1989年9月14日、ケンタッキー州ルイヴィルの印刷会社、スタンダード・グラビア社にアサルトライフルで武装した男が押し入り、8人の従業員を殺害した後に自殺した。男の名はジョセフ・ウェスベッカー(47)。彼もまたスタンダード・グラビア社の従業員だった。 ウェスベッカーの生い立ちはあまり恵まれたものではなかった。生後13ケ月の時に父親を事故で亡くし、その後は当時まだ16歳だった母親とその家族に育てられた。1年ほど養護施設に預けられたこともある。 ハイスクールを卒業後、印刷会社に就職したウェスベッカーは、間もなく結婚し、2人の子宝にも恵まれた。その腕を見込まれてスタンダード・グラビア社に引き抜かれたのは、結婚10年目の1971年のことである。社内では真面目で勤勉な男として高く評価されていた。 全てが順風満帆に思われたが、1978年を境にケチがつき始める。まず、長年連れ添った妻との離婚。可愛い息子たちの親権も奪われてしまう。1983年には再婚を果たすも、1年余りでまたしても離婚。ウェスベッカーの落ち込み様は半端ではなく、仕事に打ち込むことでどうにか気を紛らしていた。 ところが、仕事の方もままならなくなってきた。2度目の離婚に前後してスタンダード・グラビア社の経営が傾き始めたのだ。1986年には売却されて経営陣が一新された。ウェスベッカーも配置転換を余儀なくされた。新たな仕事は不慣れであったため、彼のストレスは増すばかりだった。 ウェスベッカーは再三に渡って元の仕事に戻すよう上司に頼み込んだが、その願いは叶えられなかった。やがて彼に鬱病の症状が出始めた。日によっては仕事にならないこともしばしばだ。 「少し休んだ方がいいんじゃないか?」 上司はウェスベッカーの肩を叩いた。当初はこれを拒んでいたが、症状は深刻になるばかり。さすがにこれではイカンと腹を括り、治療のための長期休暇を受け入れたのは1988年8月のことである。しかし、治療の甲斐なく症状は一向に治まらず、1989年2月には停職扱いにされてしまう。ウェスベッカーが銃器を買い求めるようになったのはこの頃からである。そして、1989年9月13日、つまり事件の前日にスタンダード・グラビア社からの所得補償給付金打ち切りの通告書を受け取った…。 これが引き金となり、惨劇は繰り広げられたのである。 1989年9月14日午前8時30分、スタンダード・グラビア社に現れたウェスベッカーは、まずエレベーターで3階の役員エリアへと向かった。そして、扉が開くや否やアサルトライフルを発砲した。2人の受付係が被弾し、うちの1人が死亡した。 シャロン・ニーディー(49) ウェスベッカーの標的は社長をはじめとする役員たちだった。廊下をズンズンと突き進み、目に入った者に目掛けて手当り次第に発砲した。結果、4人が被弾し、うちの1人が死亡した。 ジェイムス・ハズバンド(47) しかし、彼らは役員ではなかった。 「ちくしょう。この階には役員はいないみたいだ」 ウェスベッカーは階段で1、2階にある印刷室に向かった。そこで3人が被弾し、うちの1人が死亡した。 ポール・サール(59) 彼らもまた役員ではなかった。 地下室で勤務していたジョン・ティングルは、銃声を聞きつけて「ナンダナンダ?」と顔を出した。そこに銃で武装したウェスベッカーが現れた。ティングルは訊ねた。 「いったい何があったんだ!?」 ウェスベッカーは答えた。 「やあ、ジョン。俺は必ず帰って来るって云っただろ? 俺から離れているのが身のためだぜ」 ピンと来たティングルは慌ててその場から逃げ出した。 地下室に踏み込んだウェスベッカーは、そこで1人の男を射殺した。 リチャード・バーガー(54) しかし、彼もまた役員ではなかった。目撃者によれば、ウェスベッカーは遺体に近寄り、誤って殺してしまったことを詫びていたという。 その後、印刷室に戻ったウェスベッカーは、役員であるかどうかは関係なく手当り次第に発砲した。10人が被弾し、うち4人が死亡した。 ジェイムス・ウィブル(56) ロイド・ホワイト(42) ウィリアム・ガノーテ(46) ケネス・フェントレス(45) 血みどろの印刷室を後にしたウェスベッカーは、自動拳銃を取り出すと銃口を顎にあてて引き金を引いた。悔いが残る結末だったことだろう。彼が殺したのは同僚ばかりだったのだ。役員は傷つけることさえ出来なかったのである。 さて、最後に読者諸君が抱く筈の疑問についてお答えしよう。 「どうして鬱病患者がかくも思い切った狼藉に及ぶことが出来たのか?」 それはウェスベッカーが犯行の1ケ月前からプロザックを服用していたからである。自殺を誘発する可能性が指摘されているSSRI系の抗鬱剤だ。つまり、ウェスベッカーはプロザックの副作用により極度の躁状態に陥り、死をも怖れぬ態度で犯行に及んだのである。 ちなみに、プロザックは我が国では認可されていない。 (2010年12月20日/岸田裁月) |