アイオワ州アルゴナ在住のジョン・ドリースマン(79)は地元ではかなり知られた人物だった。元市議会議員で、1000エーカーもの農地を所有する大地主だ。妻のアグネス(74)も園芸クラブを主催するなど、地元に貢献していた。近隣で夫妻を悪く云う者はいなかった。 ただ、そんな夫妻にも1つだけ悩みの種があった。息子のロバートだ。もう40歳になるというのに、働きもせずに家でブラブラしていたのだ。その昔にアイオワ大学を卒業後、コスタリカに移り住んで結婚もしたのだが、いったい何があったのか、父親に強制的に連れ戻されたという。その後、精神医療施設で治療を受けていたとの噂もある。いずれにせよ、無口で不気味な彼の評判は芳しくなかった。 その一方で、姉のマリリン・チュアン(48)の評判は上々だった。聡明快活な彼女は、今では実業家と結婚してハワイで暮らしていた。 1987年12月末、マリリンはいつものように子供たち、ジェイソン(12)とジェニファー(11)、ジョシュア(8)の3人を伴って帰郷した。一家は久しぶりの再会を喜び、共にクリスマスを祝い、そして新年を迎えた。 1988年1月1日、マリリンの幼馴染み、モーリー・マクドナルドは午後1時にドリースマン家を訪問した。ところが、呼び鈴を押せども返事がない。 おかしいなあ。約束していたんだけどなあ。 車はあるので外出しているわけではない。仕方がない。彼女は一旦、自宅に戻り、ドリースマン家に電話をすれどもやはり出ない。胸騒ぎを覚えた彼女は警察に通報した。 十数分後、食卓を囲む6つの遺体が警官により発見された。ロバートだけが廊下で死んでいた。つまり、下手人は彼で、一家6人を射殺した後に自殺したのだ。家族の輪に入ることを拒絶して…。 いったい何があったのだろうか? 実は、その日の午前10時半頃、ロバートは町内の雑貨屋で買い物をしている。店主曰く、 「いつもと変わりなかったですよ。相変わらず不気味でね。買ったのはバレット(銃弾)ではなくボルトでした」 ジョークのつもりなのか? 不謹慎な店主である。 とにかく、午前10時半までは一家は生存していたようだ。その後にいったい何があったのか? 今となっては知る由もないが、ロバートが姉に対して劣等感を抱いていたことは間違いない。おそらくその辺りが引き金になったのだろう。 また、犯行4日前の1987年12月28日、家族14人を殺害したロナルド・ジーン・シモンズが逮捕されている。この事件の影響もあったのかも知れない。 (2010年11月18日/岸田裁月) |