オーバーロード 新参プレイヤーの冒険記   作:Esche
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やや残酷な描写がありますので、ご注意ください。


(7)矜持

 ユンゲによって叩きつけられた剣風が、エルヤーの髪を吹き乱した。

「さぁ、答えを聞かせてもらおうか?」

 相手の眉間に突きつけた剣先を一切動かすことなく、ユンゲは静かに問う。

「――――っ、私が勝負を受ける理由がありませんね」

 ユンゲの刺すような声音に、思わず息を呑んだ様子のエルヤーだったが、すぐに調子を取り戻すとやれやれとばかりに肩を竦めた。

「……逃げるのか?」

「逃げる? 勘違いも甚だしいですね。――天才剣士であるこの私が、シルバー級如きの弱者から逃げる必要などありませんよ。強者との戦いであれば望むところですが、弱者と戦っても得るものはありませんからね」

「そうなのか? てっきり、弱い者いじめしか能がない阿保だと思っていたんだがな……まぁ、遠慮するなよ。俺の方が、あんたより強いぜ」

 あまりに平然と言ってのけるユンゲに、エルヤーばかりでなく周囲の野次馬までもが、言葉を呑み込む気配があった。

 中天を過ぎたばかりの日差しが降り注ぎ、バスタードソードの剣身を眩しい輝きに染め上げる。

 決して少なくない人々が集まる帝都北市場は、水を打ったような静けさに包まれていた。

 

 誰かの額で生まれた汗が頬を伝い顎に到達するほどの時間が過ぎ、最初に気を取り戻したのは、ようやく己の職分を思い出したらしい重装甲の騎士だったが――、

「お、お前は何を言っているか、街中で武器を……」

 非難の声を上げかけた騎士は、ユンゲの侮蔑に満ちた一瞥に呻き、言葉を噤んだ。

(今の俺、そうとう怖い顔してるんだろうな……)

 自身が怒っていることは理解していたが、ユンゲ自身ですらこれほどの怒りを覚えていることに違和感があった。

 判断することもできないが、“人間だから”とか“エルフだから”ということではなく、“どちらでもあるハーフエルフだからこそ”のやり場のない思いが、怒りの感情となって溢れ出しているのかも知れなかった。

 剣を構えたまま、ユンゲは肩越しにエルフの少女たちを振り返る。

 どこか呆然としたような虚ろな表情を浮かべる少女たちの、剥き出しの素肌には癒えない青痣や重なった擦り傷が見て取れる。

(……考えるのは後でもできる、か)

 ユンゲはゆっくりと息を吐き切り、一つ大きくかぶりを振って、エルヤーの目を見据えた。

「……あんたにも戦う理由があれば良いんだな。なら、俺に勝つことができたなら、この剣をあんたにやるよ。――天才剣士を自称するなら、これの価値くらいは分かるだろ?」

 バスタードソードを逆手に構え直し、エルヤーの眼前に掲げてみせる。

 同僚からタダで譲り受けた代物とはいえ、聖遺物級の武器だ。この世界での価値を完全に把握できているわけではないが、店売りでこの剣に比肩するほどの装備を見た記憶はない。

 驚愕を押し殺すようなエルヤーの反応を窺えば、ユンゲの考えは間違っていなかったはずだ。

「……さあ、いい加減に答えを聞かせろよ」

「――っ、調子に乗るなよ劣等種族が! この私に剣を向けたこと身をもって後悔するがいい!」

 

 *

 

 冷たい石壁に背中を預けながら、ユンゲは静かに瞑目していた。

 淡い<コンティニュアル・ライト/永続光>の照明が灯された室内は、空気が淀んでいるためだろうか、どこか埃っぽくかび臭い雰囲気が滲んでいた。

 一方で、部屋の周囲に立てかけられた数々の武具は、どれも年季の入ったものだったが、部屋とは対照的に良く手入れがなされていることは、見ただけでも分かるほどだった。

 背から伝わる僅かな振動と漏れ聞こえる歓声の大きさから、そろそろかと意識を呼び起こす。

 帝都アーウィンタールが誇る大闘技場――大満員の観客たちが熱気を振り撒くその階下、出場選手の控室で出番を待っていたユンゲに近づく人影があった。

「しかし、お主も無茶しおるの。エルヤー・ウズルスに勝負を挑んだと聞いたんじゃが――あの若造、性格はともかく腕はそれなりに立つぞ」

 声の方へユンゲが目をやれば、白髪交じりの男が背を屈め、好々爺然として立っていた。

「失礼ですが、あなたは……?」

「ただの鍛冶師じゃよ、この闘技場の武具の手入れを任されておる」

「そうでしたか、……あなたには無茶をしているように映りますか?」

 男の細い目が探るようにユンゲの様子を窺い、ゆっくりと首が横に振られた。

「ウズルスはこの闘技場で不敗を誇っておる。駆け出しに毛が生えた程度のシルバーの冒険者が、間違っても勝てる相手ではないじゃろう。おまけに、得意の武器まで取り上げられて、となれば尚更のう。……じゃが、これでも長いこと、この闘技場で戦う者たち――無茶ばかりしおる者たちを見てきたつもりじゃ」

 伏せられていた男の意外なほど鋭い眼差しが、ユンゲを正面から捉えた。

「戦いの才を持たぬ儂じゃが、お主はどこか違う気配を感じさせおるわ」

 褒められれば悪い気はしないのだが、ユンゲとしての強さはユグドラシルというゲームに起因するものであることを思うと少し複雑な気分だ。

 長年、裏方として従事してきたという男の賛辞を受け、ユンゲは肩を竦めてみせる。

 

 二時間ほど前のこと、帝都北市場においてユンゲがエルヤーに勝負を挑んだ際、場所を変えるとして提示されたのが、大闘技場での試合だった。

 睨みつけて黙らせたとはいえ、帝都の治安を守る騎士の前での流血沙汰では流石に分が悪かったこともあり、渋々ながらユンゲも提案を受け入れると、闘技場における不敗記録を持つエルヤーの伝手により、当日の内に興行主からの返答があり、急遽試合が決まった次第だ。

 また、誤算というわけでもなかったが、事前の取り決めの中で、互いの掛札である「エルヤーの奴隷三人」と「ユンゲのバスタードソード」は、勝負の決着がつくまで両名とも手を触れない旨が、試合の条項に記載された。

 こちらの自信を武器の性能に頼ったものと判断したらしい、エルヤーの悪知恵だったようだが、ユンゲにしてもエルフの少女たちをこれ以上傷つけさせないためには、必要な取り決めだった。

 躊躇うことなく了承したユンゲに、エルヤーは奇異の目を向けてきたものだ。

 

「しかし、実際のところ武器はどうするつもりなのじゃ」

「ここにある武器はお借りできるのですよね?」

「それは勿論じゃが、慣れた武器でなければ感覚も狂おう?」

「大丈夫ですよ。ここの武器はどれも申し分ない、あなたの仕事が確かなのでしょうね」

 屈託ないユンゲの言葉に、男の細い目が見開かれ、やがて笑みを形作った。

「……くふっ、嬉しいことを言ってくれおる」

 むず痒い思いを押し隠すように「ちょっと見させてもらいますね」と言葉を返し、ユンゲは武器のそばに歩み寄る。ある程度どんな武器でも扱える自信はあったが、槍や棍棒のような武器よりもやはり剣の使い勝手が一番良いように思えた。

 身も蓋もない話ではあるが、素手であったとしても負ける気はしない。

 闘技場で戦うのであれば、やはりグラディウス――古代ローマ時代の剣闘士が用いたという肉厚で幅広の両刃剣――のような剣が相応しいだろうか。

(バスタードソードよりもリーチは短いけど、取り回しは問題なさそうだな)

 軽い素振りを繰り返して具合を確かめながら、何気なくユンゲは男に問いかけた。

「ところで、賭けの倍率って今どうなっているか分かりますか?」

「ん? さっき見たときでならウズルスは『一.〇八倍』、お主が『九.六五倍』じゃったかな。――新人のデビュー戦なんて、こんなもんじゃよ」

 いちいち気にするなとばかりに男がユンゲの肩を軽く叩いた。

 興行の上でも勝敗の分かりやすい、所謂“固い試合”は必要なのだろう――が、なんとなく腹立たしいのは事実だ。

 暫く考え込んだユンゲは、おもむろに懐から取り出した革袋を無言で男へ向けて放った。

「な、なんじゃ……ん、金か?」

「――全額、俺に賭けといてくれ。美味い酒を奢ってやるよ」

 心掛けていた丁寧な口調もどこかに追いやり、ユンゲは不敵な笑みを浮かべてみせた。

 

 *

 

 向かいの入場扉が重々しく開かれ、闘技場に姿を現したエルヤーを大歓声が迎えた。

 闘技場においては格の下がる者から入場するという慣習に従い、挑戦者であるユンゲが先に登場したときには疎らだった歓声も、不敗の天才剣士が登場したことで割れんばかりに膨れ上がった。

 観客の目を意識しているであろう煌びやかな装衣に身を包み、声援に応えるエルヤーを視界の端で捉えつつも、ユンゲの視線は観客席の一点――魔法による拡声器を手にした司会者の背後、同僚から譲り受けたバスタードソードと並び、首枷によって拘束されたエルフの少女たちに注がれていた。横に控える武装した騎士は見張り役といったところだろうか。

 理解はしていたつもりだったが、あんまりな扱いを目にして憤りを覚えないことはできない。

 観客を煽っているのだろうか、何事かを喧しく喚いている司会の声は、ほとんどユンゲの耳に届くことはなかった。

「……どうした? 開始の合図は既になされているぞ、今更怖じ気づいたのか?」

不意にエルヤーからの嘲笑を浴び、ユンゲは意識を引き戻した。

「あんたから仕掛けてこないのか?」

「ふっ、わざわざ舞台を用意してやったのだ。――すぐに終わらせてしまっては、観客も興醒めだろう。せいぜい足掻いてみせるがよい、貴様には劣等種族としての身の程を教えてやろう!」

「そうか……、ならこちらから仕掛けさせてもらうよ」

 彼我の対峙する距離はユンゲの目算で一〇メートルほど。一度の跳躍で詰められる距離ではあったが、剣士であるエルヤーの土俵で戦ってやるつもりはない。

 まして、観客の期待に配慮する気持ちなど、ユンゲは欠片すらも持ち合わせていない。

 グラディウスを剣帯から解いて右手に持ち、左手はエルヤーに向けてゆっくりと持ち上げる。

 エルヤーの呼吸を見極め――息を吐き切った、その瞬間にユンゲは動いた。

 

<ショック・ウェーブ/衝撃波>

 無詠唱化された不可視の衝撃がエルヤーを襲い、その身体を遥か後方へと吹き飛ばす。

 ご立派な胸当てが砕けるほどの勢いで転がりながら、それでも受け身を取れたところを見れば、エルヤーがそれなりに鍛えているだろうことは分かった――が、遅すぎた。

 転倒から素早く起き上がり、片膝立ちになったエルヤーの背後に立ち、その首筋にピタリと刃を押し当て、ユンゲは淡々と言葉を紡いだ。

「どうやら、あんたの負けみたいだな。……俺に“弱い者いじめ”の趣味はないからな、さっさと降参しろよ」

「――ま、魔法だと……!? ふざっ、ふざけるなぁああああっ!」

 驚愕から憤怒の表情で叫ぶや、首筋を裂かれるのにも構わず反転し、抜き打ちで振るわれたエルヤーの横薙ぎの斬撃は、――しかし、呆気なく空を切った。

 あっさりと身を躱し、振り抜かれたエルヤーの刀へ向け、右手のグラディウスを一閃。

 剣と刀とが打ち合わされた硬質な澄んだ金属音が、嫌にはっきりと大歓声の中に響いた。

 半ばほどで叩き折られた刀身がくるくると宙を舞い、闘技場の石畳に深々と突き立つ。

 

 観衆の誰もが言葉を失ったように喧騒が遠退き、――やがて闘技場は全くの静寂に包まれた。

 

 緩やかな動作で剣を構え直したユンゲの眼前、折れた刀の柄を縋るように両手で握り締めるエルヤーの身体が小刻みに震え始めていた。

 ――その目に浮かぶのは、確かな恐怖の色。

「……無様だな」

 短く言い差し、ユンゲは剣を振るい――柄を握ったままのエルヤーの両肘から先を斬り飛ばす。

 吹き上がる血飛沫の向こう、言葉にならないエルヤーの絶叫が闘技場に響き渡るのを横目に、ユンゲは刃こぼれ一つないグラディウスの剣身を確認し、血を振り払って腰の剣帯に留めた。

「――喚くのは、言うべきことを言ってからにしろよ」

 恐慌して叫び続けるエルヤーを冷たく一瞥したユンゲが、静まり返る観客席の方へ視線を向ければ、短杖を手に真摯な祈りを捧げる少女の姿が映る。

 やおらとエルヤーに向き直ったユンゲは、乱れた髪をかき上げて、拳を固く握り締めた。

 そうして、半狂乱で無防備となったエルヤーの腹部に、容赦なく拳を打ち込む。

 “く”の時に折れた天才剣士の身体が浮き上がり、数瞬の間をおいて地面に倒れ伏した。

 胴鎧を砕いた拳を軽く振りつつ、俯せに倒れる傍に屈んでエルヤーの後ろ髪を掴み上げ、無理やりに顔を起こさせる。

「まだ寝るなよ、悪いことしたら“ごめんなさい”だろ? ママに教わらなかったのか」

「……こひゅっ、…………ご、ごべんな、ひゃい」

「俺に言ってどうするんだよ、あの子たちにだろうがっ!」

 吐血交じりに言葉を発するエルヤーを見下ろし、ユンゲは声を荒げた。

 エルヤーの頭を無造作に振り、観客席の一角で固唾を飲むようにこちらを見つめているエルフの少女たちの方を強引に向かせる。

 焦点の合わない目線を彷徨わせるエルヤーに、その姿は映っていないかもしれないが、ようやく口にした謝罪の言葉を耳にし、ユンゲは静かに目を閉じた。

 

「……さて、これからどうするかな」

 こぼれた小さな呟きは、誰に届くこともない。

 エルヤーの頭を石畳に放り捨てたユンゲは<フライ/飛行>を詠唱し、悠々と空を飛んで観客席へと降り立った。

 とっくに決着は着いているだろうに、未だ一言も発していない司会者の横をすり抜ける。

 棒立ちとなった騎士の傍ら、置かれていたバスタードソードを手にしたユンゲによる、三度の斬撃――少女たちを束縛していた首枷は、薄皮一枚傷つけることなく断ち切られた。

 どこか呆然としたような少女たちと対面し、ユンゲは努めて優しい口調で言葉を紡いだ。

「よく頑張ったな、これで君たちは自由の身だ」

 

 ――良かったら、俺に君たちの名前を教えてくれないか?

 

 




-天才剣士-
一切の武技を発揮することなく退場となります。
ある意味で動かしやすいキャラクターのため残念なのですが、おそらく再登場はないと思います。








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