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【社会】

ソ連兵「性接待」被害を刻む 旧満州黒川開拓団 岐阜・白川町「乙女の碑」

「乙女の碑」の新たな碑文の前で並ぶ、当事者の佐藤ハルエさん(左)と遺族会の藤井宏之会長=18日、岐阜県白川町で

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 旧満州(中国東北部)に開拓団として渡り現地で亡くなった女性を悼む岐阜県白川町の「乙女の碑」で十八日、新たな碑文の除幕式が行われた。終戦後、団の安全の見返りに旧ソ連兵への「性接待」を強いたことを明記した。

 性接待は、一九四五年九月から十一月ごろにかけて、旧黒川村(現白川町)などから渡った黒川開拓団であった。新たな碑文には数え年で十八歳以上の未婚女性十五人にソ連兵への性接待を強い、このうち四人が性病などで死亡したことを記した。

 団は四六年に日本へ引き揚げた。碑文は、当事者の佐藤ハルエさん(93)の「私らの犠牲で帰ってこれたということは覚えていて欲しい」との言葉を紹介。「史実を正しく伝えるとともに、平和の大切さを伝えていきます」と結んだ。

 乙女の碑は八二年、旧満州黒川開拓団・黒川分村遺族会が設置した。ただ当時は女性や家族からの反対があり、性接待の説明は一切なかった。今回、遺族会が女性らの理解を得た。

 除幕式では遺族会の藤井宏之会長が「犠牲になった女性におわび申し上げる。悲劇を繰り返さぬよう責務を果たしていく」と述べ、佐藤さんが「碑を大切にしてほしい」と訴えた。

 長野県阿智村にある満蒙開拓平和記念館の寺沢秀文館長は「開拓団の負の歴史が語られることは少なく、新たな碑文には価値がある」と話した。

 

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