんですが、今後確認する必要があるでしょうし、確認だけなら後腐れない方がいいですしね」
ニタリと笑い、南方の衣装である仕立てのよいスーツの襟をゆるめる山羊顔にブリタは思考を放棄した。延ばされる鋭い鉤爪が付いた手が目前に迫り、目を閉じることも出来なかった。――――――が、悪魔の動きが止まり明後日の方を見ると顔をゆがめた。
「―――召喚した奴らが、倒された?あの逃げた男か?しかし方向が違う。・・・チッ、俺に報告もしないで死ぬなよな。何のために周囲に展開してると思っているんだ」
ブツブツと呟きながら何らかの魔法を使った悪魔はブリタに目もくれずに眷属を殺した存在を探していた。
「やっぱ悪魔はバカだな、主人の言ったことしか出来ない。俺の気持ちを汲んで行動出来るような出来た部下が欲しいなぁ。―――ああ、懐かしい。あいつみたいな悪魔を作ってみようかな?でもどうやって作ればいいんだ?昔みたいにはいかないよな―――」
独り言を呟いていた悪魔は不意に黙るとニタリと笑った。
「見つけた。どこのバカだ?この俺に喧嘩を売ったのは―――っ?!」
しかし、驚愕に目を見開き「バカな」と手で口元を覆った。
「ワールドアイテムか?いや、本物とは限らない―――だが」
チッと舌打ちを打つと、ブリタを無視して空に飛び上がり忌々しげに森の向こうを睨みつけた。
「・・・昔ならいざ知らず、何の装備もない今の状況じゃ危険だ。―――撤退するぞ!」
そう悪魔が命じると、周囲から何かが飛び立つ音が聞こえた。ブリタの近くにいた小悪魔も慌てて飛び上がると主人の元へと急ぐ。そして、その場で悪魔達の姿が掻き消えた。
ブリタはしばらく立ち尽くしていたが、悪魔が去ったことを理解すると足がガクガクと震えてその場に座り込んで泣いた。
*****
「それ、バフォメットじゃないんですか?」
「バフォメット?」
周囲の困惑した顔に「あれ?知りません?」とモモンは首を傾げた。
「上位悪魔の種類ですよ。頭が山羊で体は人間という姿の悪魔」
見たことも聞いたこともない突然変異と聞いていたのに。しかし、周りを見れば「そんな悪魔が」と震えていた。―――これも自分のズレなんだろうか?そう言えば、自分の姿を見ると必ず「エルダー・リッチ」と呼ばれる。本当は「オーバーロード」何だが・・・。どうやらここいらではそう言う上位種は見かけないようだ。
しかし、バフォメットとなると魔封じの水晶は使わざるを得ないかも知れないなぁと、モモンはため息を付いた。
*****
イグヴァルジから馬の用意をしておくようにと言われた。その言葉にモモンは固まり、震える声で言った。
「わたし・・・、馬乗れません」
目を丸くしたイグヴァルジに、モモンは体を小さくした。乗馬なんて一度も経験がない。借りた馬で試してみたが、まず馬が怖がって乗せてくれない。たぶんアンデッドだと察知しているのだ。
馬車でも用意するしかないかと渋い顔をするイグヴァルジにションボリするが、ペテルが良いアイディアが有ると声を上げた。
そして当日、ドヤ顔を披露するハムスケがエ・ランテルの城門前で待機していた。
「殿!このハムスケ、殿の元に馳せ参じたでござる!!」
「自分で走ります!走って皆さんについて行きます!!」
「モモンさんわがまま言わないでくださいよ。せっかくハムスケさんも来てくれたんですから」
「いやーっ!!この歳でハムスターに乗りたくない―――っ!!」
「かっこいいですって、ちょっとだけちょっとだけ試しに、ね」
森の賢王に驚愕するイグヴァルジのチームだったが、さらに展開される漆黒の剣のコントに開いた口が塞がらない。なぜそんなに嫌がるのか理解できない。
ちなみにハムスケの登録はルクルットが済ませていた。