糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの

11月18日の「今日のダーリン」

・なにかをよく勉強した人が、
 他の人をなめてしまうということがあります。
 科学だの社会だのの学問から趣味やら雑学に至るまで、
 「ああ、あいつらバカだから」みたいになって、
 じぶんはなんでもわかってるという感じで、結局、
 じぶんのなめてる人たちよりも、バカになってしまう人。
 そういうことが、どうして起こるのか、
 「風が吹けば桶屋が儲かる」みたいに考えてみました。

 なにかをよく勉強するというのは、苦労がいることだ。
 初心者時代から苦労を続けて、自慢できるまで学ぶには、
 なかなか大変なことがあったものだ。
 これは、じぶんには乗り越えられないかもしれない、
 と思うような壁を、どうにか乗り越えたこともある。
 やっと、ここまでたどり着いたのだし、
 その地位を確保するためにも、けっこう苦労している。
 それからしたら、「あいつら」はなんの努力もしてない。
 わたしだけが知っているあれこれの重要な問題も、
 なにを言ってるかわかりもしないにちがいない。
 だから、わたしはエライ、ずっと格上なのだ。
 だから、相手をなめてしまってもいい…と、
 こんなことなのかなぁと想像してみます。

 メディアに登場していたり、
 専門知識で人に関わる分野にも、
 こんなふうな「人をなめてる」人はたくさんいます。
 お医者さんとか、弁護士さんみたいな、
 人助けをすると思われている職業の人のなかにも、
 そういう人が混じっているのは、なかなか怖いことです。
 「じぶんはエラくて、あいつらはバカ」と言う人は、
 その人の知っていることが、世界のすべてのように
 思いこんでいるから、人をなめられるのだと思うのです。
 世界は、「その他」のことのほうがずっと多いのにね。
 世の中は法律や数式や方法でできているわけじゃない。

 おまえは、どうなんだと問われるかもしれませんが、
 ぼくにも、あぶないところがあります。
 特に、職業にしてきた「広告」の分野のことについては、
 なんとなくエラそうにしているじぶんに気づきます。
 そこでは、バカになりかけているはずですよね(反省)。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
謙虚は倫理だけじゃなくて、美意識でもあり戦略でもある。