日本語のために 

最近は、偶々なのは判っているが、「日本人って、嫌だな」と思う事が続いたので、日本語への興味も削がれて、なんだか、ほかのことで遊んでいることが多かった。

言語に対する、日本の大学受験生なみの、びっくりするような言語への浅薄な理解で、こちらをニセガイジンと決めつける日本の「小説家」が現れたり、倫理をまったく持たない元ウォール街の勤め人に、よくもまあ、ここまで、お里が知れる、というか、薄汚い人間性まるだしの悪口雑言を並べられるものだ、というような汚い日本語を立て続けになげつけられたり、あまりに低劣なので、わざわざ名前を挙げる気もしないが、ある種類の日本人の程度の悪さを嫌というほど見せつけられて、さすがに興醒めで、結局、自分が信じていた「日本文明」など、どこにもなかったのではないか、と考えたりしていた。

N’importe où ! n’importe où ! pourvu que ce soit hors de ce monde !

という。

溺れるように愛していた母親が年老いた再婚相手の老人と同衾したことを一生許せなかった詩人が書いた詩句で、ここではないどこかに行ってしまいたい、という気持は、誰にでもあるので、いまに至るまで、たくさんの人気に暗誦されている詩句がある。

妹は、何度か書いたが、言語的な天才で、本人は医学研究者になって、社会の側に立てば、あんなに語学的な才能があって医学の道にすすむなどは犯罪であるとおもうが、もともとぐちゃぐちゃしたものが好きなので仕方がないとしても、なるほど言語の習得というものには持って生まれた才能がおおきくものを言うのだな、と身近に判る例があるのに、そのときどきで、見知らぬ言語を学んでは、これをなんとか母語並にして、世界が異なる風景になってゆかないか、と性懲りもなく考えるのは、やはり、言語的な
pourvu que ce soit hors de ce monde !
なのだろうと思っています。

日本語にも、ほかの言語同様に、いくつかのピークがある。

初めのピークは、言うまでもなく、紫式部たちが生きていた10世紀の終わりで、日本語は古代中国語の注釈語として、いわばサブカルチャー言語としての日本語と、異様だが普遍性がある話者の数が少ないメジャー言語としての二面があると思うが、普遍語としての日本語がつくられていった時期で、多分、生活習慣上、極端に会話が抑制されていた結果として発達した、数々の恋愛詩や日記や手紙が、この時代の特徴をなしている。

11世紀の源俊頼という天才の出現や、14世紀の世阿弥、17世紀の松尾芭蕉と、所々にびっくりするような文学的な天才が現れるのは、日本語世界が、欧州的なサロン文学にとどまらず、西洋言語よりもおおきな人口的な広がりを持っていたからでしょう。

実際、日本語文化の極めて特異な点は、商人たちが文学の担い手である時代が長かったことで、ここには日本文明の、西洋人から見ると未だに不可視の、おおきな謎があるとおもっています。
日本の人達は気が付いているかどうか、多分、他の国には、アジアも含めて、なかったことだとおもう。

日本文学への評価が高いのは、翻訳者に恵まれていたからだ、というのはいまでは定説になっている。
皮肉なもので、日本がGDPの80%を軍備に投じるというような、通常の国民性では到底考えられない爪先立ちで世界全体に挑戦した戦争を起こした結果、アメリカを中心として連合国諸国では日本語を理解できる研究者の促成栽培を行うことになって、ここで軍事的な必要によって教育された若い情報将校たちは、戦後、食うのに困って、ジャパノロジストになり、日本文学翻訳者になっていった。

ユダヤ系社会の上流階級出身の好事家で、言語的な天才だったアーサー・ウエイリーや、マーク・ヴァン・ドーレンの世代までは、他の言語並だった日本語研究が、ドナルド・キーンたちの世代に至って、一挙に、突出した言語勢力になってゆくのは、ひたすら、このアメリカ軍の情報将校育成プログラムに依っています。

もともと日本語より豊穣な語彙や言語表現に恵まれていて、話者の人口も日本語よりも多く、はっきり言ってしまえば、普遍性においても日本語よりも高いベンガル語が辿ってきた苦難の歴史と比較すると、日本語が、いかに運に恵まれた言語であったか判ると思う。

日本語の凋落は著しい。
いちど、NYCに住む連合王国人の劇作家の友達に、
「ガメ、なぜ日本語は、あんなに急激にダメになったんだ?」と聞かれたことがあったが、聞かれて、日本人がテレビ中毒国民であることや、意識的に自分たちの言語を大事にしようという考えがない人達なのだというような理由が頭を過ぎりはしたけれども、ほんとうには、よく理由を考えてみたことがないことに思い至って、
「ちゃんと考えてみたことがないから、おれには、わからん」と述べたりしていた。

歴史的には、戦後も、鮎川信夫や田村隆一、中桐雅雄たちの「荒地」があって、
60年代の「凶区」や吉増剛造や岡田隆彦がいた「ドラムカン」くらいまでは、日本語は普遍語としての矜恃を保っていて、例えば西脇順三郎のような人は、言語的な才能を活かして、英語人の文学者よりも、より広い地平に立って、言語に依存しない、極めて美しい表現を持っていた。

散文は、詩に較べれば貧弱で、北村透谷という驚倒すべきというか、倫理への感覚を含めて西洋文明よりも数歩先を歩いた一個の天才を水源として、外国人には真価が極めて判りにくい夏目漱石を経て、谷崎潤一郎、日本語の意味ではなくて、言葉の正確な意味でマイナー文学でマイナー思想家として光芒を放った三島由紀夫くらいだろうか。

辿っていって、なるほどと得心がいくのは、「第三の新人」くらいで文学的な批評軸が折れて、奇妙な「文壇」的な社交判断が文学への評価に容喙して、いままた見直されているらしい遠藤周作のような、まったく文学的な才能を欠いた人たちが活躍して、自分ではすぐれた小説を書くが批評ということになると観念にとらわれて盲目になることが多かった大江健三郎のあたりから、急速に日本の文学はダメになってゆく。

自分でいうと、最近に書かれた散文文学で最後に文学的な興奮をおぼえたのは、
水村美苗の「私小説 from left to right」くらいが最後だった。

普段、日本語学習者として、どんなものを読んでいるかというと、
吉村昭は、読んでいないものを発見すると、手をつくして手にいれて読む。
日本には日本語でいう「大衆小説」の偉大な伝統があって、例えば三島由紀夫の「宴のあと」は、Alexandre Dumasの力量を思わせる、この分野の大傑作だが、
この線に沿って、司馬遼太郎も全部読んでいるのでないだろうか。

文章が好きな作家を挙げろ、と言われれば、内田百閒や岡本綺堂は外れないだろう。
この両方とも、書かれて出版されたものは、すべて読んでいるはずです。

日本語の素晴らしさは、ここに、根岸鎮衛、須賀敦子、あるいは、これも日本語で素晴らしい小説が書かれている推理小説の分野の、戸井田康二、江戸川乱歩、と書いてゆけば直ぐに了解されるバラエティのおおきさで、これも、たった一億人しかいない言語人口で、全き小宇宙を形成しようとした無謀な努力にもあるとおもう。

子供と、べったり一緒にいたい時間が終わって、と言っても、子供、小さいひとびとに内緒で言うと、いまでもモニもわしも、まだまだべったり一緒にいたいのだけども、そんなことをやっていてはいけないので、終わったことにして、時間が増えてみると、日本語は、考えていたよりもプライオリティが低くなって、ツイッタやブログも冷えていってしまうのかも知れないが、自分の日本語宇宙への興味は尽きてはいなくて、あんまり将来に期待できなくなってしまったというだけのことで、

中村雅楽が、
「ああ、松風だ。松風の音は、いいなあ」と述べる歌舞伎役者のひとりごとに遭遇する場面を、読者として目撃する幸福を捨てるわけにはいかない。

日本語を通して、高い知性を持つ良いお友達たちが出来たことの楽しさも、言うまでもない。
英語人が見ていないのをいいことに、ちゃっかりと述べると、やはり、日本語を学んだのはよかった、と思っています。

ありがとう。
唐突だけど

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