オーバーロード 新参プレイヤーの冒険記   作:Esche
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投稿間隔が開いてしまいました。

今回ですが、人によっては不快と感じてしまう表現が含まれているかと思いますので、ご注意ください。


(6)邪魔

 意気揚々と宿屋を出たユンゲは、帝都アーウィンタールの中心――皇城の膝元に当たる大広場へと足を踏み入れ、感嘆の呻きを上げた。

 右を見ても左を見ても、様々な露店が立ち並び、買い物客を呼び込む店員の声に、値切りを交渉する婦人や走り回る子どもたちの叫ぶ声が騒がしい。通りの端では、昼間だというのに酒を酌み交わす男たちの姿もあった。

 大広場はまさに喧騒の坩堝と化していたが、そこに不快な感じはない。

とにかく活気に溢れ、行き交う人々の表情は晴れやかだった。

 鬱屈とした現実の世界にはなかった――人間らしさとでも言うのだろうか――生きることそのものを楽しんでいるような人々の姿に、ユンゲは羨望にも似た思いを抱いていた。思いがけず感傷に浸りかけたユンゲだったが――、突然ぐぅーと鳴った腹の虫に、意識を引き戻された。

(とりあえずは、腹ごしらえだよな!)

 色鮮やかな布や精緻な模様が刻まれた装飾品、用途も分からないような禍々しい品々にも興味は引かれるが、今は後回しだ。

 どこも盛況な様子の露店には、たっぷりの蜂蜜をかけた贅沢な小麦のパンや分厚く切り分けたチーズが並び、丸のままの若鶏を揚げる芳ばしい香りに鼻孔をくすぐられ、串を打たれた焼き加減も絶妙な大振りな肉は、滲んだ脂がじゅうじゅうと音を立てながら、タレの甘い香りとともに食欲をかきたててくる。

 もはや目の前の食べ物にしか注意を払えなくなったユンゲは、食欲に突き動かされるまま手当たり次第に買い食いを重ね、口周りの脂とともに幸福の味をエールで胃の底に押し流していく。

 無作法も極まれるようなユンゲの振る舞いだったが、その食いっぷりの見事さに、いつしか遠巻きにしていた他の買い物客たちからの歓声すら上がり始めていた。

(……今、めっちゃ幸せだ)

 次の獲物を求めて周囲を見回したユンゲは、青果の露店に目を留める。

 楕円形の細長い西瓜や葡萄に似たフルーツに並び、深い緑色のゴツゴツといた外見の巨大なライチのような実が気になった。

「ああ、これはレインフルーツだよ。どうだい、食べてみるかい?」

 ユンゲの視線に気づいたであろう店主が、一つの実を手に取り、皮を剥いて差し出してくれた。

 瑞々しいピンク色の果肉の表面、浮かび上がった果汁が誘うように滑っていく。

「いいんですか! いただきます!」

 一にも二にもなく飛びついたユンゲは、御礼もそこそこにレインフルーツに齧りついた。

 柑橘系の爽やかな香りが広がり、酸味のまるでない濃密な甘さが口いっぱいを満たしてくれる。

 思えば、この世界に来てから甘味をほとんど口にしていなかった。

 病みつきになるとはこのことで、薦めてくれた店主が引いてしまうほどに籠一杯のレインフルーツを買い込んだのだが、露店を巡るうちにあっさりとユンゲの胃袋の内に収まってしまった。

「よし、腹ごしらえも済んだし、そろそろ行くか!」

 そうして、一頻り食事を堪能したユンゲは、ようやっと帝都北市場へと足を向けることにする。

 周辺の買い物客に道を尋ねる中で聞こえた“奴隷市場”という単語に、一抹の残念さを覚えるが、魔法が存在するファンタジーな世界観にそぐわないという思いと中世社会のイメージを無理やりに結びつけることで折り合いをつけ、努めて無視をすることにした。

 

 *

 

 北市場についてみれば、人通りはやや寂しくはあったが、大広場とはまた異なる類いの活気に溢れていた。

 冒険者やワーカー自身が店を開いているだけあって、店主のほとんどはおよそ客商売には向いていないであろう厳つい雰囲気の者たちばかり――客層にしても同様で、子どもの遊ぶ声など全く聞こえて来ない。

 しかし、この場にいるのは、ある意味では子ども以上の活力に満ち溢れた者たちだ。

 売り物であるアイテムを如何なる苦難の果てに手にしたか、声を大にして己の冒険譚を競い合い、誇り合っている。

 露店に並べられたアイテムのほとんどは、ユグドラシルのアイテムと比較してしまえば取るに足らない品々ではあったが、中にはユンゲの興味を引く“生活用品系”と呼ばれるマジックアイテムも存在した。

「おっ、兄ちゃんお目が高いね! これらの品は二〇〇年ほど前に、さる高名な賢者が考案し……」

 上機嫌な店主の言葉を軽く聞き流しつつ、ユンゲはマジックアイテムの具合を確かめてみる。

 ユンゲの記憶が確かならば、それらは“冷蔵庫”や“扇風機”と呼ばれるもののはずだ。

 当然、動力は魔法的ななにかなのだろうが、現実の世界を連想させてくれるようなものとの思いがけない遭遇にユンゲのテンションは上がりっぱなしだ。

(魔法って使い方次第でこういうこともできるのか……、なんかいろいろと試してみたくなるな)

 マジックアイテムに夢中になっていたユンゲの背後、不意に立ち止まったらしい小さな足音が、一つ耳朶を打った。

 やおらと振り返ったユンゲの視界に飛び込んでくる光景。

 

 喧しかった呼び込みも、値切りを訴える買い物客の声も、喧騒がどこか遠くに感じられた。

 

 碧の瞳に映る小さな驚きは同族を認めたからか――、瞬く間に羞恥に染まった瞳が伏せられる。

 背けられた悲愴な横顔に、短く刈られた髪と無残に半ばほどで切られてしまった、特有の細長い耳が痛々しい。

 痩躯を特徴とする種族であっても細すぎる、四肢の露わな装いは、服として最低限の機能しかない粗末なぼろ切れのようだ。

 ――ユンゲの脳裡を過ぎる“奴隷”という単語。

 薄い胸に抱かれた短杖がカタカタと小刻みに揺れ、握り締められた白く小さな手は、よほど力が込められているのか赤く気色ばんでいた。

 十代後半から二十代前半ほどだろうか、どこか幼い印象さえ受ける森妖精〈エルフ〉の少女――が、唐突に姿勢を崩して、石畳につんのめるように倒れ込んでくる。

 咄嗟に身を起こしかけたユンゲは、目前の出来事に硬直した。

 転んだ――いや、後ろから蹴られて転がされた少女の背に、戦闘長靴が突き立てられる。

「急に立ち止まらないでください、邪魔ですよ」

 鈴の音を思わせる涼やかな声音。

 切れ長の目にぞっとするほどの侮蔑を宿して少女を踏みつける、武装した長身の男がいた。

「――っ、おい! あんた何して……」

「これは、これは……私の所有物が失礼をしました」

 ユンゲの上げかけた非難の声を遮り、優雅とすら思わせる所作で、男がするりと滑るように後ろへ下がった。

 眉目秀麗な顔立ちに薄い笑みを湛える男に、後ろめたい感情は少しも見受けられない。

 ユンゲの背後、先ほどまで愛想良く接客していた店主が「げっ、エルヤーかよ……」と小さな呟き――聴覚に優れるハーフエルフの耳をもってようやく聞こえるほど――をこぼすのが聞こえた。

 人目を引く気障な男〈エルヤー・ウズルス〉の値踏みするような視線がユンゲの首元を巡り、すぐに興味をなくしたように足元の少女を捉えた。

「いつまで寝ているのですか、さっさと行きますよ」

 辛辣な言葉とともに振るわれたエルヤーの拳が、覚束ない足取りで慌てて立ち上がろうする少女の後頭部を殴り――、つける寸前で停止した。

「…………何の真似でしょうか?」

「知るか――、ただ腹が立ったんだよ」

 エルヤーの手首を掴み、ユンゲは言葉を吐き捨てた。

 力を込めた手に伝わる、冷たい感触――エルヤーの肘先から拳までを覆う手甲はかなりの硬度がありそうな代物だ。こんな拳で無防備な頭を殴られてしまえば、ただでは済まないだろう。

「単なる躾に、無用な手出しをしないで頂きたいのですが……?」

 涼やかなのに、底冷えするような凄みを効かせたエルヤーの詰問。

 現実世界で対面していたら、一にも二にものなく逃げ出していたかも知れない。

(……いや、そもそも関わらないように遠巻きに避けてたかな)

 駅の構内や夜の繁華街で何かしらの揉め事が起きていても、気づかない振りで足早に立ち去ったことは一度や二度じゃない。

 ――正義を気取るつもりはないし、責任を負う気概もなしに首を突っ込むべき案件ではないと、頭では冷静な判断ができていた、……はずだ。

 ユンゲの握り締めた手甲が、みしりと音を立てる。

 

 怒気を浴びせても動じた様子のないユンゲを睨み、エルヤーは不快げに口を歪めた。

「――おい、いい加減……」

 エルヤーが口を開きかけるに合わせて、掴んだ腕を身体ごと引き寄せる。

 勢いに任せて強引に立ち位置を入れ替え、エルヤーと少女の間に割って入ったユンゲは、背中越しに少女の様子を見やる。

 先ほどまでエルヤーの背後に控えていた二人の少女――虐げられていた少女より少しだけ大人びた印象だが、同じような粗末な服に身を包んだエルフの少女たち。彼女らが同じ境遇に置かれているであろうことは直ぐに察せられた――が、よろめいた少女に駆け寄って肩を支えているのを確認し、エルヤーの正面に向き直る。

「……この国は、エルフの奴隷売買が認められているんだったな」

 問うでもなくこぼれた言葉は、ユンゲ自身が驚くほどに低い声になっていた。

「それがどうしたのでしょうか? 最も優れた私たち人間が、劣ったエルフどもを使役することに何か問題があるとでも……」

「さっき、あんたの所有物って言ってたよな。あんたが買った奴隷ってことだろ? 物を大切にしろ、ってママから教わらなかったのか?」

「大切に……? ふっ、初めて聞く言葉ですね」

 芝居がかった所作で肩を竦めてみせたエルヤーが、嘲るような笑みを浮かべて言葉を続けた。

「有効に使い潰せばいいだけでしょう。この程度の道具、代わりならいくらでもありますよ」

「――そうか、なら俺に譲ってくれよ。別に構わないだろ?」

「何を言っている? …………いや、そうか貴様もだったか。――なるほど、私の“使い古し”の同族に欲情でもしたか?」

 訝しそうな表情から一転、慇懃無礼な態度を崩したエルヤーが、嗜虐心に満ちた凶相を貼り付け、ユンゲの背後――互いに身を寄せ、細い肩を抱き合って震えるエルフの少女たち――を見据えた。

 その反応を見るだけでも、少女たちがどのような扱いを受けてきたのか、想像に難くない。

 エルヤーの視線を遮るように距離を詰め、ユンゲは髪をかき上げて細く尖った耳を露わにした。

「……だったら、どうした?」

「はっ、蔑まれ続ける劣等種族同士、傷の舐め合いでもしたくなったか? くくく……、私が直々に仕込んでやったからな、それなりには使えるだろうさ」

「――っ、それで……さっさと答えを聞かせてくれよ。俺に譲ってくれないか?」

「……いい加減にしろ、貴様のようなエルフ如きがこの私に頼みだと? ――ふざけるなよ、奴隷風情がっ! 貴様らはただ這い蹲って、震えながら慈悲を乞いてさえいればいいんだ!」

 見下すべき対象に侮られるのは我慢ならなかったのだろう。

 激情を振りまくエルヤーの手が、腰に差した刀の柄にかかるのを視界の端に捉える。

「あんたが武器を抜くつもりなら、俺も容赦しないぜ」

「……容赦しない、だと? エルフとは、どこまでも愚かだな。この私を誰だと思っている」

「さあ? あんたが何者かは知らないけど、とりあえず俺の嫌いな野郎だってことだけは分かるさ」

「これほどまでの無知とは度し難い――。まあいい、この場で切り捨ててくれる」

 言い差したエルヤーは身を屈め、居合の体制を取る。

 思いのほか堂に入ったエルヤーの構えを見やり、ユンゲは少しだけ警戒心を強めながら腰の剣帯を解いてバスタードソードの柄に手を添える。

(一応、殺さないけど……腕の二、三本なら斬り飛ばしてもいいよな)

 一触即発な緊張感は、いつの間にか周囲を取り巻いていた野次馬たちにも伝播し、帝都北市場は不思議な静けさの中に包まれていき――、

 

「――こらっ、お前たち何をやっているか!」

 突然の怒声が、静寂を打ち破った。

 一挙に気勢を削がれたユンゲが、声の張り上げられた方に目を向ければ、重装甲騎士と軽装甲騎士が通りの角から駆け寄ってくるのが見えた。

「――っち、邪魔が入ったか」

 エルヤーのぼやきに複雑な気持ちながら、ユンゲは同じ感想を抱いていた。

(せっかく、相手の方から仕掛けてくれそうだったのに……)

 深く考えるまでもなく、街中で刀傷沙汰になってしまっては問題になるだろう。

 当然、バハルス帝国の法律など知らないユンゲだったが、何か問題が起きたとしても「相手に襲われたから反撃しただけ」という、要するに“正当防衛”の理論でごまかすつもりだった。

 また、ユンゲの与り知らないことではあったが、冒険者のように組合の後ろ盾を持たない、ワーカーであるエルヤーにしても、公権力との不必要な諍いは避けたい事態だった。

「いえ、わざわざ騎士様にお世話をおかけするようなことはありませんよ」

 何事もなかったかのように受け答えるエルヤーの口調は、先ほどまでの飄々としたものに戻っていた。

 エルヤーの慇懃無礼な物言いに、駆け付けた騎士が不快な感情を押し止めながら周囲を見回せば、奴隷然としたエルフの少女三人と憤った様子のハーフエルフは、すぐに目に付くだろう。

 大雑把に状況を把握したであろう騎士が、重い溜め息とともに口を開いた。

「エルヤー・ウズルス、考えを改めろ、とは言わん。だが、時と場所は弁えてくれ」

 騎士の小言に、エルヤーは肩を竦めるだけで返し、それ以上の反応を拒否した。

 ユンゲが横目で確認した、騎士の言葉を耳にしているであろう少女たちは、一切の反応を示していない――エルヤーに苦言を述べているようでありながら、一方で奴隷への扱いを黙認するかのような騎士の言葉に、ユンゲは失望を隠せなかった。

 ――剣柄を握ったままの右手に、無意識のうちに力が込められる。

 落ち着いた声音で紡がれた言葉は、ユンゲの感情を吐露するように、凄絶な響きを湛えていた。

 

「あんた、エルヤー・ウズルスか――、俺と勝負しようぜ」

 抜き放たれたバスタードソードが、鮮やかな円弧を虚空に描いて、一点に静止する。

 

「俺が勝ったら、彼女たちは解放してもらうぞ」

 エルヤーの眉間に剣先を突きつけ、ユンゲは静かに宣言するのだった。

 

 




-腕を掴まれているときの天才剣士-
(……んっ、あ、あれ動かない? て、ていうか痛い!)


今回から各話のサブタイトルに数字を振ることにしました。







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