オーバーロード 新参プレイヤーの冒険記 作:Esche
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同僚から貰った、聖遺物級の武器や防具を装備しておりますが、上空を飛んでいるときに羽織った無地のマントで全身を覆っているため、他人からは分からない、という設定です。
アインズ様なら、あっさりと看破できそうですが……
その瞬間、がやがやと騒がしかった酒場は、突然の静寂に包まれたようだった。
酒場の衆目が、ウエスタンドアを開け放った二人組の男女に集められた。
傾けていたジョッキを置き、やおらと振り返ったユンゲは、思わず息を呑む。
先に立つ男――絢爛華麗な漆黒の全身鎧に身を包み、背には大振りな二本のグレートソードを担いでいる。面頬付き兜に開いた細いスリットから表情を窺い知ることはできないが、漂わせる雰囲気は、歴戦の戦士を思わせる威風堂々としたものだ。
圧倒的な存在感を放つ偉丈夫を前に、首から下げる冒険者の認識票が、銅のプレートであることをすぐに気付くことができた者はいかばかりだろうか。
しかし、ユンゲが目を奪われたのは男の方ではなく、背後に控える女の方だった。
「……すげぇ、美人」
一流の彫刻家が生涯を賭して彫り上げた渾身の逸品すら霞むような、美貌の女だ。
意識なくこぼれた感嘆の呻きは、昨夜の星空を眺めていたときに倍するものだったかもしれない。
黒曜石のような輝きを放つ切れ長の瞳に、珠のように白く張りのある肌。後ろ手にまとめた艶のある黒髪が、優雅な歩みに合わせて軽やかに揺れる。まるで男の従者のように寄り添う淑やかな態度は、どうしようもない渇望をユンゲの胸に抱かせた。
彼女の纏う何の変哲もない深い茶のローブが、極上のドレスかと錯覚してしまうほどだ。
ユンゲと同じように、そこかしこから感嘆とも嫉妬ともつかない声がもれ聞こえてくる。
そんな酒場内の視線を集めながら、連れ立った二人組は周囲の客を一顧だにせず、テーブルの間を抜けて、受付でモップを手にしていた主人の前に進み出る。
「宿だな。何泊だ」
凄みを効かせた濁声で主人が問うが、漆黒の戦士はあくまで淡々と受け答えをしていた。
ユンゲも体験したように、新人の冒険者には相部屋を薦める倣いらしいが、やはりと言うべきか、男は二人部屋を希望しているようだ。
(……まぁ、あんな美人連れてたら相部屋は選ばないよな)
「少しは考えろ! そのご立派な兜の中身はガランドウか!」
頑なな様子に主人が声を荒げるみせるが、漆黒の戦士の方は平然としたもので、余裕の態度を崩さない。
なんとなくだが、「部屋なんかどうでもいいから早く飯を出してくれ!」と叫んだ、先ほどの自分が、とても恥ずかしいことをしたような気になってくる。
(いや、腹が減ってたからな。昔から腹が減っては、戦はできない! って偉い人も言ってたし……。うん、仕方ないよな……)
ユンゲが、言い知れない敗北感を味わっているうちに、主人との間で話がついたようだった。
踵を返し、主人の指した階段の方へ漆黒の戦士が歩き出した――かと思えば、その先を塞ぐように足を投げ出す男がいた。
ユンゲが酒場についたときには、既にテーブルを囲んでいた連中で、皆一様に育ちの悪さが滲み出ているような嫌らしい笑みを浮かべている。
絡むにしても相手ぐらいは選ぶべきだろうに、と思わなくはないが、ユンゲにしても特に止める気にはならない。
あんな強面の主人に恫喝されても顔色一つ変えない――面頬付きの兜で表情は見えないが、全身から放たれる雰囲気だけでも分かり過ぎるほどだ――手練れであろう漆黒の戦士に、なぜ喧嘩を吹っかけるのかと乾いた笑いさえこぼれてくる。
それから繰り広げられた三文芝居は、ユンゲが思い浮かべたままの形で展開した。
それでも、あっさりと返り討ちにあった男が、放物線を描いて宙を舞ったときには、(魔法使わなくても、人間って空飛べるんだなー)という少しずれた感慨があった。
その着地点――小瓶を眺めてご満悦だった女のテーブルの尽くを薙ぎ払い、けたたましい音が響き渡った後、男の呻き声を残して、酒場は再び静寂に包まれ――、
「おっきゃあああああ!」
一拍の間をおいて、奇怪な叫びが静寂を打ち破った。
(まぁ、人間がいきなり降ってくればびっくりするよね。……てか、仲間の介抱もせずにペコペコしやがって、本当に碌な連中じゃねーな)
喧しい女から視線を外せば、漆黒の戦士を前に絡んでいた男たちがやたらと低姿勢で媚びを売っているところだった。
「やっぱり、俺は“ぼっちプレイ”でい……」
「ちょっとちょっとちょっと!」
ユンゲのこぼしかけたぼやきをかき消したのは、先ほどの女が上げた非難の叫びだった。
女は、そのままズカズカと乱暴な足取りで漆黒の戦士に迫り、「あんた何すんのよ!」と声を張り上げる。
どうやら、先ほどの騒動で大事にしていたポーションの小瓶が割れてしまったことを責めているようだったが――、
「「たかだかポーション……」」
ユンゲと漆黒の戦士の声音が、思いがけず重なったことに気付いた者はいなかった。
その後の女の主張を聞く分には、どうやらこの世界におけるポーションは貴重品の扱いらしかった。ユグドラシルをプレイしていたとき、回復魔法を覚えてからはポーションを購入していなかったので、手持ちは僅かだ。
もっと買い溜めておけばよかったかな……、などとぼんやりユンゲが考えていたところ、突然全身を刺すような悪寒が襲ってきた。
慌てて首を振った先で、ユンゲの視線は一点に釘付けとなる。
ポーション女が漆黒の戦士をかしましく責め立てる、その向こう――美貌の女が、底冷えするような凄まじい眼光を放っている光景だ。
――ユンゲの背筋を冷たい汗が伝っていく。
あー、美人は睨みつける顔もやっぱり美人なんですね……、と現実逃避を試みるが、気分は血に飢えた野生の猛獣を目の前にしているようなまま、晴れない。
(ていうか、ポーション女は何も感じてないのか? あの漆黒の戦士ですら、焦るような素振りで代替のポーションを手渡して、急いで収拾を図ろうとしているような気がするのに!)
ユンゲにとって、これまで経験したことのない恐怖の時間は、漆黒の戦士が「行くぞ」と美人に告げたことで終わりを迎えた。
ギシギシと悲鳴を上げる階段を登った二人の後ろ姿が、廊下の先に消えたところで、ユンゲはようやっと息を吐き、すぐさま席を立った。
「……冒険者組合だ。とりあえず、依頼を受けよう」
自分に言い聞かせるように言葉を紡ぎ、捕食者から逃げ出したい小動物の心境で、ユンゲは酒場を後にし、足早に冒険者組合へ向かうのだった。
*
ユンゲが冒険者組合の扉を押し開ければ、奥のカウンターでは三人の受付嬢が、笑顔で冒険者らの相手をしていた。右手側のボード――読めない文字で依頼内容が書かれた羊皮紙が、何枚も貼り出されている――の前では、真剣な表情で相談する何人かの冒険者たちの姿もあった。
扉を開けた瞬間から一斉に視線が向けられるのを感じていたが、それも僅かな間のこと。
ユンゲが首に下げる銅のプレートを一瞥すれば、まるで興味を失われたように――実際に興味がなくなっているのだろうが――各々がもともとの作業に戻っている。
(仕方ないとは思うけど、なんとなくへこむよね。……同じ銅のプレートだったのに)
つい先ほど圧倒的な存在感を放つ、二人組を目にしてしまったからこその嘆きだ。
咳払いを一つ、気を取り直して受付に向かえば、タイミングよく冒険者の一人が受付を離れた。
手の空いたらしい受付嬢は、ユンゲの冒険者登録を行ってくれた“愛想の良い女性”だった。
「あら? ユンゲさんでしたよね。――酒場は見つかりましたか?」
「おかげさまで。食事も取れましたし、本当に助かりました!」
「それは良かったです。あのご主人に話しかけるの、怖くなかったですか?」
口許に手を当てながら、くすくすとイタズラっぽく受付嬢が笑ってみせた。
ユンゲは咄嗟に言葉に詰まる。
――お腹が減りすぎて気が立っていたから覚えてない、とは言えない。
肩を竦めるだけで質問をかわし、ユンゲは話題を変えることにした。
「それでですね、陽が落ちるまでに時間もありそうなので、簡単な依頼でも受けられればと思ったんですが……」
「えっと、お一人で……、でしょうか?」
「そのつもりなのですが、一人ではまずいのでしょうか?」
ソロで依頼を受けられないとなにかと面倒なことになりそうなので、思わず声が震えてしまう。
「いえ、まずくはないのですが……万一、依頼に失敗してしまうようなことがありますと、先方にもご迷惑が掛かってしまいます。そもそもお一人では危険なので、複数人でパーティを組むのが基本ですね」
だから酒場を紹介したのに、と言われているような気がするのはユンゲの被害妄想だろうか。
「こう見えても、回復魔法が使えますし、いざとなれば<フライ/飛行>で逃げようと思いますので……」
取り繕うように言い訳を口にした瞬間、周囲の冒険者からの強烈な視線を向けられた気がする――なんだろう凄く居心地が悪い。
一瞬、呆けたような受付嬢が、小さく咳払いをして表情を引き締めた。
「そうですね、……正式な依頼というわけではないのですが、街の周辺にはときおりゴブリンなどのモンスターが出没しますので、それらを討伐してみてはいかがでしょうか?」
「モンスター討伐ですか?」
「ええ、群れからはぐれたモンスターなら、お一人でも危険は少ないでしょうし、モンスターの強さや討伐数に応じて、街から組合を通して報酬が支払われますよ」
「なるほど、ドロップしたクリスタルなんかを持って帰ればよろしいのでしょうか?」
「クリスタル……? いえ、亜人でしたら耳を切り取っていただければ、大丈夫ですよ」
「ん? …………なるほど、理解しました」
それなら“ぼっちプレイ”でも何とかなりそうだと、ユンゲはほっと胸をなでおろすが、態度には出ないように努める。イメージは先ほど見た漆黒の戦士だ。
自信というべきか、威厳というべきか、ユンゲに足りないものをたくさん持っていた、あの戦士は――素直に格好良かった。
「あ、でも、くれぐれも森には入らないでくださいね! 森の中には強力なモンスターが沢山いますから。あくまで群れからはぐれて、街道まで迷い出てきたモンスターを狙うようにしてくださいね」
「了解です。ありがとう、早速いってきますね!」
とりあえずの目的が定まったユンゲは、受付嬢に快活な礼を述べて冒険者組合を後にした。
「今日は、不思議な新人さんが多い日ね」
受付嬢のこぼしたつぶやきは、足早に去ったユンゲの耳には届かなかった。
-受付嬢-
髭面の兵士 「不愛想な受付嬢」
ユンゲ・ブレッター 「愛想の良い女性」
この世の不条理だと思います。
-補足-
赤色ポーションのくだりは、ユンゲの耳には届いていません。