オーバーロード 新参プレイヤーの冒険記 作:Esche
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ユグドラシルから異世界転移までの導入部分となります。
振り仰いだ夜空には厚い雲が広がり、辺りの暗がりを一層と濃くしているようだった。
すっかり慣れた手つきでコンソールを呼び出し、浮かび上がった<フライ/飛行>のアイコンをクリックすれば、ふわりと足が地面から浮かび上がる。
重力のくびきから解放される瞬間は、何度体験してみても不思議な高揚感がある。
最初の頃には苦労した空中での姿勢制御も、今では意識しなくてもできるようになった。
気の向くままにどんどんと空を駆け上がり、層雲を突き破ると同時に<ダーク・ヴィジョン/闇視>の効果を解く。
眼前いっぱいに広がる、いくつもの星たちの輝きが散りばめられた光景は、現実では決して見ることのできないものだ。
――そう、大気汚染の進んでしまった現実の、濁った夜空に星たちの輝きはない。
「もっと早くに出会ってたら良かったのになー」
ため息とともに大きく身体を後ろへ投げ出す。
もっとも、<フライ/飛行>は維持されているから、実際には雲の上で寝転がっているようなものだ。こんな感覚も現実では、決して味わうことはできない。
嘆いてしまうのも仕方ないじゃないかと言い訳じみた思いばかりが浮かんでくる。
「……あと十分で終わっちゃうのか」
誰にともなくつぶやいた言葉は風にさらわれて、夜闇に溶けていった。
*
<一世を風靡した大人気オンラインゲーム 12年の歴史に幕>
そんな見出しのWEBニュースを目に止めたのは三週間前、難題だったプロジェクトにようやく目途がつき、息抜きのつもりで携帯端末を手にしたときのこと。
何とはなしにそのニュースサイトを開いてみれば、十二年前に始まったユグドラシルという名のDMMO-RPGのサービスが今月末で終了するという内容だった。
漫然と斜めに文字を追っていきながら、一つのゲームが十二年も続いたということに軽い驚きを覚えつつも、それ以上の思いは浮かばなかった。
学生の頃には夢中でゲームを遊んだこともあったが、社会人になってからはすっかり縁遠くなってしまっていたのが理由だろう。
――だから、その日の昼食のとき、同僚との他愛無い雑談の中でその話題を挙げたのは、言ってしまえば偶然でしかなく、ただの気紛れにすぎなかった。
「あれ、ゲームに興味ある人だったっけ?」
「興味っていうか、十二年続いたってのはすごいかなって……」
ユグドラシルのサービス終了を話題に振ったとき、思いのほか食いついてきた同僚に聞けば、どうやら数年前までユグドラシルをプレイしていたとのことだった。
その後、こちらの返した曖昧な返事に、なにかのスイッチが入ったように――仕事中には決して見せない熱意で――ユグドラシルについて語り始めた同僚は、「仕事が忙しいせいで泣く泣く引退したんだ!」と、人目も憚らずに盛大に喚き出して周りの客や店員から嫌な注目を集めてしまった。
あのときは同僚の意外な一面を見て面白く思う一方で、お気に入りの一つだった食事処に行きにくくなってしまったことから、同僚を責めたくなる気持ちもあったのだが……、今の自分なら同僚に共感を覚えたかも知れない。
結局、その後の同僚の熱意に押し切られる形でユグドラシルをプレイすることになり、サービス終了の三週間という、あまりなタイミングでこの世界へやって来ることになった。
その結果が、「もっと早くに出会ってたら良かった」という先の嘆きにつながるのだ。
ユグドラシルは、「プレイヤーの自由度が異様なほど広いゲーム」と説明され、他にも数多くあるDMMO-RPGと比較しても、九つの世界からなる広大なマップ、二千を超える職業選択の自由や武器や防具、住居などの外装を自分の好みにアレンジできる仕様など、例を挙げれば限がない。中でも自分のキャラクター選択として、人間やドワーフ、エルフなどの人間種はもとより、ゴブリンやオーグといった亜人種、スケルトンやゾンビ、スライムといった、他のRPGなら間違いなく敵として出てくるであろう異形種からも選べるという、極端に振り切った奔放さがあった。
もっとも、種族選択の際に悩んだ末に、ハーフエルフという当たり障りのない種族を選んでしまうような自分の感覚からすると、わざわざゾンビやスライムになってプレイしたい人がいるのか、という疑問はあったが――。
あまりに後発組でのスタートとなったが、いくつかの利点もあり、その一つは情報であった。
同僚の話では、かつてはフレンドやギルドの間でのみ共有されていたという有益な攻略情報が、サービス終了を前に様々な攻略サイトに掲載されるようになったことにより、目的の職業や特殊技術の習得に最適なルートがチャートとして確立され、運営によって「最期の大盤振る舞い」と称された経験値ボーナスなどのキャンペーン効果と相まって、短期間ながら効率的にレベルを上げることができたのだ。
*
――しかし、嘆き節の独り言は止まらない。
「できれば、忍術とかも使ってみたかったんだけどなー」
呼び出したステータスウィンドウをぼんやりと夜空に透かして眺めてしまう。
とりあえず、いろんなことを楽しみたいという思いから、オーソドックスな戦士をベースとしながらも、攻撃・支援・回復といった各魔法職など、広く浅くといった感じでいろいろな職業を取得していた。――エルフのイメージから“弓使い”という考えもあったが、遠距離攻撃としては魔法を使えることから、使用するタイミングが重なることをもったいないと考え、取得は避けている。
もし、忍者の職業を取得できたなら、探知や探査に秀でた種族特性を活かして、暗殺者みたいなプレイもできたかな、などとぼんやりと考えながら、ちらりと横目で見やれば、時刻はもう、23:56を示していた。
流石にこれから、新しい職業を取ったとしても仕方ないだろう。
「九つの世界も全部まわれてないし、やりたいことが多すぎるな」
同僚から譲り受けた緑を基調とした装備――余りものだったという聖遺物級の武器や防具をもらったとき、“エルフといえば森の中に住む種族”だから緑色で良いかという安直な発想から染めたもの――についても、時間が許せば、もっと自分好みに調整してみたかった。
攻略サイトを利用したり、人から貰った装備で“強くてニューゲーム”といったプレイスタイルを嫌厭する人もいるかも知れないが、あまり抵抗はなかった。なにより時間が限られていたし、そもそも始めた時点では自分がこれほど――このゲームを遊びつくせないという嘆きばかりが、口をついて出てしまうほど――のめり込むことになるとは思っていなかった。
パーティプレイにしても、最後だからと復帰した同僚と数度こなしただけ。
同僚の抱える仕事が忙しい時期だったため、一緒に遊ぶことができたのは僅かな時間だった。
サービス終了間際に新しいフレンドを求めているような奇特なプレイヤーは多くないし、わざわざ新規のプレイヤーと組んでくれるような相手もいなかった。
前衛も後衛も務められるような、ある意味では取り留めのない職業構成を取得していったのは、裏を返してしまえば、共に戦ってくれる仲間がいなかったために、全てを自分一人でこなさなければならなかった“ぼっちプレイ”の弊害であった。
ギルドやギルド拠点を持つことで自作できるというNPCにも縁がなかったし、全盛期にあったという大規模ギルド同士の抗争や、傍若無人な極悪ギルドの拠点制圧のためにサーバーを挙げて結成された討伐軍にも参加してみたかった。
いったい、どんな感じだったのだろうかと想像はどこまでも尽きない。
――つくづく、もっと早くユグドラシルに出会っていればと思わずにはいられない。
23:59:00、01、02……
――もしも、この運営会社が新しいDMMO-RPGのサービスを開始するようなことがあったら、今度は初めからプレイしてみよう。
23:59:42、43、44……
――最期なら、せめてこの美しい夜空を目に焼き付けてログアウトを迎えたい。
0:00:00 視界がぐらりと揺らいだような気がした。
0:00:01、02、03……
「……あれ? てっきり強制的にログアウトされるのかと」
呟きながら思わず自分の身体を見回してしまうが、ユグドラシルでの格好のままだ。
サービス終了が延期になったのかと、コンソールを呼び出してみるが……出ない。
焦りからやたらめったらと腕を振ってしまうが、変化はなかった。
「何が……、どうなってるんだろう」
不意に下方から強い風が吹き付け、避けるように夜空を仰ぎ見れば、夜の闇は一層と深まり、対比するように星の輝きが眩しいばかりに目に飛び込んできた。
「これは、いったい……」
疑問とも感嘆ともつかない呻きを発しながら、一つの確信があった。
――これは、さっきまで見ていた夜空じゃない。
正確な配置など覚えていないが、先ほどの夜空と比較すれば、星は明らかに数が増えているし、確かに綺麗だとは思っていたが、まさしく息を呑むような眼前の星空と比べてしまえば、ゲームでの表現など陳腐に過ぎる。
生まれて以来一度も見たことがない、そんな透き通った夜空に無数の星たちが散りばめられた様を目にしたとき、「……宝石箱みたいだ」と無意識に言葉が紡がれた。
――これは、ゲームなんかじゃない。現実の光景なんだ。
-追記-
改行等の調整を行いました。