オーバーロード 新参プレイヤーの冒険記   作:Esche
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-これまでのお話-
突然の異世界転移後、流されるまま冒険者となったユンゲは、依頼で訪れた帝都において偶然見かけた奴隷エルフの少女たちの境遇に憤り、その主人であるエルヤーに決闘を挑む。
ユンゲの勝利により、奴隷から解放されることになったものの行く当てのないエルフの少女たちを思い、ユンゲは彼女たちと行動を共にすることを決めたのだった。

(改めて書き出してみるとかなりあっさりしてますね……)


(8)旅路

 闘技場での戦いから一夜明け、ユンゲは街道を往く馬車の荷台に寝転がって、広大な青空とたなびく白雲をぼんやりと眺めていた。

 要人が乗るような仕立ての良い馬車ではないので、風雨を凌ぐための幌もなければ性能の良い懸架装置もなく、板張りの荷台の乗り心地はお世辞にも良くはない。

 街道に散らばる疎らな小石に乗り上げれば、その度にガタガタと車体が軋んでしまうほどだが、たっぷりと降り注がれる陽の光は温かく、ときおり吹き去ってゆく涼やかな風に運ばれる草木の香りに鼻孔をくすぐられる感覚は悪くないものだ。

 気候の穏やかな昼下がり、軽トラックの荷台でうたた寝するようなイメージだろうか――。

 現実の世界では体験することのできなかった“自然”を一身に感じられることに、ユンゲは喜びすら込み上げてくる思いだった。

「……なにか面白いことでもありましたか?」

 不意に同乗者から声をかけられ、ユンゲはゆっくりとそちらに顔を傾ける。

 鮮やかな金髪をサイドで括り、藍色のローブに身を包んだエルフの少女――最初に帝都の北市場で見かけたとき、エルヤーに虐げられていたのが、マリーと名乗った彼女だった――の人懐っこい笑顔と澄んだ碧の瞳が、ユンゲの表情を窺うように向けられていた。

「……ん? いや、いい天気だなぁと思ってさ」

 ユンゲの言葉に、マリーは不思議そうな様子を見せたが、それ以上の追及はしてこなかった。

 温かな陽だまりでのんびりと寛いでいる思いのユンゲにしてみれば、返答は偽りのないものだったが、豊かな自然を知るマリーからすれば違和感があったのかも知れない。

 しかし、マリーがそれ以上の言葉を噤んでしまったことには、少しばかり思うところがあった。

 よっと、勢い良く身体を起こしたユンゲが辺りを見渡せば、なだらかな丘陵の先に葉の生い茂る緑の木々の群れ――トブの大森林が目に飛び込んでくる。

 御者台に座るリンダと周囲を警戒するキーファの後ろ姿を見つつ、帝国領から王国領へと差し掛かろうかという状況を踏まえれば、そろそろ警戒を強めるべきかと考える。

 商隊の護衛をともにした冒険者に頼み、商会に用立ててもらった馬車を駆って、帝都を発ったのは今朝のこと――御者も雇わなければいけないかと思っていたが、幸いにしてリンダが馬を操る技術を持っており、彼女から任せてほしいとの言葉をもらったので、御者をお願いすることになった――行きには商隊で重い荷を運ぶため、一週間余りの旅程を組んでいたエ・ランテルから帝都アーウィンタールまでの道程の、概ね半分ほどの距離は進んだことになるのだろうか。

 食事などで小休止を挟みながらではあったが、かなりのハイペースだった。

「……リンダ、ずっと手綱を握っていて疲れてないか? どこかで馬車を停めて休もうか?」

 気遣う思いでユンゲは口にするが、「いえ、問題ありません」と機敏な反応が返るばかりだ。

 キーファにしても帝国領内におけるモンスターの襲撃の少なさから、気を張り続けなくてもいいと伝えても、どこか鬼気迫るような様子で周囲を見張ることをやめなかった。

(……どうするべきかな、もっと気楽にしてもらえたら良いんだけど――)

 三人には気付かれないように小さな溜め息をこぼしつつ、ユンゲは再び青空を仰いだ。

 

 キーファやリンダ、マリーの三人のエルフは、昨日まで奴隷の身にあった。

 偶然の出会いから彼女たちの境遇に憤ったユンゲは、主人であるエルヤーに勝負を挑み、闘技場での戦いを経て、奴隷の身から解放することができたのだが――、頼れる場所のない彼女たちをそのまま放って置くこともできず、しばらくは行動を共にすることになった。

 しかし、頼れる場所がないのはユンゲも同様であり、悩んだ末に一旦バハルス帝国を離れ、多少なりとも面識者がいるエ・ランテルへと戻ることを決めた。

 帝国魔法学院には、異世界転移魔法の有無という一点で興味もあったのだが、もともと可能性は低そうだという判断していたこともあり、今回は見送ることにしている。

 エ・ランテルへの帰還については、奴隷として辛い目にあっていたであろう彼女たちの、帝都から離れたいという気持ちを慮ってと言えば聞こえは良いのだが、ユンゲの中に打算的な思いがあったことは否めない。

 奴隷市場が成立しているくらいなので、帝国において奴隷として過ごしているエルフが彼女たちばかりのはずはなく、多くのエルフが望まない境遇に身を置いていることは想像に難くない。

 奴隷エルフの扱いに対する憤りの根源を自分自身で理解できていないユンゲにしてみれば、同じような光景を目にして黙っていられるとも思えない反面で、全てのエルフを助けるような聖人の真似事をする気にもなれなかったというのが本当のところだ。

 そして、正確なところは分からないのだが、マリーの距離を置いた振る舞いやキーファとリンダが見せる頑なな態度は、奴隷として過ごした日々に起因するものに思われた。

 ――邪魔になってはいけないとか、役に立たなければならない、といった思いは現実世界でも折りに触れて実感することがあった。

(……そういう意味だと、現実の世界で生きていることは奴隷と変わらないのかも知れないな)

 何気なく抱いた考えに暗澹たる感情を覚えながら、ユンゲはちらりと傍らのマリーを一瞥する。

 細い肩がぴくりと跳ね、上目遣いに覗き込まれた碧の瞳には、怖れにも似たような名状できない感情の揺らぎが垣間見える。

 何でもないよ、と安心させるように肩を竦めてユンゲは前に向き直るが、問うような視線が横顔に突き刺さるのを感じる。

(……何かあるなら言ってくれればいいのにな)

 街道の先には石造りの巨大な門――バハルス帝国の国境に設けられた関所の威容が現れていた。

 

 *

 

「これ、すっごい甘くて美味しいですね!」

「――だろ? この濃厚な甘さが癖になるんだよ」

 瑞々しいピンク色の果肉を頬張り、表情を綻ばせるマリーに笑いかけながら、ユンゲは新たに皮を剥いたレインフルーツを「ほらっ、食べてみな」とリンダに手渡す。片手で手綱を握ったままのリンダが、恭しく受け取った果実を口に含めば、隠しきれない驚きが表情に現れた。

 どこか気品すら漂わせる長身の美人が、子どものように目をぱちくりと見開く様は、なんというか不思議な愛嬌を感じさせてくれるのだが――、取り繕うように紡がれた「美味しいですね、ありがとうございます」というリンダの謝辞を吹き飛ばすように、横の少女から喜声が上がった。

「ほんと美味しいー!」

 こちらは年相応というよりはやや幼い印象――と言っていいのか、正確な年齢は知らないのだが――の無邪気さを発揮したキーファが満面の笑みでレインフルーツに舌鼓を打っている。

「そうか、たっぷり買い込んできたからな。好きなだけ食べて良いぜ」

「うん、ありがとう!」

 さほど広くはない馬車の荷台の上、大半のスペースを占めているのは、帝都の大広場で買い求めた大量の食料品だ。香りの良い燻製肉を始め、酢漬けの鰊や開いた魚介類の干物のほか、玉葱や大蒜といった保存の効く野菜などを中心に買い込んでいる。レインフルーツはあまり日持ちしないという話だったが、帝都散策中にお気に入りになっていたので、特に多めに買い込んでいた。

 市場で馬車の荷台に積み込んでいるときには、こんなに買ってどうするつもりなのだろうとばかりに、訝る視線を方々から感じながらも努めて無視をしたものだが、皆にこれほど嬉しそうに食べてもらえるようなら幸いだと思う。

 しかし、意図したつもりもなく餌付けのような形になってしまっていることに、ユンゲはやや心苦しいような思いも抱いていた。

(……でも、せっかくの旅路なら笑顔で過ごせるほうがいいはずだよな。――エルフの故郷にはなかった果物って話だけど、帝都の市場には幾らでも売られているのに一度も食べたことすらなかったんだな……)

 レインフルーツを口にしながら笑顔を交わす三人のエルフたちを見やり、彼女たちの置かれていた境遇を思い、再び抑えられない憤りが込み上げる。

 単純な正義感とも違う、根源の分からない激情を悟られないようにユンゲはかぶりを振る。

 自分自身の気持ちを誤魔化すように、積まれた箱から拾い上げたレインフルーツの皮を剥きかけたところで、ユンゲは不意の気配に手を止めた。

(――ん、なんだ? この変な感じ……)

 バハルス帝国を抜けてから、念のために張っておいた探知魔法に不思議な反応を感じた。

 気配を探って視線を巡らせば、街道を外れたトブの大森林の木々の向こうに、胸騒ぎを覚える。

(……一応、確かめておいた方が良いよな)

 ユンゲがやおらと立ち上がれば、気付いたマリーが何事かと上目遣いに問うてくる。

「なんか、妙な気配がするから様子を見てくるよ。皆はここで待っててくれ――」

「え、――あ、あの私も連れて行っていただけないでしょうか……?」

 ユンゲの言葉に重ねるように声を上げたのはマリーだった。

「いや、ちょっと様子を見てくるだけだから……」と言葉を続けかけたユンゲだったが、意外なほど強い意志を感じさせる碧の瞳に見つめられて、思わず言葉を失う。

 どこか使命感とでもいうのだろうか、悲壮感にも似た表情を浮かべるマリーを見れば、その思いの一端は分かる気がした。キーファやリンダが警戒や御者といった、それぞれの役割を務めていることが重荷となってしまっているのかも知れない――せっかくの願いを無下にしてしまうのも、幼い少女には酷な対応だろう。

(……まぁ、もし危険があっても一人くらいなら大丈夫か、――ん?)

 少し考えているうちに三人の視線が自分に集中していたことに気付き、何となく面映ゆい。

 咳払いを一つ、ユンゲは考えをまとめながら言葉を紡ぐ。

「キーファは引き続き警戒を頼む。何か問題が起きたらリンダが<メッセージ/伝言>で俺に知らせてくれ、すぐに戻る。マリーは俺と一緒に来てくれ――念のための確認だから、何もないとは思うんだけどな……」

 三人のエルフに指示を伝えていくが、口調はやや尻すぼみになってしまう。そもそも探知魔法に違和感を覚えた程度のことでしかないので、偉そうな態度を取るのも気が引ける。

 意外なほど熱意の込められた三人からの返事を聞きつつ、ユンゲはどこかむず痒いような思いで頬をかくのだった。

 

 *

 

「――これは、いったい何が起きたんだ……?」

 鬱蒼としたトブの大森林を進みながら言いようのない焦燥に襲われ、思わず駆け出したユンゲは、唐突に開けた視界の先に広がる光景を目にして息を呑んだ。

 ――黒々と爛れたような断崖の底に広がる、絶死の大地。

 直径は二〇〇メートルにも及ぶだろうか、幾重もの木々が生い茂っていたであろう原生林の一角は、広大な範囲に渡って抉られたクレーターのように喪われ、何もない砂漠だけが広がっていた。

 断崖の際に立って、眼下の凄まじい景色を観察していると後から駆けてきたマリーも同じように息を呑む気配があった。

(……隕石でも落ちたような――いや、周りの木は折れたり、薙ぎ倒されたりしてないから……範囲魔法? でもこんな威力の魔法って……)

「――あっ、向こうに人がいるみたいです!」

 思考に沈みかけたユンゲだったが、傍らのマリーの声に意識を呼び戻す。

 マリーが指差した先に目線を向ければ、対岸の崖の上には数人の人影――無詠唱化した<ホーク・アイ/鷹の目>で強化した視力に映る男たちの中に、見覚えのある顔が一人いる気がした。

 記憶を探れば、いつかのエ・ランテル共同墓地でのアンデッド騒動の際、集まった冒険者を相手に演説をしていた初老の男だと思われた。

「……他にいるのは冒険者、か?」

 ユンゲは疑問を口にしつつ、危険な連中ではなさそうだと判断をつけて、マリーを振り返る。

「ちょっと話を聞きに行ってみようか――、<フライ/飛行>は使える?」

「いえ、私は第二位階までしか使えないです……」

「そうか、なら少し我慢しててもらえるかな――、よっと」

 “我慢”という言葉に小首をかしげて疑問符を浮かべるマリーに、ユンゲは悪戯っぽい笑みを投げかけ――そのまま無造作にマリーを横抱きに担ぎ上げる。

 驚くほどの軽さに思わず呆気にとられかけるユンゲだったが、一拍の間を置いて躊躇なく崖を飛び降りる。

「――えっ、えっ、きゃあぁああああ……」

 エルフの少女の哀れな悲鳴を置き去りに、落下しながら<フライ/飛行>を詠唱したユンゲは、マリーを抱いてふわりと空を舞う。

(……自由に空を飛べるって、あらためて考えてみると凄いよな)

 風を切る心地良い感覚に身を委ねていたユンゲの胸に、マリーの細い腕が縋ってくる。

 何気なく懐に目を落とせば、固く目を閉じ、痛いほど首に抱き着いてくるマリーの姿――ちょっと悪ふざけが過ぎたかと思うが、これで怒ってくれるならそれも良いかと思い直すことにして、人影の方へ向かってユンゲは空を駆けた。

 あまりに現実離れした大地の上を飛びながら、ユンゲの胸を満たしていくのは未知への強い渇望だった。

 

 




-言い訳です-
帝都からエ・ランテルへの帰路で、ホニョペニョコ騒動の跡地に立ち寄るのは地理的に難しいかと思うのですが、目を瞑っていただければ幸いです。


心を開いてもらう簡単な方法は、相手を怒らせること。
そんな人間関係の作り方は、いずれ破綻しそうです。







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