デヴィッド・バーク
David Burke (アメリカ)



墜落現場


デヴィッド・バーク

 1987年12月7日、ロサンゼルス発サンフランシスコ行きのパシフィック・サウスウエスト航空1771便が、サン・ルイス・オビスポを通過した辺りで急に高度を落とし始め、そのままカユコス近郊の山腹に墜落した。午後4時16分のことだった。
 現場はそれは酷い有り様だった。機体はもちろん、何もかもがバラバラだ。乗員乗客43名もバラバラ。うち27名の遺体は未だに特定されていない。

 回収されたボイスレコーダーによれば、墜落に至る経緯は以下のようなものだった。
 まず、2発の銃声らしき音が聞こえた。その直後、コックピットのドアが開き、女性(おそらく客室乗務員)の声で、
「問題が発生しました」
(We have a problem.)

 これに機長が応えた。
「どんな問題だ?」
(What kind of problem ?)
 すると、男の声で、
「俺がその問題だ」
(I'm the problem.)
 そして、3発の銃声が鳴り響いた。ノイズは増す。銃弾がフロントガラスを破ったのだろうか? 急降下するような音も聞こえる。
 と、そこで1発の銃声。
 おそらく「問題」の男が自殺したのだろう。

 間もなくFBIは、容疑者としてデヴィッド・バーク(35)に目星をつけた。USエアウェイズの元従業員で、機内サービスのカクテル代金69ドルをちょろまかしたかどで解雇された男だ。
 事件当時、USエアウェイズはパシフィック・サウスウエスト航空と合併したばかりだった。そして、バークの元上司、レイモンド・F・トムソンも1771便に搭乗していた…。つまり、バークがかつての勤務先と上司への恨みから犯行に及んだ可能性が浮上したのだ。

 やがて墜落現場の残骸から、凶器と思しき44マグナムが発見された。引き金に残されていた指紋はバークのそれと一致する。彼の犯行と見て間違いないだろう。手荷物検査は元従業員としてのコネで巧みに免れていた。

 また、嘔吐袋に書かれたバークの遺書も発見された。

「やあ、レイ。
 こんな最後を迎えるとは皮肉だね。
 俺は家族のために寛大な措置を求めたよな。
 憶えてるかい?
 結局、俺は何も得なかったから、あんたも何も得ないのさ」

(Hi Ray.
 I think it's sort of ironical that we ended up like this.
 I asked for some leniency for my family.
 Remember ?
 Well, I got none and you'll get none.)

 いやはや、背筋が凍る文面である。このバークというアンポンタンは、レイに復讐するために41名もの尊き命を道連れにしたのだ。

(2010年8月3日/岸田裁月) 


参考資料

『THE ENCYCLOPEDIA OF MASS MURDER』BRIAN LANE & WILFRED GREGG(HEADLINE)
http://en.wikipedia.org/wiki/Pacific_Southwest_Airlines_Flight_1771


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