オーバーロード 新参プレイヤーの冒険記   作:Esche
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今回は独自設定が多めですので、ご留意ください。


(13)影走

 エ・ランテルの南東に広がる、アンデッドの多発地帯として知られるカッツェ平野は、今日も変わらない薄霧に覆われている。

 街道を進んでいた馬車の荷台に跳び乗り、ユンゲは眼下に広がる荒涼とした平野に臨む。

 見渡せる限りが血に染まったような赤茶けた荒野を眺めれば、草木も生えることのないこの大地をして、“呪われた地”と評したくなる気持ちも分かるというものだ。

「……この霧は厄介だな」

「ユンゲ、どうしたの?」

 誰にともなくこぼしたぼやきに、弾むように横を歩いていたキーファが小首をかしげる。

「いや、今回の討伐の間は探知魔法が役に立ちそうにないなぁ、ってさ」

 事前に話を聞いていたのだが、カッツェ平野の薄霧はアンデッド反応を示してしまうようだった。

 一年を通してカッツェ平野を覆っているというこの薄霧だが、リ・エスティーゼ王国とバハルス帝国が戦争を行う日に限っては、無数のアンデッドとともに姿を消すなど、もともと単なる自然現象では片づけられないような不思議な性質を持っているらしい。

 モンスターや魔法が存在しアンデッドが跋扈する、まるでゲームのような世界なのだから、霧が何かしらの意思に操られているといったこともあるのかも知れない。

 或いは、天候を操作するような魔法であれば霧を晴らすこともできるのだろうか。

 そんな取り留めのないことを考えてしまうものの、霧のために視界が制限される中、敵からの奇襲対策となる探知系の魔法が使えないとなれば、この地での依頼の危険度は跳ね上がるだろう。

「前にも言ったけど俺は前線に出るつもりだから、周囲の警戒はキーファが頼りだな」

「うんっ、任せてよ!」

 快活に答えたキーファが細い腰に握り拳を当てながら胸を張ってみせれば、短く括られたポニーテールが軽やかに弾んだ。本人に言えば怒られるかも知れないが、子供っぽい仕草が妙に似合うキーファの可愛らしい様子に、思わずユンゲの頬は緩んでしまう。

 取り繕うように咳払いを一つ、「俺が倒し損なった敵は、リンダに任せるよ。マリーは皆の様子に気を配って、危ないときには回復魔法を頼むな」と後ろを歩く二人を振り返って言葉を続ける。

「心得ています」

「はい、分かりました!」

 気持ちの良い二人の返事を聞きつつ、ユンゲはいつかのエ・ランテル共同墓地でのアンデッド騒動を思い返す。

 あのときのユンゲは、指示されるまま後方支援に回った結果、敵味方が入り乱れてしまった戦線を前に有効な手立てを打つことができなかった。

 今回はキーファたちを無暗に危険に晒さないためにも、やはり装備も充実しているユンゲが前線に立って身体を張るべきだろうとユンゲが思いを新たにしたところ――、

「あ、目標地点に到着したみたいだよ!」

 たたっと馬車の荷台、ユンゲの隣へと跳び乗ったキーファが前方を指差して声を上げた。

 キーファの示す先へ目を向ければ、先を進んでいた冒険者や馬車の集団が、街道を少し外れた辺りに足を止めて野営地のテント設営準備に取りかかり始めているのが見える。

「……ここを拠点にカッツェ平野に進攻するのか」

 冒険者組合でアインザックが説明を行った依頼概要は、参加する冒険者を大きく三つの部隊に分け、北側からカッツェ平野の中央へ向かってアンデッドを討伐していくというものだ。

 それぞれの部隊はアダマンタイト級の『漆黒』を筆頭に、ミスリル級の『虹』と『天狼』がリーダー格を務めることになったが、部隊とは言ってもバハルス帝国の軍隊のように明確な指揮系統を有するわけではなく、各冒険者チームが薄霧の中でも互いに視認できる距離を保ちながら進むことで、横合いや背後からの奇襲を防ぐことを狙っているらしい。

 また、カッツェ平野に足を踏み入れるのはシルバー級以上の冒険者に限り、アイアン級以下の冒険者は野営地に留まって、物資の守備や拠点の維持を担うことになっている。

 今回の討伐において、ユンゲたちが配置されたのはモックナック率いる『虹』の部隊だった。

 早くも設営に動いている冒険者たちの中にモックナックの姿を見止めると、向こうでもユンゲに気付いたらしく大きく手を振ってくれるのが見えた。

 トブの大森林で初めて会って以来、何かと縁があるのかも知れない。

 ユンゲとしては『漆黒』の部隊に組して、その戦いぶりを見てみたい気持ちもあったが、面倒見の良いモックナックには、いろいろと気にかけてもらっているので不満はない。

 モックナックに手を振り返しつつ荷台を降りたユンゲは、南方に広がるカッツェ平野の薄霧を一瞥してキーファとリンダ、マリーの三人に向き直って笑いかける。

「――よし、ささっと荷物を降ろしたら、すぐに戦いの準備を始めようか!」

 

 

 すっかりと陽の落ちた、街道傍に設けられたエ・ランテル冒険者組合の野営地。

 初日の戦闘を終えた多くの冒険者たちは、チームごとに割り振られたテントで静かな眠りに着いている。あまり音を立てないように行動している人影は、各チームから交代で見張り役となっている一部の者たちだろう。

 移動日ということもあり、昼間は街道の周辺に限ってアンデッドの討伐を行ったので、カッツェ平野の深くまで侵入する本格的な戦闘は、明日からということになる。

 激しい戦闘はなかったが、疲れを残さないためにしっかりと休息を取ることは大切だろう。

「……腹減ったな」

 見張りのため横倒しの丸木を即席の椅子代わりに腰かけ、目の前の焚き火をぼんやりと眺めていたユンゲは、懐からマローンの葉に包まれた夜食を取り出した。

 包みの結びの細紐を解き、意外なほどしっかりとした手触りの葉を慎重に剥けば、中身はファンタジー系の創作物では定番とも言える、エルフ特製の携行食――レンバスだ。

 ほんのりと甘みのある麦粉をベースにした焼き菓子の類いで、とんでもなく美味いということもないのだが、初めて口にしてもどこか懐かしいような素朴な味わいは、いつまでも食べていたいと思わせてくれる不思議な魅力があった。

 先日の冒険者組合での会合に参加できなかったキーファとマリーのやりたいことというのが、このレンバス作りだった。今回の依頼が数日に及ぶことから、ユンゲの異常な食欲を満たすためにいろいろと考え、宿の厨房を借りて作ってくれていたらしい。

 保存性に優れるレンバスは日持ちが良く、一つ口にすれば一昼夜も駆け続けていられるという評判――それでも、ユンゲは一度の食事で三つも消費してしまったのだが――も伊達ではない。

 空腹時に暴挙に出てしまうことを怖れ、大量の食料を持ち込まなくてはいけないことを危惧していたユンゲは、いざとなればアイテムボックスに無理やり押し込もうかとも考えていたのだが、二人が作ってくれたレンバスのお陰で、旅先での食料事情は劇的に改善された。

「本当はシロツメクサの蜜が手に入ればもっと美味しくできたのですけど……」とは、最初に試食として食べさせてもらったユンゲが、二人をベタ褒めしたときのマリーの言葉だ。そのままでも十二分に美味いのに、これよりもと考えるとユンゲの期待は否応なく高まったものだ。

「この世界に来てから、美味いもの沢山食ってるな」

 合成に頼らない天然物の食材というだけでも、現実の世界を思えば考えられないような贅沢だ。

 現実世界のことや今後のことについて、もう少し真面目に考えるべきなのかも知れないが、こと食事に関しては謎の異世界転移に感謝するべきだろう。

「――この夜空の絶景にも感謝だな」

 振り仰いだ頭上に広がる満天の星の輝きは、悠久のときを刻み続けながら、夜闇に沈むユンゲたちを静かに見守ってくれているようだった。

 

 不意にパチパチッと焚き火が爆ぜ、涼やかな夜風に紅い火の粉が舞った。

 吹き去られていく紅光の軌跡を何気なく目で追った先、焚き火の明かりとの対比でより深くなった暗い闇の中にユンゲは僅かな違和感を覚える。

 無詠唱で<ダーク・ヴィジョン/闇視>を発動して様子を見てみるが、それらしい影はない。

「……気のせいか?」

 敢えて口に出してみても釈然としない――が、直感はそこにいる何者かの存在を訴えてくる。

 ユンゲは右手をバスタードソードの柄に添えつつ、左手で焚き火から先端の燃えている枝の端を掴み上げて松明のようにして辺りの暗がりに掲げてみせる。

 ――実際には闇視が発動しているので明かりは不要なのだが、これは一種のブラフだ。

(……これで油断してくれる相手なら良いんだけど)

 周囲を伺うようにゆっくりと視線を動かしながら、ユンゲは闇の一点に向けて燃えた枝を放り投げる、と同時に転身――抜き打ちに放った横薙ぎのバスタードソードが、背後に迫っていた影を捉える確かな手応えを伝えてくる。

(いや、避けられたのか?)

 振るった剣身が半ばまで突き立ったのは、黒い装備に包まれた人の身体ほどの木塊だった。

 ユンゲは訝りながら、その木塊が纏っていた装備を引き剥がす。

 夜の闇に溶け込むような独特の光沢を持つ上衣装――それが忍び装束だと気付いた瞬間、ユンゲは跳ね飛んでその場から距離を取る。

(――しまった、遁術か!?)

 忍者の用いる<忍術>の一つで、装備を犠牲にしてしまうものの確実に敵の攻撃を避けることができる特殊技術のはずだと思い至り、ユンゲの鼓動が早鐘のように高まっていく。

 ユグドラシルにおける忍者の職業は、最低でも六十レベル以上にならなければ取得できない上位職業のはずだった。

 テントで寝ているマリーたちを起こして逃がすべきかと考えるものの、レベルの低い彼女たちでは高レベルの忍者を相手にして無事に逃げ切ることは難しいだろう。

(敵の人数も分からないし、ここで俺が止めるしかないか……)

 ユンゲは魔法職に半分ほどの職業レベルを割いているので、残念ながら純粋な前衛職を相手にしては直接戦闘での力は劣ってしまう。

 襲撃してきた相手が本当に忍者なら一筋縄ではいかないだろうが、敵は遁術で装備を失っている分、こちらにアドバンテージがあると思いたいところだ。

 野営テントを背に庇いつつ、筋力や敏捷力増大など自己強化の魔法を無詠唱でかけながら、バスタードソードを構え直して襲撃者に向かい合う。

 

 こちらに半身で構える相手の背丈は、ユンゲよりも頭二つ分ほど低いだろうか。

 上衣を失ったことでぴったりと肌に吸い付くような鎖帷子が剥き出しとなっており、ゆらゆらと揺れる焚き火に照らされて闇夜に浮かぶ襲撃者の影――控えめながら優美な丸みを帯びた肢体は、女性特有の小柄なものだ。

 思わず吸い寄せられそうになる視線をなけなしの理性で上に向け、ユンゲは警戒を強めながら襲撃者――女忍者の様子を窺う。

 顔の半分ほどを覆う黒髪と高い鼻梁まで持ち上げられたスカーフも相俟って、表情はほとんど読み取れないが、かなり若い感じがする。

 相手の狙いはユンゲなのか、或いは元奴隷エルフの少女たちなのか。

 忍者を相手にしては余裕もないが、少しでも情報が欲しい。

「……あんた、何者だ?」

「それはこちらの台詞。私が気配に気付かれるなんて……」

 ユンゲの問いに返ってきたのは、意思を読み取らせない意外なほど硬質な女の声。まるで台本を棒読みしているかのような印象だが、忍者ならばそうした術に長けているのかも知れない。

 剣先を相手の額に向けて構えたまま、油断なくユンゲは問いを重ねる。

「なぜ、いきなり俺を襲ってきた?」

「それもこちらの台詞。いきなり攻撃してきたのはそっち……」

 闇に浮かび上がるような白い小さな手にぴしりと指差され、ユンゲは咄嗟に言葉を失う。

 指摘されたように、確かに攻撃を仕掛けたのはユンゲからだった。

(――あれ? 襲撃されたというのは俺の勘違いなのか?)

 感情は読み取れないのにどこか責めるような女の視線に晒され、ユンゲの背を冷たい汗が伝う。

 改めて相手の姿を見れば、確かに武器らしいものは手にしてない。

 忍者なら暗器のような隠し武器を持っているかもしれないので油断はできないが、ユンゲは少しだけ警戒を緩める。

「……なぜ、気配を消して近づいて来たんだ?」

「それは忍者の性、優秀な忍びは常に気配を消して行動する」

 少しだけ自慢げに張られた女忍者の胸が、小さく弾む。

「俺に気付かれても……?」

 優秀だと言えるのか、と続けかけたユンゲは、無言の抗議を受けて言葉を噤む。

 相変わらず表情は読み取れないが、自身の技量に誇りを持っているらしい女忍者は、これ見よがしなため息を一つこぼした。

「私に気付いた、お前は何者……?」

「何者って言われても、この通りただの冒険者だよ」

 剣を手放さないまま、ユンゲは軽く肩を竦めてみせる。

「――ただの?」と女忍者が訝るように小首をかしげて言葉を続けた。

「女の衣装を剥ぎ取る変態じゃなくて? そして、私は装備を剥ぎ取られた可哀そうな忍者」

「い……いや、それは不可抗力だろ? あんたが女だとは思ってなかったんだって――」

「さっきから目つきが厭らしい」

 焦りから早口で言い訳を口にしたが、ばっさりと切り捨てられてしまったユンゲは「……んぐっ」と言葉に詰まる。こういった手合いの相手をするのが苦手だという自覚はあったが、何か良いようにあしらわれている気がしてならない。

 

 わざとらしく腕組みをして胸を強調しながら、「図星みたいね」などとはっきりと言い差してくる女忍者を前に、ユンゲは咳払いをしてから言葉を返す。

「……と、とにかく。あんたの狙いが俺や仲間じゃないなら、お互いに手を引かないか?」

「悪くない提案……。正直、お前の相手はしたくない。必要とあらば命を惜しむつもりはないが、己の実力を省みない蛮勇は、優秀な忍びの望むところではない」

 ユンゲが技量の一端を見せた上で、相手の女忍者にしても危険を冒してまでこちらと戦いたくはないということは、実力は拮抗しているとみるべきなんだろうか。

「そうか、助かる。じゃあ、ここまでに……」

「――それで、私の装備は弁償してくれるの?」

 少しの安堵を浮かべかけたユンゲの言葉を遮って、女忍者が不敵に問うてくる。

「え、あぁ……ど、どれくらい払えば良いんだ?」

「……つまらない冗談を言った。ここは退かせてもらおう」

 稼ぎのほとんどは食費に消えているから手持ちはほとんどないぞ、などと焦って頭の中で皮算用を取りかけていたユンゲの内心を呆れるように、女忍者がまたもため息をこぼした。

「え、良いのか?」

「……構わない、気付かれたのは私の落ち度。そもそも、お前たちを害するつもりは最初からなかった。――だが、お前は可笑しな男だな。それほどの強さを持ちながら、何を怖れる?」

 艶やかな黒髪を僅かにかき上げ、上目遣いに値踏みするような女忍者の視線が、ユンゲの瞳を覗き込んでくる。

 その鋭さにやや気圧されるような思いを抱くが――散々と醜態を晒しながら今更という思いもあるが――ここで視線を逸らすわけには行かないだろう。

 構えていた手首を返し、バスタードソードを腰の剣帯に留めつつユンゲは言葉を紡ぐ。

「世の中にはもっと強い存在がいる、そのことを知っているだけだよ」

「……なるほど。肝に銘じておこう」

 ユンゲに答えに満足したのか、女忍者は一つ小さく頷いて踵を返した。

「お前とはもう二度と会いたくないものだ……」

 そんな言葉を残して、女忍者の輪郭が朧げに闇夜に溶け込んでいき、確かにそこに存在したはずの気配が彼方へと遠ざかっていくのが理解できる。

「……去ったのか、何だったんだいったい」

 やがて静けさを取り戻した夜更け過ぎの野営地には、焚き火の小枝が燃える渇いた音ばかりが深々と広がっていた。

 やおらと息を吐いて呼吸を整えつつ夜空を仰ぎ見たユンゲは、やけに凝ってしまった首と肩を軽く回して、再び椅子代わりの丸木にゆっくりと腰かけたのだった。

 

 




カッツェ平野内には王国と帝国が共同で運営する物資拠点となる小さな街があるようですが、詳細が分からないため今回は登場しません。

もう少し緊迫した雰囲気を出したかったですが、ユンゲが思った以上にヘタレっぽくなってしまっている気がします。
次の話ではカッコいい主人公をお見せしたいなぁ、という願望だけはあります。






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