オーバーロード 新参プレイヤーの冒険記 作:Esche
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主人公以外の視点ということで、番外のような位置付けになるかも知れません。
新しい服に袖を通し、緊張した面持ちで全身を映す姿見鏡の前に立ってみる。
おずおずと鏡を覗き込み、思わず表情が緩んでしまったのも仕方のないことだとマリーは思う。
半ばほどから“奴隷の証”として切られてしまったエルフの長い耳はすっかり元通りになり、ざんばらだった金髪もおそるおそる梳いてみれば艶やかな手触りが感じられた。
気持ちが軽くなる思いのままに、くるりとその場で一回転。――ふわりと持ち上がったローブの裾からのぞいた太腿も健康的な白さを取り戻していた。
魔法の力とはかくも偉大なものかと思わされる一方で、自分が使える位階程度の回復魔法では、これほど劇的な効果を望むことはできないだろう。
全身の打ち身や擦り傷はともかく、傷としてはとうに癒えていた耳や短く刈られてしまった髪も元通り――故郷での戦争に駆り出され、敗れて虜囚の身となる前にまで――になる魔法なんて聞いたことすらない。ほんの一時間ほど前の出来事なのだが、受けた衝撃はあまりに大きすぎて、未だに夢心地というべきか、現実感がまるでなかった。
(あのスクロール、とっても高そうだったよね……)
発動に用いられた精緻な装飾を施された魔法のスクロールは、それ一枚でひと財産と言っても差し支えないほど、かなり高位の魔法が封じられていたように思える。
(私たちなんかのために使わせてしまって良かったのかな……)
胸に込み上げる無力感は、しかしマイナスの感情ではなかった。
全ての想いは、マリーの中で憧憬へと置き換えられてしまう。
*
前の主人であったエルヤー・ウズルスは最悪の性格破綻者だったが、腕の立つ剣士ではあった。
虜囚から奴隷として売られるまでの過程で一切の反抗心すら奪われてしまったマリーには、元より歯向かうほどの気力はなくなっていたが、抵抗したところで相手にもされない歴然とした力の差があった。――だから、街中で偶然に出会ってしまった同族、ハーフエルフの青年<ユンゲ・ブレッター>がこちらを助けようとエルヤーに勝負を挑んだときは、嬉しく思う反面で巻き込んでしまってはいけないと考えながらも、身体は一切動いてくれなかった。
嗜虐心の強いエルヤーの気性は身をもって理解させられていたからこそ、闘技場での試合において降参を認められないままにユンゲが命を奪われてしまうかも知れないと気が気でなかったが、マリーにはただ祈ることしかできなかった。
結局、マリーの祈りはある意味で的外れだったことはすぐに明らかになるのだが、剣技だけならオリハルコン級はおろか、アダマンタイト級にも迫ろうかというエルヤーが、まるで赤子が手を捻られるかのように敗れる姿を想像すらしていなかった。
優雅とすら感じさせる所作で戦いを終えたユンゲは、空を舞って目の前に降り立った。
そうして、横に置かれていたバスタードソードをユンゲが手にしたかと思えば、目にも映らない早業で瞬く間に首枷を解かれ、マリーは自由の身となっていた。
――良かったら、俺に君たちの名前を教えてくれないか?
頭の回転が追いつかず、呆然としてしまっていたこちらに配慮をしてくれたのだろう。
どこかぎこちない笑顔を浮かべながらも、紡がれた優しい声音。
虜囚となってから奴隷として過ごしたこれまでの日々の中、どこまでも物として扱われ、気を使われたことなど、いつ以来だったのかも判然としない。
抑えつけてきた気持ちが込み上げ、感情の奔流が止めどない涙として流れ出てしまった。
そんな反応はマリーばかりでなく、境遇を共にしてきたキーファやリンダの二人も同様で、都合三人のエルフが泣き出してしまうという情けない事態になってしまった。
何か悪いことを聞いてしまったのかと、ひどく狼狽するユンゲに、誤解なのだと告げようとしても、涙は後から後から堰を切ったように溢れ出してきてしまうので、なかなか訂正することができなかった。
三人のエルフが泣き続けてしまう最中、ユンゲの垣間見せた慌てふためく様子は、とても超級の実力を持った戦士のようには思えず、堪らなくなって吹き出してしまったマリーは――どこか憮然としつつ苦笑を浮かべるユンゲに――ようやく笑顔を見せられたことを安堵しつつも、申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
なんとか各々に紹介を終えたときには、皆どっと疲れた様子を見せていた。
ようやく一息をついたところで、どこからともなくスクロールを取り出したユンゲは、事もなげに三人への治療を施すと「うーん、先ずは服を何とかしないとなぁ……」と目のやり場に困ったように頬を掻いた。――そんなユンゲの仕草に、はっとして思わず目線を交わせば、キーファとリンダにも理解の色が浮かんでいた。
奴隷として過ごした日々の中で、身なりに気を使っている余裕はなかった。そもそも、主人であったエルヤーが全ての依頼報酬を独占していたため、自由に使えるお金などありはしない。
未だ動揺の渦中にある闘技場の観衆たちの視線が、途端に酷く気になった。
当然ながら観客たちが見ているのは、圧倒的な勝利を決めたユンゲなのだろうが、視界の中に自分たちの見窄らしい姿が入っているであろうことを気付かされ、羞恥を隠せなくなってしまう。
「と、とりあえず場所を変えようか――」
言葉を失ってしまったエルフたちを見遣り、自らの失言に慌てたユンゲからの提案を受けて、一同は足早に闘技場の観客席を後にすることとなった。
*
ローブの裾を摘まみ上げれば、しっかりとした生地と作りに仕立ての良さが分かる。
あぶく銭だから構わないと言われているけれど、決して安い代物ではない。
どうにかしてユンゲの恩に報いたいと思うのだが、今の自分にいったい何ができるのだろうか。
(――冒険者、だよね……)
ユンゲの首から提げていた銀のプレートは、冒険者であること示す認識票だった。
パーティメンバーらしき他の冒険者を見ていないことからの推測に過ぎないが、一般的な冒険者は実力の似通ったもの同士でパーティを組むことに照らせば、パーティを組む相手には困っていそうな気もする。――しかし、森祭司<ドルイド>の職業を習得した技能持ちの奴隷として売られ、不本意ながらもワーカーとして働いていたマリーではあったが、闘技場で目にしたユンゲの凄まじい技量を思えば、彼の役に立てるとはとても思えなかった。
最も分かりやすいのはお金かとも思うが、そもそもユンゲからお金を借りて――ユンゲには「好みの服を選べばいいよ。俺からのプレゼントってことだから、返してくれる必要はない」などと言われていたが、そういうわけにもいかない――しまっているのだから、論外だ。
(せめて、もうちょっとあればなぁ……)
何も名案が思い浮かばない中、姿見鏡に映る自分の薄い身体を見下ろし、気持ちが萎えてしまうのも仕方ないと思う。
「ね、この服どうかな……、変じゃないかな?」
思考の淵に沈んでいたマリーの耳に、不意に少女の声が飛び込んできた。
声の方へ目を向ければ、新しい服に身を包んだキーファの紫色の瞳が、どこか所在なさげにこちらの様子を窺っていた。
栗色の髪をうなじの辺りでまとめたポニーテールが揺れる。
白のシャツに短外套、太腿のかなり上まで切り詰めたジーンズパンツに胸部や関節部を保護する防具を身に着けているエルフの少女――露出度という点では、奴隷時代の布切れと大差ないように思えたが、野伏<レンジャー>であるキーファは動きやすさを重視したのだろう。
本来は快活な性格のキーファらしい服装と思えた。
「うん、似合ってるし良いと思うよ」
素直な感想をマリーが口にすれば、「そうだな、キーファらしくて良いんじゃないか」と同意するように奥からリンダが姿を現した。
神官<クレリック>であり前衛もこなすリンダは、露出の少ないタイトな僧衣に身を包んでいる。マリーよりも頭二つ分は背の高いリンダの、すらりとしたスタイルを強調するような黒を基調とした装いと腰にかかるほどの長い銀髪とのコントラストは美しく、大人の女性を思わせる彼女に良く似合っていた。
年頃の娘らしい照れたような仕草で「ありがとっ」とキーファが笑顔を浮かべてみせるのを横目にしつつ、マリーは改めて姿見鏡に向き直った。
膝丈の藍色のローブに、貂をあしらった灰色のケープといった落ち着いた組み合わせに――、
(ちょっと地味かな、もう少し裾は短いほうが良いのかな……)
そんなことを考えている自分に気付き、マリーは不思議な想いを感じていた。
数日前、いや今朝の自分ですら考えられないほど、劇的な境遇の変化だ。
奴隷として使い潰されるのを待つだけだった日々から救い出してくれたユンゲに、どれほどの感謝を抱いているのか、どうすれば想いの一端でも伝えることができるのか。
互いの服装について意見を交わすキーファとリンダを意識から外しつつ、ローブの裾を摘まんだままマリーは黙考に耽る。
――もし、求められることがあったのなら、拒むことは難しいかも知れない。身体に刻まれた恐怖を拭えず、マリーは思わず身震いしてしまうが、そこに不快な感じを抱くわけではない。
感謝の想いを僅かでも伝えられるのなら、そういった方法もあるのかも知れないとすら思う。
それでも、ユンゲほど強い戦士を周りが放っておく道理はないのだから、相手に困ることはないだろうし、よほど悪癖の持ち主でもなければ――ちらりと脳裡を過ぎるのは、先ほど見たキーファとリンダの艶姿――選ばれることもないだろう。
一つ大きな溜め息をこぼし、無意識のうちに短杖を握り締めながら、マリーは鏡に映る自分の姿を見つめ続けていた。
*
「うん、みんな良く似合ってるね。馬子にも衣装って感じだ!」
新しい服に身を包んだマリーたち三人を服飾店の外で迎えたユンゲは、開口一番にそんな言葉を口にした。
それは褒めているのか、と思わず突っ込みを入れたくなる衝動を抑えつつ、ユンゲの様子を窺ってみるが、一切の悪気もなさそうな笑みを向けられ、マリーはなんとなく脱力してしまう。
「ありがとうございます。ブレッター様のお心遣いに皆、大変感謝しております」
代表するように進み出たリンダが謝辞を述べれば、「あー、気にしないでいいよ。俺が勝手にやったことだからさ」とユンゲは軽く手を振って制し、言葉を続けた。
「とりあえず、“様”って呼ばれるのは恥ずかしいからなしでお願い。あと、冒険者組合ではユンゲで通っているから、みんなもユンゲって気楽に呼んでもらえたら嬉しいな」
「……左様ですか、しかし恩人をそのように呼び捨てにする訳にも――」
「別に構わないって、“様”なんて呼ばれるほど大層な男じゃないから……、本当に」
「いえ、あれほど実力をお持ちの方を――」
ユンゲとリンダの間で交わされる言葉を聞き流しつつ、マリーは顔を伏せた。
三人の中で最年長の、話し上手なリンダが会話するべきだと理解しつつも、ふつふつと込み上げる想いを上手く抑えられない。
(……今の私、絶対変だ――どうしよう、このままじゃだめだ)
やがて、双方で折り合いがついたのか、ユンゲは別の話題を持ち出した。
「ところで、明日にも帝都を発とうと思ってるんだけど、みんなはどうする? どこか頼れる場所まで俺が送っていこうと考えているんだけど……」
ユンゲの気遣うような声音に、三人のエルフは顔を見合わせ、先の言葉に詰まる。
奴隷の身から脱したのなら、辛い思い出しかない帝国にいつまでも留まりたくはないし、故郷であるエルフの王国に帰るべきなのかも知れない。
マリーたちの故国は、隣国であるスレイン法国との戦争状態にあった。
かつては協力関係にあったという両国だが、マリーが生まれるより以前にその関係は失われ、現在まで武力衝突が絶えたことはない。戦争の推移では、故国が常に劣勢に立たされていることを伝え聞いているため、本来であれば国へと戻って救国の戦いに参加することが、臣民として当然の務めなのだろう――が、マリーは身体が震え出すのを止められなかった。
戦争に参加し敗れて虜囚の身となり、思い出したくもない責め苦を受けて、奴隷として過ごさざるを得なかった悪夢の日々に、全身が逆立つような寒気に襲われる。
突然、足下の地面がぐにゃりと沈み込んだかのよう、膝に力が入らなくなり、その場に崩れ落ちそうになるのを必死に堪えた。――この人の前で、もう無様な姿だけは見せたくない。
そんな一縷の願いすら潰えようとした、その瞬間――不意に温かなぬくもりに抱きとめられた。
おずおずと見上げた先には、優しげなハーフエルフの青年の笑顔――頬を伝った一筋の涙を拭うことも忘れ、マリーは陶然とその眼差しを見つめる。
「そうか、頼れる場所はないか――じゃあ、俺と一緒だな」
何でもないように、あっけらかんと言い放つユンゲにマリーは、答えるべき言葉を失う。
「君たちもそうか? ……なら、俺と一緒に探してみないか、この世界も多分広いからな」
傍らのキーファやリンダにも声をかけながら、「今度は全部の世界を見てみたいんだ! もしかしたら、まだ誰も知らない素敵な場所が、どこかにあるかも知れないって考えたら、わくわくするよな!」とユンゲは高らかに言葉を続ける。
良く働いてくれない頭を必死で回転させてみるが、言葉の意味を理解できない。
――それでも、本当に楽しそうに笑うユンゲの横顔が、マリーには眩しく映るのだった。
次の話はもう少し早く投稿できると思います。