広場の時が止まった

 

最終話 誰かのために

 

 

今やあめぞうは、植物人間ならぬ、植物掲示板だった。

どこにも人の気配はなかった。そこに存り続けるのは、文字という名のあめぞう住民の記憶……そして、掲示板の姿だけを保った、何の力も持たない空っぽな空間だけ。

かつての栄華えいがはどこへいったのだろう?

住民の笑い声はいつから聞こえなくなったのだろう?

一体、誰があめぞうをここまでおとしいれたのだろう?

このインターネットという広い世界の、ほんの片隅に存在するあめぞう。そこは、つらい現実から逃れるための『逃げ場』に過ぎなかったかもしれない。

 

だが、そこにはいつも出逢いがあった。

あめぞうだから得ることのできる仲間がいた。

人は、その仲間を“希望”と呼んだ。

 

「1人だけど、1人じゃないってことさ」

スレッドタイトルをクリックしながら、安藤はいさましく呟いた。 スレッドにはレスが付いていて、そこにはURLが貼られていた。おそらく、これが『時部屋の入口』なのだろう。

しかし安藤は、微塵みじんの警戒も、ちょっとの尻込みもせずにそのURLをクリックした。ここまできて、犯人が程度の低いブラクラを貼るはずがないと読んだのだ。

やがて、画面は黒一色に変わり、短い文章と、『パスワード入力欄』と書かれた小さな枠組みが安藤の前に姿を現した。どうやら、安藤の読みは当たったらしい。

「……ようこそ、我が時部屋へ。8つの数字を示し、足を踏み入れよ」

安藤は文を読み上げた。

『時部屋』と書かれた、赤と青のグラデーションに輝く不気味な文字が、その文章の上で炎が踊るようにユラユラときらめいている。

「8つの数字か……」

安藤は入力欄に例の数字を入れてみた。

「21021223……くそ、だめだ」

欄のすぐ下に現れたのは、「違います」という素っ気ない返事だった。

「あと少しなのに!」

強烈なもどかしさに駆られながら、安藤は拳で机の上を叩いた。その拍子に空のグラスが跳ね上がり、音を立ててバランス良く着地した。

その時、ふと安藤の頭の中を駆け抜けたのは、バタコのある言葉だった。

『何とか理論とかいう、海外の研究者が発表したものなんだけど、加速した時間の流れがその限界に達した時、時が止まってしまうって……』

安藤は別窓を開き、語句を並べて検索してみた。

「理論、海外、研究者、時間の限界、時が止まる」

検索語句をぶつぶつ唱えながら、安藤は検索をかけてみた。しかし、かすりもしなかった。

「多すぎか……よし……時が止まる」

もう一度試みた……ヒット! 今度はうまくいった。

画面をスクロールさせながら、安藤は目ぼしい文字列をくまなく探した。そして、見つけた。

「タイムウェーブ・ゼロ理論……?」

安藤は脇目も振らずにサイトへ飛び込んだ。

そこは、どこいらの誰かが運営する何かのホームページだった。というのも、今の安藤にとって、ここがどんなホームページかなんて気にしている暇は少しもなかったのだ。

安藤は『タイムウェーブ・ゼロ理論』の詳細が書かれている長文を読み耽った。そして、バタコの言っていたことを少しだけ理解することができたが、やはり慣れないことはしないものだと、自分に言い聞かせた。

こんなに長い文字列は、学校の教科書以外で読んだ試しがない。心なしか、頭の中と視界がグルグルしている。

「……これだ」

目を必要以上にしばたかせながら、安藤はある数列を見つけ、その近辺の文章をまるまる読み上げた。

「……研究者であるテレス・マッケンナがコンピューター・シミュレーションで割り出した計算結果によれば、時間の流れは2012年12月23日で限界に達する。そしてこの事実は、マヤ暦が終わりを迎える時期とうまく合致する……」

読みながら、安藤は背筋をゾクゾクさせていた。目に見えぬ戦慄せんりつが、体中を突き抜けていった。

「2012年12月23日……」

それはどこかで見覚えのある数だった。

そして、その数列をしばらく頭の中で繰り返している内に、安藤の中ではっきりとした答えが導き出された。

「2012年12月23日……2012、12、23……21021223とそっくりだ……でもちょっと違うな」

『時部屋』の漆黒しっこくのトップページへ戻りつつ、安藤はもう一度よく考えてみた。

この2つの数列を見比べて、数字の位置が違うのは2箇所。中高生板と漫画L板の数字だ。犯人が『2012.12.23』どおりに数字を並べなかったのはなぜだろうか?

「だあ! やっぱ考えるのは後だ!」

これ以上脳味噌を働かせるのはさすがにおっくうだったので、安藤はパスワード入力欄に『20121223』と打ち込み、時部屋への扉をノックした。

入口は開かれた。

 

扉の向こう側は……チャットだった。

広場と同じほの明るい水色に染まり、板の名前が雑なレンガ模様のごとく列を成すその真下に、あめぞうチャットはあった。

 「いるのか?」

安藤はわずかに震える指先で文字を打ち込んだ。投稿者名は無論、長年愛用してきた『&』だ。

チャット参加者は2人。安藤と、そしてもう1人。

「いるんだろう?」

あめぞうチャットは動かなくなったはずなのに……そう不審ふしんを抱きながらも、安藤は書き込みを続けた。

緊張のせいで奥歯がガタガタと音を立て始めた、その時だ。

「ようこそ、時部屋へ」

安藤のものではない、別の投稿者からの書き込みだ。

その投稿者を見て、安藤は絶句した。驚倒のあまり、まばたきどころか呼吸さえも忘れた。

板の時を止め、あめぞうりんく?を狂乱と恐怖に陥れた全ての元凶が、安藤の前に立っていた。

「俺には分かっていた、&。お前がここに来るってことがな」

その者の名は、GEOだった。

「おまえが」

安藤はうまく文字を打ち込めなかった。頭の片隅にわずかに残されていたGEOとの思い出が、手の感覚を麻痺させていたのだ。

「うそだろ? おまえのはずない」

安藤は、漢字変換を忘れるほど動揺していた。

 「いいや、俺だ。広場の時が止まったあの日、お前と会話した、あのGEOだ」

GEOの言っていることは本当らしかった。安藤はこの短い会話の中で、あの日に戻ることができたのだから……ずっと笑顔でいられた、8月3日のあの晩に。

「お前の目的は何なんだ?」

落ち着きを取り戻しつつ、&が聞いた。

「俺は警告者だ」

質問の内容とは噛み合わないGEOの返答が、安藤を更に当惑させた。

「警告者の使命は、あめぞうからサポートを追放し、時の流れを止めることによって、あめざーたちに絶望を与えること。そして、世の終末をその身に実感させ、警告すること」

安藤は、淡々と説明するGEOの言葉をよく理解できなかったが、ただ1つだけ、その目にしっかりと焼きついた言葉がある……。

「あめぞうからサポートを追放したって……じゃあまさか、サポートは……」

「そうだ。ずっといなかった」

安藤は目をパチクリさせた。

「8月1日の早朝。俺はサポートの管理サーバーへハッキングし、俺の持ち合わせる最高の技術を持って奴を追放した。ちょっと手荒だったが、サポートは俺の手によってあめぞうからほうむり去られた」

&は言葉を失ったが、GEOはその空白を補うようにまたしゃべり始めた。

「サポートの不在に関して、ほとんどのあめざーは深い疑念を抱かなかった。怒りをあらわにするものの、まさか誰も“サポートがいなくなった”なんて考えもしなかった。いてもいなくても同じなんだからな。まあ、その点で言えばサポートにも感謝すべきか。他の者に不審がられることなく首尾よく事が運んだのは、サポートの常日頃の行いが良かったからなんだから」

「板の機能停止を予告させるようなスレッドを残したのはなぜだ? 挑発か何かか?」

少し考えてから、安藤は機関銃きかんじゅうから弾を発射させるかのように素早く、次々とタイプした。

「俺は求めていた……この凄惨な現実に立ち向かう者の存在を」

GEOは答え、そのまましばらく沈黙したが、やがて切り出した。

「あのスレッドは俺からの警告であり、ヒントでもあったんだ。次のターゲットとなる板をアクセストップ上位から無差別に選択し、スレッドを立てることで時が止まることを示唆させた。投稿者欄に数字を残し、誰がどう謎を解いていくのか、この現実に立ち向かう者の勇姿を見てみたかった。ところがどうだ……あいつらはサポートへの怒りをぶちまけるばかりで、ろくに現実と向き合おうともしなかった」

「いや……そうなることは前々から分かっていたことだったんだ。だから、&。広場に設置した警告スレッドにお前とバタコのレスが付き、その日の夜にチャットへ姿を見せた時、これは絶対のチャンスだと思った。お前たちなら、俺にその勇姿ゆうしを見せてくれるんじゃないかと、そう察したんだ」

「全部お前の思うつぼだったってわけかい」

&は皮肉を込めて吐き捨ててやった。

「でもその数字のヒント、間違ってたぜ? 『21021223』。2番目と3番目の数字が逆だった。おかげでこっちは脳味噌中しわだらけだ」

「いや、間違ってなんかないさw」

GEOは冷ややかに微笑した。

「ただ数字を並べるだけじゃ面白くないから、あの日の騒動を利用して順番を入れ替えたんだ」

「あの日の騒動?」

安藤は記憶を辿った。

「バタコにお前の手助けをさせるため、俺は広場の次のターゲットを漫画Lに決めていた。バタコが居場所を失えば、お前に同情して手を貸すと考えたんだ」

安藤は頭の中でGEOの言葉を整理しながら、次の言葉を待った。

「だけどあの日、漫画L板では、タチの悪い荒らしどもと愚か者の住民が程度の低い戦いを繰り広げていた。俺は警告スレッドが乱立スレによって大きく流されるのを恐れ、ターゲットを中高生板に変更した。そして、漫画L板との順番を逆転させることで、ヒントである数列を複雑化させたんだ。しかも、このことが更に事態を面白くさせた」

過去の惨劇を楽しむような口調で、GEOは続けた。

「中高生板の住民であるオカチがお前の所へやって来たんだ。俺は、俺という現実に立ち向かってくるお前たちのいさましい姿が、日に日にその結束力を高めていくことに気付き始めた。そして、8つの数字が時を満たした時、この時部屋への入口をおおやけにしようと思い立ったんだ」

「ちょ、ちょっと待て!」

GEOが話し終えた直後、&はすぐさま待ったをかけた。頭の中に突然膨らんだ大きな疑問が、安藤をそうさせていた。

 「どうしてお前、オカチのことを知ってるんだ? あの晩、お前と話したのは俺とバタコだけのはずだ」

&は、揺るぎもしない、決定的な事実を述べた。

「俺は警告者であり、また、傍観者ぼうかんしゃでもある」

GEOが答えた。安藤はますます首をかしげた。

「&……俺はずっとお前たちのことを見ていたんだ。たった独り……傍観者として」

GEOの言葉が、安藤の過去の記憶をえぐっていった。そして、その言葉の真意を追い求めるように、安藤自身の意思が、目の前をだっとのごとく駆け抜けていった。

 

『余ったもう一人は完全にだんまりを決め込み、会話に混じろうとはしなかった』

『珍しいことではない。あめぞうチャットではよく見られる光景である』

『2人ともその入室者がオカチだと思ったが、呼びかけても何の反応もない。数少ないあめぞう住民の1人が、誰か知人でも求めてやって来た……そんなところだろう』

『見てるんなら、手伝ってくれよ。この謎解き!』

 

「まさか!」

安藤と&の叫び声が夜のしじまを破った。

「そう、そのまさかだ」

GEOは優雅ゆうがに答え、続けた。

「俺は、全ての始まりから終わりまで、このチャットから、ずっとお前たちの行動を監視していた。話したのは……そう、&と初めて会ったあの夜だけだ。俺の警告に一早く反応してくれた&が、俺の前にひょっこり現れた時、運命的なものを感じてな……つい名を明かして、挨拶しちまったんだ。それからは傍観者として、ずっとおとなしくお前たちの行動を見守っていた」

画面をまっすぐ見つめたまま、安藤は呆然としていた。

まさか、たまに姿を現す、ずっと無口を通していたあの観覧者が、犯人であるGEOだったなんて……にわかには信じられない話だった。

「今、あめぞうのチャットは時が止まり、その機能を失っている。だが、アクセス方法を変えれば……つまり、この時部屋からならチャットの内部へ入り込むことができるんだ。チャットや板が死んでいるように見えたのは、俺がただそう見せてるだけ。内部では、このように活動を続けていた」

「言ってる意味がよく分かんねえんだけど……」

安藤は白状した。

「はぁ……」

無知な奴への説明は疲れる。そんなため息だった。

「今や、俺はあめぞうを支配する人間だ。板の外見だけをすり替えるなんて造作もないこと。もっと分かりやすく言おう。君たちが見ていたのは画像も同然の、何の機能も果たさないテンプレートだ。言わば幻影げんえいさ」

「つまり、あめぞうりんく?ではない、別のリンク先からなら、その幻影を乗り越えてあめぞうの内部に入り込めるってわけだな」

書き込みながら、安藤はメールに夢中になっていた。相手はバタコとオカチだ。

「なんだ。急に呑み込みが早いじゃないか」

GEOは悦に入ったようだった。

「どうして俺をこんな所へ呼んだ? あんな堂々とURLまで貼り出しやがって」

安藤は核心に迫った。返事はすぐにやって来た。

「言っただろう。俺は勇姿を求めていた、と」

安藤はグラスを手に取り、口元で傾けた。中身はカラだった。

「タイムウェーブ・ゼロとかいう変ちくりんな理論と、何か関係あるのか?」

「変ちくりん……そう。変ちくりんかもしれないな」

GEOは素直に認めた。

 「だが、その変ちくりんな理論が実現するとしたら? もし本当に、あめぞうのように時が止まるとしたら? &、お前ならどうする。受け入れるか? それとも否定するか?」

「知るか。そんな先の話」

&は言い切った。

「今を死ぬほど生きる! それだけだ」

「どうせ死ぬなら、生きてても無駄。死んだ時、この世に生きた証を残せなければ、そこにいなかったも同然。……俺はそう結論づけることで、ここに自分の居場所を作り出すことができた」

「その生きた証ってのが、あめぞうを乗っ取ることだったっていうのか? お前、病院行った方がいいぞ。じいちゃん行きつけのいい病院紹介してやるよ」

「俺を侮辱するな!」

GEOが怒りをあらわにがなり立てた。

「俺が求めたのはあめぞうなんかじゃない。おびやかされることのない、何の争いもない、そんな安心できる居場所だ」

平静さをよそおうように、GEOは落ち着いた語調で文字をつづった。

「俺は他の者に警告し、仲間を見つけようとした。そして、わずかな望みをかてにして生きようとする同志に、待ち受ける“死”という未来を突きつけ、俺と同じ絶望を味わわせてやりたかった……そうすることで、俺は安心することができるんだ。1人ではないのだと、実感することができるから……ある日俺は、今回の計画を思いついた」

「ようするに、お前は現実から逃げたいだけなんだ」

&はあっさりとまとめた。

「俺バカだから、お前の難しい考えよく理解できねえけど、その現実から逃げ出したいって気持ちなら、よく分かるぞ。まあ、そんなに生きた証が欲しいなら、誰かのために何かするんだな。例えば……草むしりとか」

&は心を込めてそう言った。

「そうすりゃ、5年後に時が止まろうが、その前にくたばろうが、関係ない。GEOに助けられたその人の心は、一生GEOのことを忘れないから……たぶんな。だから、小さなものかもしれないけど、お前が生きた証はその人の心に残るんだ」

しばらくGEOからの返事はなかった。沈黙が空気を満たし、安藤は頬杖をついて黙然と画面を見つめ続けた。

「まるで飛行鬼だな」

約1分後、GEOがそれだけを言った。

「ひこうおに?」

打ち込みながら、安藤が呟いた。

「楽しいムーミン一家の8話に出てくるキャラクターさ。そいつは魔法使いで、人の願いを叶える力を持ってる。けど、そいつ、自分の願いは叶えることができないんだ」

GEOの書き込みは生き生きしていた。

「見返りを求めない、人のために尽くすだけの飛行鬼が、お前の理想とする考えに合致している。俺……どうしてあのアニメが好きなのか、やっと分かった」

その時、チャット参加者の数が4人に増えたのを見て、安藤は心を躍らせた。ようやく、あの2人がやって来たのだ。

「待たせちまったな、&!」

バタコの爽快そうかいな叫び声がチャットの中にこだました。夏厨が100人束になってもかなわないほど快活だ。

「あの、遅れてすいません。あの、準備に手間取っちゃいました」

オカチの書き込みがバタコに続いた。事件の犯人を目の前にして、身も心もすくみあがっているようだった。

「お前ら、どっから入って来やがった!?」

GEOは動揺を隠そうともせずに息巻いた。バタコがそれなりの悲鳴を上げた。

「あんたが犯人だったわけ!? あたしを腐女子呼ばわりした、あんたが!」

バタコは徹底的に執念深かった。

「あめぞうとは別のリンク先からなら内部に入り込めるって分かってから、あらかじめ2人にメールを送ってたんだ」

&はちょっぴり天狗てんぐになってそう教えてあげた。

「メール……くそ!」

GEOは汚くののしった。

「あたしたち、サポートへメールを送る時、アドレスをちゃっかり交換してたのよね!」

バタコは勝利を確信したように言い放った。

すきを見て&は続けた。

「GEO、お前は1つだけ大きなものを見落としてた。それは、ともぞうりんく!のチャットも、あめぞうと同じ……つまり、このチャットにリンクされてるってことだ」

「ともぞう……嘘だ! そんなはず……」

「だったら、行って調べてみますか?」

ここにきて、オカチがようやくGEOに向かって声を上げた。オカチが震える手でタイプする光景が、安藤の目に浮かぶようだった。

オカチはともぞうりんく!へのURLをこれ見よがしに提示し、それ以後は机の下にでも隠れるようにしてじっと黙ったままだった。

チャットに再び沈黙が訪れた。

だが、今回は先ほどのものと違って、チャット全体にピリピリとした緊張感が張り詰めていた。あの黙っていることが苦手なバタコさえ、今はただそこに在り続ける彫像ちょうぞうのようになってじっと動かない。

「俺と&……2人で話がしたい」

静寂に包み込まれるように、GEOのその一言には静謐せいひつさが秘められていた。

「作戦は完了です!」

机の下からピョンと飛び出したオカチが、突拍子とっぴょうしもなく言った。

 「分かった……2人とも、ありがとう。後は俺に任せてくれ」

&が言った。その言葉に対するバタコの猛抗議が続いたが、やがてオカチに説き伏せられ、2人はチャットを出て行った。

「&! あたしたち、あんたがいたからここに来れたんだからね!」

バタコが残しっていった、何とも興味深げな言葉だった。

「あのURL、なかなか面白い細工を施していたみたいだな」

GEOが出し抜けに言った。

その書き込みを目にした瞬間、安藤の鼓動が一気に跳ね上がった。まるで、心臓が2つに分裂したようだった。

「まさかお前……」

「ああ。あれがウイルスだってこと、気づいてた」

安藤は視界を真っ暗にして落胆した。

『え!? ともぞうからでもチャットに入室できるの!? だったら証拠みせてみろよ! この目で確かめてやるからさ!』作戦は、どうやら失敗に終わったらしい。

「でも、オカチは作戦完了って……あんな嬉しそうに……」

「まあな。踏んだからな」

GEOは揚々と言った。安藤の下あごが5センチも下がった。

「マジ!? 知ってて!? なんでだよ!」

やはりじいちゃん行きつけの病院を教えた方がいいのではないかと懸念けねんしたが、どうやらその必要はないらしい。

「いいんだ、もう。俺は満足だ……ははwPC内部の個人情報、綺麗サッパリ筒抜けだ。オカチめ、大したプログラムを用意しやがったな……」

GEOは感心と脱帽を混ぜ合わせたような声色でそう言った。

「お前、本当にそれでいいのかよ」

どうもに落ちなくて、安藤は片棒をかついだような気持ちで聞いた。

「こんなでかいことやらかして、本当にそれでいいのか? お前の意思は尊重されないままでいいのかよ!」

「俺の意思なんて、そんなに重要なことじゃないさ」

GEOがあまりにのんびりと答えたので、安藤は拍子ひょうし抜けしてそれ以上タイプできなかった。

「さっきも言っただろう? 俺は、この絶望的な現実に立ち向かう勇姿を見てみたかった、と。&の言うとおり、俺は迫り来る現実から逃げていただけなんだ。だが、俺はどうしても会ってみたかった。荒廃した現実から目をそむけずに生きている人間を、このインターネットという夢の世界で見つけてみたかったんだ」

「確かに、インターネットって世界は、非現実的な一面も持ち合わせてる」

&が言った。

「目に見えない、声も聞こえない相手とこうして会話できたり、ひどい言葉を並べて、簡単に相手の心を傷つけることもできる。色々な情報が所かまわず飛び交って、俺たちはその中をただ闇雲に生きてる。そんな非現実的な世界に存在するあめぞうは、俺にとっての逃げ場だったんだ」

安藤はやり切れない思いにかられたように、ただ黙々とタイプし続けた。

「現実が嫌なのはみんな一緒さ。誰だって楽して生きたいよ、そりゃ。でも、それじゃあダメなんだ……ダメなんだってことに、気付いちまったんだ。ずっと逃げ回ってるだけじゃ、それこそ未来は真っ暗闇だ」

「それじゃあ、どうする? どうやってこの現実を乗り越える?」

「さっきも言っただろう?」

&はGEOの言葉を真似てそう言った。

「誰かのために生きようとするんだ。どんな些細なことでもいい、どんなに愚かなことでもいい、どんなに上辺だけの付き合いでもいい……誰かのために生きるんだ」

書き込んでいる内に、安藤は段々と顔が熱くなってくるのに気づいた。つむじから湯気が噴き出しそうだ。

「俺はバカだからこういう発想しかできないのかもしれないけど、バカならバカなりの行動でもいいじゃないか。100年逃げ回ってるより、一日中バカやって誰かのためになるなら、そっちの方がよっぽどマシな生き方だ」

安藤はGEOにしゃべらせるすきさえ与えず、流暢な日本語を立て続けにまくしたてた。そして、トドメにこう言った。

「あと5年? 知るか! 俺はついさっき決めたんだ……今を死ぬ気で生きるってな!」

さあ、喋ってもいいぞ……そう言わんばかりに黙りこくり、安藤は番をゆずった。

「立ち上がってくれたのが、お前で良かった」

GEOはそれだけを言って、チャットから姿を消した。侵入したウイルスが、彼のパソコンを完全に侵食してしまったらしい。

安藤は椅子にダラリと腰掛けたまま、窓の向こうの闇に目を向けた。星が1つ、美麗びれいな輝きを放って安藤を見下ろしていた。

 

『あめぞうりんく?』が完全な復活を果たしたのは、それから一週間も先の話だった。

機能を失っていた板(漏れなく全部だが)は全て修復され、甲斐性かいしょうなしの新規スレッドも、AAの貼られた妙にけばけばしいレスも、無事に投稿されるようになった。

トップ画面上部の【お知らせ】欄には、8月1日から始まった一連の襲撃事件しゅうげきじけんに関して、サポート直々のコメントが記載された。

一旦ここを離れていた住民は、復活したあめぞうを久々に訪れ、このコメントを目にした時、思わず誰もが「へーw」と無慈悲むじひな声を漏らしたらしい。あめぞう住民にしてみれば、例えサポートの家がテロリストの襲撃を受けたって、「ワロスw」な扱いでしかないのだ。

だが安藤にとって、サポートの復活はこの上ない喜びだった。板はたちまち明朗な活気を取り戻し、その元気な姿を安藤の前に見せくてくれたのだ。どんなにこの瞬間を待ち望んでいたことか……この数週間の辛酸しんさんな思い出は、安藤にとってかけがえのない“皮肉”になるだろう。

 

「しかーっし! 私は納得できない!」

いつもの騒々しい金切り声がチャットに響き渡った。バタコのおどろおどろしげな絶叫である。

「事件を解決したのが私たちだってこと、誰も気付かないんだもの! みんなに言っても信じてくれないし……こんなのってあんまりよ!」

おとぎ話に出てくる悲劇的なヒロインを演じるように、バタコはワーワーと騒ぎ立てた。

 「見返りを求めるなっての!」

&はひたすら繰り返した。指折り数えている者がどこかにいたら、それが7回目の「見返りを求めるなっての!」発言だったことに気づいただろう。

「みんなのために一仕事した。それだけで十分じゃねえか」

安藤はあくまでマイペースだった。

「んで、結局GEOは逮捕されたのか?」

&は誰に言うでもなくそう尋ねた。

「サポートは無事に復活したみたいだけど、GEOのその後は聞かないわね。単に、サポートがおおやけにしないだけかも知れないけど」

焦燥感しょうそうかんにかられるようにバタコが言った。

「でもまあ、IPなんていくらでも変更できますし、決定的な証拠がなければ警察だってへたに動けませんよ」

オカチが淡々たんたんと断言するかたわらで、&がクスクス笑った。

「そういえば俺たち、オカチが犯人じゃねえかって、疑ってたんだよなw」

その書き込みを見て、バタコもニヤニヤ笑いの衝動にかられた。

「僕が犯人!? そんなわけないじゃないですか! 嫌だなあ、もう! 一体どっからそんな結末に辿り着いちゃうんですか!?」

オカチはかつて例を見ないほど荒々と喋りまくり、いきどおりをあらわにした。

「だってオカチったら、サポート削除依頼板が止まるって時になって、急によそよそしくなるんだもん!w」

バタコはすんなりと白状した。

「仕方なかったんですよ。犯人撃退に役立つかと思って、お手製のオカチウイルスを作ってたんですから」

「オカチウイルス?w」

&がせせら笑った。オカチはほこらしげに「そうです!」と返事した。

「バタコさんなら、漫画Lに貼られていた悪質なブラクラのことをまだ覚えてますよね? あれをもとにしてウイルスを作ったんです。一目見た時に、これは役立つなあって、思っていたから」

 「あんた、GEOより怖いわ」

バタコが感想を述べた。

「じゃあ、俺、これからバイトだから!」

&が威勢いせい良くそう言った。バタコとオカチが息もピッタリに悲鳴を上げた。

「ちょっと、あんた熱でもあるんじゃないの!?」

バタコが本気で心配して声をかけた。

「雪ならともかく、ヤリとか、魚とか振ってきたりしませんよね?」

オカチがバタコに続いて懸念の声色をのぞかせた。

キーボードを叩きながら、安藤は画面の中の2人に向かって笑いかけた。

「俺、もう現実から逃げ出さないって……誰かのために何かをしようって、そう決めた。自分の未来と向き合うために、俺は“&”を捨てて生きていくんだ」

 

 

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