大内文化コラム

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●日本最初の西洋時計は大内義隆へ

 広辞苑の編集で有名な新村出は明治9年10月4日、山口市の安部本陣で生まれました。
 父は、明治8年12月から明治14年2月まで山口県令(いまの県知事)をつとめた関口隆吉です。

 新村が著した本に、「南蛮更紗」(大正13年)があります。
 そのなかで、大内義隆が手にした日本最初の時計のことが書かれています。

 それによるとCrassetの『日本西教史』に、ザビエルが大内義隆に時計を献上したと書いてあるというのです。
 大内義隆記に、天竺人からの贈り物のなかに十二時を掌るに夜昼の長短を違へず響く鐘の声とあるのはこのことだろうといっています。
 『日本西教史』の時計という単語を直訳したら「小さな自鳴鐘一個」=「Une Petite horloge sonante」。Uneは一個の、 Petiteは小さな、 horloge は時計または測時器、sonanteは鳴り響くの意味。
 新村は懐中時計ではなく、置時計ではなかったかと推測しています。徳川家康に献上されたスペイン製の時計の多くが置時計であることからも義隆に献上されたものもそうだったのではないかといっています。

 日本で最初に鳴り響いた西洋技術の音。義隆はどういったおもいでその機械を見つめていたのでしょう。

 参考資料:「南蛮更紗」(新村出 東洋文庫)

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