トップ > 石川 > 11月20日の記事一覧 > 記事

ここから本文

石川

第二能登丸の悲劇 冊子に 本紙入手の事故報告書など分析

高絹子教育長(左)に冊子を手渡す大井田孝さん。右から、北原久禅さん、石川多加子准教授、角三外弘さん=七尾市役所で

写真

神戸の研究員 七尾市に寄付

 太平洋戦争末期、七尾市の七尾湾に敷設された大量の米軍機雷の実態に迫る初めての専門書が完成した。神戸市の民間施設「戦没した船と海員の資料館」の研究員大井田孝さん(76)が冊子にまとめた。多数の犠牲者を出した木造の連絡船「第二能登丸」の爆発事故も詳報。本紙が今夏に入手した船会社の事故報告書を基に、戦前の船名録や米軍資料などを分析し、敗戦後の混乱を浮き彫りにした。(前口憲幸)

 平成最後の夏、大井田さんは戦没船の専門家として初めて事故現場を視察。七尾湾が米軍の標的となった背景を明らかにした。冊子には第二能登丸事故の生存者の告白を伝える本紙の記事や、米軍機雷の写真やデータなどを盛り込んだ。

 大井田さんは十九日、七尾市を訪れ、市役所や市立図書館に冊子を寄付した。

 市役所で受け取った高絹子教育長は「地元で語り継がれている事故だが、資料がなく、実態が不明だった」と感謝。七尾湾に四百個近い機雷が敷設されたデータに目を通して「危険と隣り合わせだった当時の状況が分かる。犠牲となった方々を思うと胸が痛む。風化させてはいけない、との思いを強くした」と語った。

 大井田さんは「七尾湾に限らず、敗戦直後に全国の港湾で何が起きていたのか、ほとんど記録がないのが現状。戦時中の方が、まだ情報がある」と指摘。冊子が今後の平和教育に少しでも役立つよう、願った。

 市立図書館では青木晴美館長に冊子を手渡した。戦後補償に詳しい金沢大の石川多加子准教授、事故の生存者や遺族への聞き取りを進めてきた地元七尾市の元教員角三(かくみ)外弘さん(73)、同市の妙観院名誉住職の北原久禅(きゅうぜん)さん(87)が同行した。

 第二能登丸の事故 1945年8月28日午後6時ごろ、引き船「第二能登丸」が米軍機雷で爆発。事故報告書によると勤労動員の作業を終えた16~41歳の男女、便乗の家族らが巻き込まれた。米軍占領下で報道されず、防衛省や海上保安庁、船を所有した七尾海陸運送にも資料はない。地元図書館所蔵の郷土史でさえ、日付や犠牲者数に齟齬(そご)が散見され、事故そのものの抜け落ちも珍しくない。

 調査が始まったのは敗戦から約40年後の80年代。県教職員組合七尾支部(当時)が地域の戦争被害として掘り起こし、遺族や生存者の証言を集めた。

 本紙は支部の平和教育専門委員会で責任者だった角三外弘さんを通じ、七尾海陸運送が62年4月11日付で作成したとみられる報告書を入手。「戦没した船と海員の資料館」と連携して調査を進め、今夏の紙面で事故を詳報した。

 

この記事を印刷する

中日新聞・北陸中日新聞・日刊県民福井 読者の方は中日新聞プラスで豊富な記事を読めます。

新聞購読のご案内

地域のニュース
愛知
岐阜
三重
静岡
長野
福井
滋賀
石川
富山

Search | 検索