理学部生物学科

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ヒガシナメクジウオの氏素性

天然記念物にもなっている日本で最も普通のナメクジウオ類の種の和名と学名が、「ナメクジウオ Branchiostoma belcheri」から「ヒガシナメクジウオB. japonicum」に変わっています。その経緯や理由を説明します。

本土に広く分布するヒガシナメクジウオ

ナメクジウオ類は長さ数cm、脊索動物門の頭索動物亜門に位置付けられる現生3属30種程度の小さな動物群で、おもに温暖な浅海で海底の砂のなかに潜んでいます。日本沿岸ではこれまで3属5種の確実な生息が知られていますが、そのうち最も古く発見されているのが「ナメクジウオ」という和名で呼ばれてきた種で、Branchiostoma belcheri (Gray, 1847)という学名で親しまれて来ました。なお他の熱帯系4種はこれとは別属です(最後に触れます)。「ナメクジウオ」は、頭索動物亜門全体に対する名称としても使われるため、どちらを指すか紛らわしいことから、安井金也博士の提唱(文献1)にしたがい、「ヒガシナメクジウオ」と呼ぶことにします(図1)。

ヒガシナメクジウオが発見されたのは1882(明治15)年で、石川千代松によって広島県鞆で浮遊幼生、そして松原新之助によって「豊前」(九州北東端)沖のドレッジで成体が、それぞれ採集されました。その後、関東から四国の太平洋岸、瀬戸内海沿岸、北九州沿岸、有明海、天草諸島、日本海の一部海岸(稀)、三陸海岸(稀)で次々に発見され、このうち広島県三原市の有龍島と愛知県蒲郡市の大島のそれぞれの砂浜潮間帯の一部が「ナメクジウオ生息地」として天然記念物に指定されています(文献2)。かつてはこれらを含めて各地の潮間帯(干潟)に多数出現したようですが現在ではそれもごく稀となってしまいました(文献3)。生息の中心は深さ数10mまでの潮下帯で、九州天草、瀬戸内海の一部海域、そして伊勢湾湾口部では高密度の生息が知られています。
ヒガシナメクジウオ

ナメクジ?、それとも魚?—頭索動物の系統的位置

脊索動物門には、ナメクジウオ類が属する頭索動物亜門の他に尾索動物亜門と脊椎動物亜門が含まれます。脊椎動物亜門はわれわれヒトから魚類まで、背骨(脊柱)を持つという共通の性質をもちますが(一部例外あり)、個体発生ではまず「脊索」という細長い器官が現れ、次第にその周りにカルシウム成分が沈着して背骨が形成されます。他の2亜門は、脊索は出現するが背骨はできないという、いわば脊椎動物の一歩手前という動物で、頭索動物が脊索を体の前端から後端までの全長に一生持ち続けるのに対し、尾索動物(ホヤなど)では脊索は尾部に限られる点で区別されます。

頭索動物(ナメクジウオ)は背骨も頭蓋も眼も鱗も顎もない—ないないづくしですが、全体に魚類のような形をしており、基本体制も魚類によく似ていることから、脊椎動物に最も近い無脊椎動物と信じられてきました。ところが、多数の遺伝子を一度に比較する大規模な解析の結果から(たとえば文献4)、今では脊椎動物が最も近いのは尾索動物であるとの考えが広く支持されています(図2)。それではさきの「基本体制の類似」はなぜかといえば、この体制は脊索動物すべて(脊椎動物+尾索動物+頭索動物)の共通祖先にすでに備わっていて、その古い特徴が脊椎動物にそのまま引き継がれ、他方、尾索動物は、脊椎動物との共通祖先から分岐した後で大きく変身してしまった、と解釈されます。染色体上の遺伝子の配列からみても、頭索動物は脊椎動物とよく似ている一方、尾索動物では遺伝子がなくなったり位置を変えたりしています。尾索動物に進化する過程でよほど大きな事件があったのでしょう。それは、尾索動物にしかない「被嚢」(セルロースを含んだ外皮)の獲得と関係がありそうですが、その話はまた後日のお楽しみとして、ナメクジウオの話に戻りましょう。

私の長年の体験からも、ナメクジウオが生きているときにはなかなかすばしこいので、「ナメクジ」というのったりした名は似合わないように思えます。それなのになぜ「ナメクジ」なのでしょうか。古い文献をたどると、「ナメクジウオ」という名称が登場するのは、ヒガシナメクジウオが発見される6年前の1876(明治9)年のことです。当時、文部省から初等教育用に教育掛図が相次いで発行されましたが、そのうちの『小学掛図:動物第三、爬虫魚類一覧』(田中芳男著)に「ナメクヂウヲ 蛞蝓魚 地中海ニ産ス諸有脊動物中最不全ナル者ナリ故ニ往昔ハ柔軟類ノ蛞蝓属トセリ」と出ています(小学生にこんなことまで教えようとした志と意欲がすごいですね)。1774年に頭索動物が世界で最初にイギリス産標本に基づいて記載された時、軟体動物のナメクジの1種とされてLimax lanceolatusという学名を与えられた故事にちなんだものです。この学名を創設したのはロシアの大生物学者P.S.Pallasですが、その名誉のために付け加えておきますと、彼が調べたのはイギリスから送られた“動物の押し葉”=乾燥標本だったと想像されます。これでは、解剖して内部構造を精査することもできず、外形にたよって腹部にある平らな部分を軟体動物腹足類の「足」と見誤っても仕方がなかったように思います(より詳しくは文献5参照)。

それでは「ウオ」はどうでしょうか。現代の分類体系から言うとナメクジウオは魚でないことはすでに説明しました。しかし、明治初年に日本人が参照できた情報では、この動物は「最下等の魚類」と位置付けられていましたから、「ウオ」でよかったのです。
脊索動物の系統

ヒガシナメクジウオの分類学

ヒガシナメクジウオの分類学的な研究はE.A.Andrewsに始まります。彼は、当時シカゴ大学准教授の渡瀬庄三郎から送られた福岡市志賀島産6個体を仮にBranchiostoma belcheriと同定して1894年に発表するとともに、今後は日本人自らの手で分類学的研究を深めてほしいとエールを送りました。これにこたえて先の志賀島産標本の採集者でもある第五高等学校(熊本)の中川久知が、天草御所の浦産の多数の標本について形態変異を詳細に調べました(1897年)。この中川に献名して、魚類学者D. S. JordanとJ. O. Snyderが1901年、三浦半島三崎産標本に対してBranchiostoma nakagawaeという新種を創設しました。

それに先立つ1897年、ケンブリッヂ大学のA. Willeyは、志賀島産個体を記述したAndrewsの上記論文を引用する形で、日本個体群を、典型的なAmphioxus belcheri(彼は属名としてBranchiostomaを認めなかったようです)から地理的に区別すべき新しい変種varietyと位置付け、Amphioxus belcheri var. japonicusと名づけました。これが、ヒガシナメクジウオの現在における正式名称(有効名といいます)Branchiostoma japonicum (Willey, 1897)の発祥です。なお、種小名japonicusjaponicumに語尾を変えたのは、属名の性が男性から中性に変わったためです。国際動物命名規約(文献6)では、たとえ種より低位の階級(この場合は変種;ただし1960年よりも後に新変種として提唱された学名は無視されます)で創設されても、その学名はこの事例のようにおなじ著者(命名者)と年号をもった種小名として扱えます。なお、著者と年号を囲む丸かっこにはちゃんと意味があって、この種が創設された時と現在とで属名が変わっていることを示します。命名規約が出てきたついでに、さきのB. nakagawaeB. japonicumよりも創設年が遅いので(つまり、前者は後者の新参異名)、命名規約の「先取権の原理」が適用される結果、有効名にはなりません(もちろん、志賀島と三崎の地域個体群を同一種と考えるかぎりの話ですが)。

また、新種創設のもとになった標本が採集された場所をタイプ産地といいますが、B. japonicumのタイプ産地は、命名者Willeyが引用したAndrewsの標本の産地である志賀島、B. nakagawaeのそれは三崎となります。ちなみに、B. belcheriのタイプ産地はボルネオ島サラワクの西端近く、その昔「首狩り」で有名だったクチン郊外のLundu川河口です。

さて、20世紀に入ると、次第に、ドイツや米国の有力な学者たちが、B.japonicumB. nakagawaeB. belcheriと同一種とみなすようになり、日本でも1950年前後からはこの見解に異論が出なくなったため、B. japonicumは使用されなくなりました(以下で触れるB. tsingtauenseという学名は無視されていました)。つまり、ヒガシナメクジウオが広くB. belcheriと呼ばれるようになってから半世紀以上を経過していることになります。

中国のナメクジウオ属

中国大陸沿岸では、南部の福建省アモイ(Xiamen)で昔からナメクジウオ類が多産し、「文昌魚」とよばれて好んで食べられ、1932年には年間約35トン(15億匹相当)が漁獲された程です。この個体群は、近代科学の文献で言及された当初からB. belcheriと呼ばれていました。また北部のチンタオ周辺(膠州湾の湾口部)でも高密度に分布する海域が見つかり、ここで採れた個体がアモイのものと形態的に区別できるとして、B. belcheriの新変種B. belcheri var. tsingtauense Tchang-Si et Koo, 1936が創設されました(創設時の語尾の誤りを訂正してあります)。

私はまだ大学院生のころ、ヒガシナメクジウオとは別属のナメクジウオ2種を日本列島沿岸から発見したことをきっかけに、すでに解決済みとして注意が向けられていなかったヒガシナメクジウオの分類学的研究をきちんとやってみようと思いたちました。文献情報をまとめるとともに、いろいろな研究機関に保管されている標本多数を形態的に詳しく調べてみました。なにを調べたかというと、いろいろな形質に着目してはみましたが、最終的には、これまで伝統的に重視されてきた、筋節(体側を覆う「く」の字型の筋肉節)の数、および、背部全長と腹部の出水孔から肛門の間にある「土手」のように盛り上がった部分にある小室の数(それぞれ背鰭室、肛前鰭室と呼びます)をカウントしました(表1)。

その結果、チンタオとアモイの個体群が区別できることを再確認するとともに、日本個体群(つまりヒガシナメクジウオ)はおおまかにいってチンタオ個体群(つまり“B. belcheri var. tsingtauense”)とよく似ていることを初めて明らかにしました(文献7)。ただし、日本国内でも有明海・天草産は他よりも筋節数が少ない傾向にあるのが奇妙ではありました(この結果は天草産の膨大な数の標本による後の研究でも支持されています、文献8)。

ともあれ、この結果から、遺伝子レベルでも日本とチンタオの個体群はよく似ている一方、これらとアモイ個体群とは明瞭な違いがあるだろうとの仮説がたてられます(有明海・天草個体群がどのように位置づけられるにも興味がひかれました)。ところが、共同研究者とともにこれを検証してみると、意外や意外、天草を含む日本各地からのサンプルもチンタオのもアモイのも、形態的な違いにもかかわらず遺伝的には全く区別がつかないこと、つまり同一種とみなしてよいことがわかりました(野原正広ら、未発表)。この結果を論文にまとめつつあった2004~6年、アモイ大学の研究グループから驚くべき論文が相次いで発表されました(文献9-11)。
中国と日本に生息するナメクジウオ属標本の形態比較

アモイにBranchiostoma属2種が生息

遺伝子を調べてみるとアモイで採集したサンプルが2つのグループに明瞭に分けられ、両者には形態的にも違いが認められたのです(生殖時期も少しずれているとされます)。これらのグループを仮にアモイA、アモイBとしますと、日本個体群(塩基配列データはGenBankに登録されていたものを利用)とAは塩基配列がわずか0.5%程度の違いしかなかったのに、Bとは20%も異なっていました。彼らは、日本個体群とチンタオ個体群が形態的によく似ているとの私の上記論文にも依拠して、アモイA=日本個体群=チンタオ個体群=B. japonicumB. nakgawaeB. tsingtauenseは新参異名)、アモイB=B. belcheriとしました。形態的にも、肛前鰭室数がアモイAで48-64となり、日本やチンタオの標本とよく一致します(表1をご覧ください)。

先の我々の未発表データをアモイ大学グループの研究成果に照らしてみると、両者はB. japonicumに関する限り矛盾しませんし、命名法的にも問題がありませんので、ヒガシナメクジウオの有効名としてB. japonicumを採用することにしました。なお、我々の上記未発表データでは、B.japonicumB.nakagawaeのタイプ産地から採集されたサンプルも含めて解析していることは言うまでもありません。

結局、我々が分析したアモイのサンプルにはAしか入っていなかったことになります。実はこのサンプルは、台湾の知人に依頼してやっと入手した台湾領金門島沿岸産の、ほんの数個体です。中国本土側のサンプルは、当時いろいろ手を尽くしたのですが残念ながら入手できなかったのです。

それはそれとして、もうひとつの、アモイB=B. belcheriという取り扱いはどうでしょうか。率直に言って、これは問題を含んでいると思います。なぜこのように取り扱ったかは原論文に述べられていませんが、アモイ個体群が伝統的にこの学名で呼ばれてきたことから、そこからB. japonicumを取り除いたものをB. belcheriとしたのではないかと推測されます。しかし、先に述べたようにB. belcheriのタイプ産地はボルネオですから、そこから採集されたサンプルの遺伝情報と比較検討してみることが絶対に必要となります。
ボルネオにおける採集風景

B. belcheriの正体が見えた!-網羅的分子系統樹の威力

私は10年以上前から、東京大学海洋研究所(現在の大気海洋研究所)西田睦教授のグループとの共同研究で、現生ナメクジウオ類の網羅的分子系統樹の作成による進化経路の解明を目的としたプロジェクトを実施しています。西田さんは、魚類全体を対象とした包括的分子系統解析を世界に先駆けて行っていることでつとに有名です。我々は科学研究費補助金などの援助をうけ、実際に世界各地で野外調査して手に入るかぎりのサンプルを採集し、既知種を網羅した分子系統樹を作成しつつあります(これまでの成果は文献12-13参照)。

これにB. belcheriのタイプ産地であるボルネオ産のサンプル(私自身が2006年に正式許可の下スキューバ潜水で採取した海底の砂から選別したもの、図3)の分析結果を組み込んで系統樹を作成しますと、このサンプルとチンタオBのデータは互いによく似ており、まとまったひとつのクラスターをつくることがわかりました。また、B. japonicumの各産地からのデータも同様に輪郭のはっきりしたクラスターを作りますが、面白いことに系統樹上で両者の位置はかなり離れていて、太平洋やインド洋に生息するBranchiostoma属の進化経路の複雑さがうかがわれます。遺伝子マーカーでは明確に区別できるが形態的には識別困難な、いわゆる隠蔽種も続々と見つかっています。こうした結果は、現在、昆健志東京大学特任研究員が中心になって論文としてとりまとめていますが、ナメクジウオ類の進化経路の全体像を把握しつつある我々のプロジェクトならではの成果と自画自賛しています。

おわりに:日本沿岸産種の概要

日本産ナメクジウオの種多様性について、その最新情報を掲げておきます。私の旧著をこれによって訂正していただけければ幸いです。

*オナガナメクジウオ属Asymmetron:生殖腺は右側のみ。尾部糸状突起(脊索が筋節を伴わずに長く後方に伸びたもの)あり。

(1)・(2) オナガナメクジウオ種群 A. lucayanum Andrews, 1893 complex の種名未確定の2種:琉球列島のサンゴ礁域浅海をはじめ西太平洋・インド洋の熱帯海域に生息。遺伝情報でしか区別できない2種が、時に同所的に出現。2種ともに筋節数60前後。なおA. lucayanumという種の学名は大西洋個体群だけに使用される。(文献14)

(3)ゲイコツナメクジウオA. inferum Nishikawa, 2004:鹿児島県野間崎沖の水深229mに投棄された鯨骨の周囲にできた生物群集(鯨骨群集)の一員としてJAMSTECによって採集。筋節数83。既知種で唯一の深海性(文献15)。

*カタナメクジウオ属 Epigonichthys:生殖腺は右側のみ。尾部糸状突起なし。

(4)カタナメクジウオ E.maldivensis (Forster Cooper, 1903):紀伊半島南岸、種子島、琉球列島はじめ西太平洋・インド洋のサンゴ礁域浅海に生息:筋節数67-76。

*ナメクジウオ属Branchiostoma:生殖腺が左右両側にある。

(5)ヒガシナメクジウオ B. japonicum (Willey, 1897):本文のとおり。

系統分類学研究室
西川輝昭

引用文献

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