オーバーロード 新参プレイヤーの冒険記 作:Esche
<< 前の話 次の話 >>
雲一つないからりと晴れた青空の広がる眩しいほどの朝日の下、朝市の威勢の良い客引きの声が上がり、荷台を満載にした馬車や商会の小間使いが忙しなく行き交うエ・ランテルの街並みは、いつか見た帝都にも負けないほどの活気に溢れていた。
雑踏の中に、昨日受付嬢から伝えられたアンデッド討伐戦の会合に参加するため、リンダを伴って冒険者組合へ向かうユンゲの姿があった。
冒険者組合で用意できる会議室の大きさの都合から、各チームの参加は二名までにしてほしいとの要望を受けて、会合の間キーファとマリーには宿で居残ってもらうことになっている。誰が参加するべきかと多少は揉めることを考えていたユンゲだったが、あっさりと受け入れた二人に聞けば、何かやりたいことがあったらしい。
帝都で出会ってからこれまで行動を共にしてきた中で、彼女たちには“自分の時間”を持つ機会がなかったのかも知れないとユンゲは反省することしきりだったが、そもそもチームリーダーのような役割を担った経験など現実の世界でも数えるほどだ。
「……俺には荷が重いな」
隣を歩くリンダの耳には届かないほどの声量でユンゲはぼやく。
気遣いや気配りのできる男にならなければと思うが、先はまだまだ長そうだ。
そんなことをぼんやりと考えているうちに冒険者組合の前に辿り着いてしまう。
気を入れ直してユンゲが扉に手をかけたところ、不意に扉は内側から開かれた。
「――あ、すみません」
慌てて身を引くとゆらりと赤毛の女性が転がるように飛び出してくる。
支えを求めるような覚束ない足取りはどこか幽鬼のようであり、視線の定まらない虚ろな目が一瞬だけユンゲを捉えたが、何の反応も示されないまま横を通り過ぎて行ってしまう。
「あれ? 今の女の人って……」
「お知り合いでしたか?」
「いや、前に見かけたことがあった気がしたんだけど……印象が違い過ぎて」
リンダの問いにユンゲは曖昧な答えしか返せない。
初めてエ・ランテルを訪れたとき、酒場で『漆黒』の二人に食って掛かっていたポーション女だったような気がしたが、あのときの強気な姿勢が欠片も見られなかったことに確証を持てなかったのだ。
「あら、ユンゲさんにリンダさん。おはようございます!」
去っていく女性の後ろ姿を目で追っていたユンゲが建物内からの呼びかけに振り返れば、いつものにこやかな笑顔を浮かべた受付嬢がさらさらと手を振ってくれていた。
「おはようございます」と挨拶を返しながら、ユンゲとリンダはカウンターへと歩み寄る。
「朝早くからお呼び立てして申し訳ございません。会合にはまだ少し時間がございますが、会議室の方へご案内いたしましょうか?」
気さくな態度と仕事での畏まった姿勢を上手く使い分ける受付嬢は、気配りのお手本のようだ。
もとより会合のために来ているので断る理由はない。「ええ、お願いします」と応じ、受付嬢の先導に従ってユンゲはカウンターの裏手に回る。
会議室までの道すがら、先ほど入り口ですれ違った女性についてユンゲが尋ねてみると受付嬢は顔を曇らせつつ、「この業界では珍しいことではないのですが」と前置きした上で説明をしてくれた。
曰く、依頼の途中で彼女だけを残してチームメンバーが全滅してしまったことに精神を病み、冒険者稼業に見切りをつけて開拓村へと移住するのだという。
「……そうでしたか、不躾なことを聞いて申し訳ございません」
「いえ、お気になさらないでください。冒険者のお仕事は過酷ですが、絶対に欠かせない大切なお仕事です。道半ばで諦めざるを得なかった方たちのためにも、ユンゲさんたちには頑張って頂かないといけませんし……。あ、でも危険なときには絶対に無理をしないでくださいね!」
気丈に振る舞いながらも、どこか震えるような声音は自身へのやるせなさからだろうか。冒険者へ依頼を仲介するという受付嬢としての仕事柄、責任を感じてしまうのかも知れない。
「――ええ、肝に銘じておきます。まだまだ世界を見て回りたいですし、美味いものもたらふく食べないといけないので」
少しばかりお道化た口調で、それでも誠実な想いを込めてユンゲは言葉を紡ぐ。
「ふふ、よろしくお願いしますね。――会議室はこちらになります。始まるまで暫くお待ちいただけますか。お飲み物も用意しておりますので、中で控える者にお声がけください」
*
優雅な一礼をもって踵を返した受付嬢を見送ってから、ユンゲはリンダと目配せをして会議室へと踏み込んだ。
ぴりっと張り詰めたような空気は気のせいではないだろう。
どれくらいの冒険者が参加するのかは分からないが、決して狭くはない会議室の中、席の半数は既に埋まっているようだ。如何にも腕自慢といった感じの筋骨隆々な戦士や理知的な豊かな髭を蓄えた魔法詠唱者、猫のようにしなやかな痩身の男は軽戦士か斥候だろうか。
冒険者組合で何度か見かけた顔もあったが、積極的な交流をしてこなかったので名前も分からない同業者たちの視線はどことなく冷たい感じがする。
ユンゲの首元のプレートを一瞥してあからさまな不満顔を見せる者もいた。
この中に、キーファと確認した昇格試験などのときにこちらを監視していた相手がいるかも知れないと少し警戒を強めるものの、この場で何かを仕掛けてくることもないだろう。
「あちらの席にしましょうか?」
「ああ、そうだな」
居心地の悪さを感じているかも知れないが、気にしない素振りで勧めてくれたリンダに従って、会議室端の席に腰を下ろして、何の気なしに周りの様子を眺めてみる。
「シルバーにゴールド、プラチナもいるか」
「前の方に座られているあの方はミスリルですね」
リンダの言葉に目を向ければ、髪を短く刈り上げた細面の男が何人かの冒険者に囲まれて談笑をしているのが見える。トブの大森林で出会ったモックナックの率いる『虹』がミスリル級だったかと思うが、そのときには見かけなかった顔だ。
「結構な戦力を集めているのかな?」
「そのようですね。カッツェ平野でのアンデッド討伐は、本来いがみ合っている王国と帝国が協力で行っているほどなので、国家の一大事業となるのでしょう」
「人間同士で争ってるうちにアンデッドにやられました、じゃあ余りにも情けないもんな……っと、あれは――モックナックさんか」
会議室の入り口に目を向ければ、くすんだ金髪をオールバックに固めた大柄なモックナックが、冒険者たちからの挨拶を受けながら前の座席へと向かうのが見えた。
(一応、挨拶くらいしとくべきか? でもこのアウェーな雰囲気の中で声かけるのも悪いか……)
ユンゲが逡巡するうちにモックナックの方が先に気付いてしまったようだ。
「やぁ、ユンゲ君。君たちも参加するのかね?」
「はい、組合長からお話をいただきましたので。ご無沙汰しております、モックナックさん」
咄嗟に立ち上がり、やや焦りつつも会釈を返す。
「そう畏まらずとも構わないよ。まだ会合まで時間もあるだろうから気楽にしてくれ。今日はあの可愛いらしいお嬢さんは一緒じゃないのかね?」
「そうですね、彼女には宿で待ってもらっています。あぁ、こちらはチーム仲間のリンダです」
「ふむ、よろしく頼むよ。チーム『虹』のモックナックだ」
「こちらこそよろしくお願いいたしますね、モックナック殿」
軽い挨拶でリンダとモックナックが握手を交わす。
「ところで、今回の会合が急に開かれることになった理由は知っているかな?」
「いえ、存じませんが……」
「情報収集は大切だよ。常に情報網を広く張っておくことを心掛けるようにすると良い」
「そのようですね、ご助言感謝します」
「まぁ、年配者の小言だ。軽く聞き流してくれて問題ないよ」
謙遜するように朗らかに笑うモックナックは本当に人が良いのだろう。
「モックナックさんは何かご存知なのですか?」
「そうだね、とりあえずは組合長が来てからの話なんだが、今回のアンデッド討伐は例年よりも厳しいものになりそうだということだよ。事前の調査に赴いた冒険者に寄れば、かなりの数のアンデッドが確認されたらしい」
この世界では低位のアンデッドが集まることで、より強力なアンデッドが生まれやすくなるということを踏まえれば、渋面を浮かべるモックナックの気持ちも否応なく理解できる。
ユンゲだけなら簡単に不覚を取ることもないだろうが、リンダたちの強さはまだ十全とは言えない。
(……それにあの吸血鬼みたいなとんでもない強さっぽいのもいるしな)
「……無理はしないように、か」
先ほど受付嬢に言われた言葉の重みが、改めてユンゲの心の内に働きかけてくる。
何とはなしにリンダへ視線を移したところで、その背後の扉から冒険者組合の長プルトン・アインザックが姿を見せた。
「ともかく、君たちには期待してるよ。互いに健闘しよう!」
アインザックが現れたのならば、雑談もここまでということだろう。
モックナックがそう言葉を締め括り、快活な笑い声とともに前の座席に歩いていく。
談笑していた他の冒険者たちもそれぞれの席に着いていく。
好々爺然とした以前の印象とも異なり、威厳に溢れた様子で向かいの席に腰かけたアインザックは、参集した冒険者たちの顔触れを眺めてからおもむろに口を開いた。
「――まだ、全員が集まっていないようだ。申し訳ないが暫く待ってもらえるかね」
アインザックの言葉を受け、ざわつきかけた冒険者たちが何かに気付いたように声を抑えるのが分かった。会合の場では議長がやって来るのは最後というのが相場のはずだから、ユンゲとしては不思議な思いだ。
誰もが息を潜めたように待つこと数分、ユンゲの抱いた疑問の答え――、
「――お待たせしてしまい、誠に申し訳ございません」
絢爛華麗な漆黒の鎧に身を包んだ戦士と名匠によって生み出された彫像のような黒髪の美姫は、奇妙なほど板についた謝罪の言葉とともに会議室へと現れた。
*
「では、以上でアンデッド討伐戦に関する協議を終える。かなりの困難が予想されるので、各チーム準備を万端整えて参集してくれ」
アインザックの力強い宣言により会合が終わるや否や、エ・ランテルで唯一のアダマンタイト級冒険者チームである『漆黒』と挨拶をしたがる冒険者が殺到した。
会議室をいっぱいに使って列をなす冒険者を前に、モモンは嫌な顔一つ見せることなく――面頬付きの兜をかぶったままなので表情を窺うことなどできないのだが――快く握手に応じている。
一方で、モモンの背後に控えるナーベは冒険者の列に一切構うことなく、視線は一点――モモンの横顔辺りに固定されている。取り付く島もないとはこのことだが、そこに嫌味な感じはなくそうすることが自然であるような印象すら受ける。
挨拶を終えた冒険者たちは一様に目を輝かせて、にやけ顔がこぼれて止まない。
憧れのスポーツ選手と対面するようなイメージなのかも知れないが、恥も外聞もないように相好を崩している様は、あまり依頼者などには見せられない顔に思えた。
「しかし、どうするかな……」
ユンゲとしては、モモンが追っているという吸血鬼の片割れや魔法の位階といった情報を聞いてみたいところだったが、この状況で長々と話し込んでしまうのは流石に迷惑だろうか。
驚くほど紳士的なモモンの対応を見ていると無下にされることもないように思えたが、今のユンゲは単なるシルバー級の冒険者に過ぎないことを鑑みれば、ここは挨拶くらいにしておいてアンデッド討伐で顔を売ってから、改めたほうが話も聞きやすいかも知れない。
列がかなりの長さになっていることもあり、今更になって最後尾に並んだのではキーファとマリーを宿に待たせてしまっていることが気掛かりだった。
「一旦、宿に戻って二人と合流しようか……」とリンダを振り返って口にしたとき、不意に強烈な視線を感じてユンゲの背がぴくりと跳ねる。
再び視線をモモンの方へ戻せば、黒曜石のような輝きを放つ切れ長の瞳に迎えられた。
珠のように白く張りのある肌も、後ろ手にまとめた艶やかな黒髪が歩みに合わせて、軽やかに揺れる様も、古美術商に並ぶ著名な絵画の題材になっていそうな光景だ。
まるで神に見初められた天の使いのような美姫ナーベが、居並ぶ冒険者たちの視線を一顧だにすることもなく、コツコツと長靴の音を響かせながらこちらへ向かってくる。
圧倒的な美しさを目の前に何故かひれ伏してしまいたくなるような怖気に襲われ、意識とは無関係にユンゲの喉が唾を呑み込む。
「質問に答えなさい。下等生物<あぶ>、その装備はどこで手に入れた?」
「――っは?」美人は声まで美人なんですね、などと阿呆な返答をする余裕もない。
唐突な質問の意図がつかめずにユンゲは、思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。
「――っち、もう一度訊く。それほどの装備をどこで手に入れたの?」
軽い舌打ちとともにナーベの顔がずいっとユンゲの間近まで迫り、再び質問が投げかけられる。
「ん、あぁ……これは知人から譲り受けたものですよ。このマントは自前ですけどね」
無地のマントをばさりと払って、ユンゲは肩を竦めてみせる。
同僚にもらったユンゲの装備は聖遺物級のはずだから、この世界の基準に照らすのであれば、シルバー級の冒険者には過ぎた代物だろう。
これまで特に指摘されたこともなかったが、そうした目利きがあっさりとできる当たりアダマンタイト級の肩書きは伊達ではないのだろう。
「その知人とやらはどこ?」
何とも不躾な詰問の仕方だが不快な感じはない。この女性には不思議とこうした男勝りな物言いの方が似合っているような気がしてくる。
「さぁ、どこにいるんでしょうね」
ナーベに好感を持ちつつあるユンゲだったが、続く質問に答えることはできない。
普通に考えれば現実の世界で変わらない暮らしをしているのだろうが、真面目に返答したところで頭のおかしい奴としか思われないだろうし、ユンゲがこの世界にいるという事実こそが意味不明な出来事なのだから。
(……というか、本当に何で俺はここにいるんだろうな。ユグドラシルのサービス終了の瞬間に立ち会ってしまったことが契機なんだろうけど。…………あれ?)
「私を莫迦にしているの?」
一瞬、ユンゲの思考に浮かびかけた疑念が、ナーベの絶対零度の言葉によって霧散してしまう。
「あぁ、失礼。ぶらぶらといい加減な奴なので、私も今どこにいるかは知らないんですよ。――まぁ、お互いに生き延びていればその内どこかで出会うこともあるでしょうか」
いい加減な奴には間違いないので完全な嘘でもないと心の内で言い訳をしつつ、同僚には申し訳ないが濡れ衣を被ってもらおう。
ナーベからユンゲに向けられる視線に含まれた侮蔑や不快の色が、一層と濃くなっている気さえするのだが、こればかりは諦めるしかないだろう。
しかし、美人に見つめられるというのは男として喜ばしいことのはずなのだが、凍てつくような眼差しの睨みに晒されている現状は正直なところ勘弁してほしい。
以前にも酒場で酔漢たちに向けていたときに感じた、捕食者に迫られているような思いにユンゲの背を嫌な汗が伝う。
救いを求めてユンゲが目線を彷徨わせれば、次々と握手に応じていたモモンと兜の細いスリット越しに目があった気がした。
ユンゲの窮状を一瞬で把握したのか、「済まない、少し待ってもらえるかな」と順番を待つ冒険者たちに詫びをしながらこちらに向かってくる。
「ナーベ、無理な質問であまり彼を困らせるんじゃないぞ」
「はっ、申し訳ございません」
モモンの一言で張り詰めていた空気が弛緩し、背筋を寒からしめていた怖気もすっかり消えた。
こちらに一切構うことなくモモンに向けて頭を下げるナーベの姿に、謝るなら俺に向けてじゃないのか、などと思いつつもユンゲは口に出すことはしない。
「やぁ、連れが失礼をしたね。気を悪くしないでもらえると有り難い」
モモンはこちらを気遣うような仕草で、ナーベに何事かを言いたげな素振りを見せるが、その必要はないとユンゲは先に手で制しておく。
「いえ、問題ありません。この装備が私には過ぎたものであることは自覚しておりますので」
「なんの、なかなかに素晴らしいお力をお持ちのようだ。同じ依頼を受けた者同士、良い成果を得られるようお互いに最善を尽くしましょう」
「最高位冒険者の方からそのようなお言葉をいただけるとは光栄です。非才の身ですが、微力を尽くさせていただきます」
短い遣り取りだが、モモンは評判通りの優れた人物であることを窺い知れた。
同時に何となくモモンが苦労人であるような気配に、漠然と上手くやれそうな気がしてくる。
「失礼、遅くなってしまったが貴方の名前を伺っても良いかな?」
「ユンゲ・ブレッターと申します。以後よろしくお願いいたしますね、モモン殿」
アインズ様は気配りの達人。曲者揃いのアインズ・ウール・ゴウンをまとめていた実績だけでも只者じゃないですよね。
書きたいことを詰め込み過ぎなのか、話のテンポが遅くなってしまっていることが不安です。