実は、僕の顧問辞任は大したことではない。一水会、そして右翼全体が今、大きな激震に襲われている。事情通の人なら知ってるだろうが、一水会は、このところ、右翼全体からもの凄い批判を浴び、攻撃されてきた。何せ「国賊!」とビラが貼られ、右翼の街宣車が押しかけていた。高田馬場の一水会事務局だけでなく、木村三浩氏(一水会代表)の自宅まで黒い街宣車が押しかけて「国賊!」と攻撃していた。その中で話し合いも続けられ「これからは一切、右翼と名乗らない」と木村氏は言い、「脱右翼宣言」をした。その経緯については一水会のHPなどに書いてあるので、関心のある人は読んだらいいだろう。又、今発売中の『宝島』(9月号)に木村氏がその事情を話している。くしくも、『宝島』はこの次の号で休刊になる。この『宝島』のタイトルが凄い。編集部が付けたのだろうが、こうなっている。
〈“右翼落第”と言われて
「黒幕」と呼ばれた男の自省録
一水会代表・木村三浩〉
木村氏や僕などはテレビや新聞に出て喋ることが多い。運動をする者として、「この問題はどう思うのか」と聞かれたら、答える義務があると思っているからだ。又、質問だけでなく、対談や討論番組でも呼ばれたら逃げないで応じてきたつもりだ。そのたびに「これは一水会の考えだが」とか「個人的にはこう思う」と言ってきたが、あたかも「右翼全体」の考えのように発表されることもある。それは僕らも気を付けているのだが、誤解されることも多い。右翼全体としたら「こいつらはもう右翼ではない!」と怒る。特に、木村氏が鳩山由紀夫氏と一緒にクリミア訪問したことが大きい。「ロシアの味方をしている!」「売国的行為だ!」となって、右翼の街宣車に押しかけられた。「右翼が右翼の街宣車に取り囲まれて攻撃される」という奇妙な事態になった。まわりの住民にとってはたまらない。「警察は何とかしろ!」と言う人がいても、警察は一切止めない。やらせている。わざと事を大きくさせているのだ。公安警察はむしろ、たきつけている。右翼団体を回って「一水会はこんなことを言ってますよ。こいつらはもう右翼じゃない。抗議しましょう」と煽っているのだ。
『宝島』はタイトルこそセンセーショナルだが、中身は真面目だし、木村氏も真剣に話している。リードにこう書かれている。
〈「猪瀬前都知事5000万円授受」「鳩山由紀夫氏のクリミア訪問」で注目された大物右翼が“脱右翼宣言”〉
さらにこう書かれている。
〈ふたつの“騒動”でメディアから“黒幕”としてバッシングを受けた“大物右翼”木村三浩一水会代表。新右翼の論客として知られる木村氏だが、この5月、突如「脱右翼」を宣言。その理由、そして騒動の真相を、自省を込めて語り尽くした〉
ふたつの“騒動”というが、問題とされてるのは「クリミア訪問」だけだ。それに、一水会に対し、「こいつらはもう右翼ではない!」という批判は昔からあった。僕の発言や行動に対して、ずっとあったのだ。一水会を作ったのは1972年で、僕が代表をやってきた。2000年からは木村氏が代表をやっている。この代表交替の時も「こいつらは右翼じゃない!」「鈴木は国賊だ!」という右翼の批判が多く、そのため僕が責任をとって代表を辞めた。そんな経過もあった。それがずっと底流にある。だから僕の責任も大きいと思い、今回は顧問も辞めたのだ。
2000年に木村氏が新しい代表になったが、1999年は「国旗国歌法」が法制化された年だ。僕は法制化には疑問だったし、「法の強制」がないと国旗、国歌と認められないのか、と反対した。僕は「日の丸」「君が代」は好きだ。ただ、学校などで強制されることには反対だった。この法律が出来たあと「起立しているか」「本当に声を出しているか」をチェックしていた。こんなことまでして「君が代」を強制されるのでは「君が代」がかわいそうだ。又、「日の丸」だって利用される。もっと大事にしていいのではないか、と思った。そんなことをいろんなところで言った。これは僕だけでなく、他の人も言っていた。
このかなり前だが、愛国党の赤尾敏さんは、「日の丸、君が代は大人が大事にして見せたら、子どもはそれを見て、ならう」と言っていた。大事だと思う大人が、たとえば国会議員が国会で毎日、日の丸の前で「君が代」を歌えばいい。起立しないからといって共産党や社民党の議員を処分できない。国民に選ばれた代議員だからだ。だから、弱い立場の学校に押しつけている。これはおかしい! と言っていた。僕はそれには大賛成だった。そして「朝日新聞」にこう書いた。問題をはっきりさせるために、国民投票をしたらどうだ。それで国旗・国歌を決めようと。「その結果、国旗が赤旗になったら従う。国歌がインターになったら歌う」と言った。絶対にそんなことはないと思ったから、安心して言ったのだが、右翼の多くはこれにカチンときた。一水会の若者が街宣していても、他の右翼の人に取り囲まれ、「お前のところの代表は、国旗は赤旗でいいって言ってるぞ」「インターが国歌でもいいと言ってるぞ!」って言われる。これには僕もまいった。後輩たちに迷惑をかけられないと思い、代表を辞めた。そして2000年からは木村氏が代表になった。僕は顧問になった。それから15年。今度は顧問も辞めたのだ。
この暑い夏、多くの人に心配をかけたが、木村氏も僕も元気です。これからも新しい挑戦をしていこうと思っています。今後ともよろしくお願いします。