広場の時が止まった

 

三話 投稿者欄の数字

 

 

新たな犠牲板となった中高生を調査するため、次の日は早朝からインターネットだった。必ず何かしらの手掛かりが残されているはずだと、安藤は考えたのだ。画面上を徘徊はいかいするマウスポインタは今日も正確な道順を辿り、安藤をあめぞうりんく?へと導いた。

広場はやはり、8月2日の書き込みを最後に沈黙したままだった。試しにスレを立ててみたが、画面が無意味にリロードされるだけで、これといった変化は見られない。

それは中高生板も同じだった。微小びしょうの期待を寄せて作成した新規スレッドは目の前で無情にも消滅し、安藤の鋭気えいきえさせた。

だがそれでも安藤は、動かぬ石と化した中高生板を相手取り、解決のヒントを見出そうとスレッドに目を走らせた。そして、その時は不意に訪れた。

「8月4日の午前0時」

そのスレッドタイトルを見つけた瞬間、安藤は思わず声に出して読んでいた。

 どこか見覚えのあるそのスレッドに掻き立てられ、安藤は記憶を辿った。それから束の間、広場でも似たようなスレがあったことを思い出し、安藤は抑え切れない興奮におぼれた。

安藤は指先に渾身こんしんの力を込めてマウスを叩いた。手の中のマウスがクリックと同時に悲鳴を上げる。

スレッドの中身は空っぽだった。題名が「8月4日の午前0時」。情報はただそれだけだ。一つのレスも見当たらない。

 

「それ、大収穫っしょ!!」

&が中高生板での一件を話し終えた時、バタコは自分のことのように喜んでくれた。

この日は昼過ぎからみんな集まっていた。みんなといっても、&、バタコ、オカチの3人のことだ。オカチは寝床も同然の中高生板をめ出され、行く宛もなくさまよった末、このチャットに辿り着いたのだそうだ。

「ここ、悪くないですね」

今日のオカチの挨拶がこれだ。

『その不満、僕に言え!』スレでは“様”まで付けられて崇拝されたオカチだったが、チャットではそう思うように事は運ばない。その崇拝者たちは散り散りとなり、今やオカチの本当の姿を知る者は安藤しかいないのだ。

「つまり、この2つのスレッドから導き出された結論とは……」

&は改まった様子で切り出した。本物の探偵にでもなった気分だった。

「この『8月○日の午前0時』スレッドが立てられた板は、その日時になると機能を停止する。そして、これはおそらく、1日に1つのペースで繰り返されるはずだ」

「つまり、すでにどこかの板にこれと似たようなスレが立ち上がっている……そういうことですか?」

オカチが迅速じんそくにつないだ。

「うん……そういうことだ」

&はふてくされてそう言った。最後にズバっと言いたかったことを、オカチに持ってかれたのがいささか悔しかった。

「って、いうことはさぁ!」

バタコのレスが直後に続いた。

 「そのスレッドの主が板を壊して回ってるってことになるんじゃない? 違う?」

15歳の愚かな女の子が導き出した答えは、確かなものだった。その奇妙なスレッドを犯行の予告として板に立てているのであれば、それは間違いなく確信犯であり、その主が犯人であることは明確だ。

「だとしたら、サポートはかなりのアホだな」

安藤は何の躊躇ちゅうちょもなく書き込んだ。そのことに関して、異議いぎを唱える者は誰もいなかった。サポートの陰口を叩く光景は珍しいものではない。バタコのあわれれむような書き込みがそれに続いた。

「かわいそうなサポート。自分が一番『誹謗・中傷』されてるってことに、気づかないんだもの」

そうと決まればと、3人はチャットの中で立ち上がった。

各自板を回り、今日の日付である『8月5日の午前0時』スレッドを見つけ出そう! という安直な作戦を実行したのだ。

「早く見つけるための必殺コマンド、教えてあげましょうか?」

出発直前のオカチの一言だ。彼はもったいぶるのが得意だった。

「なになに? あめぞうの裏技?」

その直後のバタコの一言だ。彼女は誘惑されるのが人一倍早かった。

「違いますよ。『Ctrlキー』を押したまま『Fキー』押すと、文字を検索することができるんです。スレッドの名前を打ち込めば、該当する箇所を教えてくれますよ」

オカチの必殺コマンドは作業効率を飛躍的ひやくてきにアップさせてくれた。1つの板を調査するのに要する時間は1分もいらず、割り当てられた板を全て調べ終わったのはそれから20分後のことだった。

「ただいまーっす!w」

&がチャットの中で叫んだ。一応リーダーを気取っていただけに、何も見つけられなかったことを悟られたくなかった。

「おかえりなさい。どうでした? ダメでしたか?」

オカチは先に帰っていたらしく、なぜかその口調は「ダメでもともと」と言いたげだった。

「お前さ、普通なら『見つけられましたか?』とか、『その様子だと、何か収穫があったんじゃないですか?』とか聞くだろ」

だが結局、オカチからの返事はもらえないままだった。おりしも、バタコが帰ってきたのだ。

「あったよー! 見つけた! あたしの家、漫画L板に!」

バタコは、こちらがなぐさめに入る前からもう立ち直っていた。

安藤とオカチは用意していた別窓で漫画L板へ行き、スレッドを探した。スレッド番号32『8月5日の午前0時』……バタコの言うとおり、そこには確かにあのスレッドがあった。これからここで起こす悪行を示唆しささせるように、ただ黙々とそこに在り続けている。

「何とかしなきゃ。絶対に食い止めるんだ」

安藤は目線を落としてうなりつつ、そう発言した。バタコやオカチから、「どうやって?」と返信されるのが怖かった。

「ええ、僕も手伝います」

オカチが朗らかに言った。

「あたしの楽園だもの、2人だけに任せてらんないわ」

バタコがそれに続いて意気込んだ。

画面を見つめる安藤の顔に、こぼれんばかりの笑みが広がった。

 

『サポート削除依頼板が立派なのは、その見てくれだけである』

『サポート削除依頼?板に改名されるのは時間の問題である』

こんな根も葉もない噂があめぞうのどこかで囁かれたのは、最近のことではない。誰が言い始めたなんて知る価値もないが、あめぞうの住民の多くは「んなこと、言われるまでもないね!」が主な言い分だった。

みんなサポートが働かないことは承知の上だったが、それでも『サポート削除依頼板』に足を運ぶ者は後を立たない。まさか安藤自身、この板にスレッド削除の申し立てをすることになるなんて、思いもしていなかった。なぜなら、それが無駄なことだと分かっていたからだ。

過疎かそ板』と呼ばれる比較的人口の少ない板が荒らしによって見るも無残に荒廃こうはいさせられたところで、サポートにとってはどこ吹く風だ。そのサポート相手に、たった1つのスレッドを削除してくれだなんて……削除される前にログ入りしてしまうのがオチだ。

「でも、やってみなきゃねえ? 何とも言えないものねえ? もしかしたら、もしかするかもよ……ねえ?」

&がサポートへの不満を散々まくしたてた後、バタコが不承不承ふしょうぶしょう言った。

「もし本人に削除する意思があったとしても、あのスレッドを削除するための理由がない」

&は尚も続けた。

「サポートだって、何の見境もなくスレッドを削除したりしないだろう? あいつが求めてるのは、自分に利益のある削除なんだからな」

「んんんんんん~~~そうかもね!w」

バタコは認めた。

「でも、行動しなきゃ何も変わらない。でしょ?」

今度は&が認める番だった。いくらごねても、やるっきゃないらしい。

「しかし、あのスレが削除されたところで、板の破壊を防ぐことなんて可能なのでしょうか?」

削除依頼のスレッドを立て、メールも送信したところで、オカチが怪訝けげんそうに質問した。

「どういうこと?」

&が聞いた。

「つまりですね、あのスレッドがただの『予告状』で、破壊方法が別にあるとしたら、僕たちのやってることは骨折り損なんですよ」

「それじゃあ、あのスレを立てる目的は何なんだ?」

&は更に質問を重ねた。

「きっと挑発か何かね」

バタコが意見した。

「漫画でもよくあるよ、そういう手口。誰かへの挑戦状だったり、自分はこんな恐ろしいことをやってるんだぞ、っていうアピールだったり。単に目立ちたいだけかもしれないけど……」

「単に目立ちたいだけ!?」

&はオウム返しに憤慨ふんがいした。

「例えばの話だって! この短気!」

安藤の指先がキーボードの上で静止し、よって&は口をつぐんだ。

 犯人の目的が不明瞭ふめいりょうだったとしても、結果的にこちらが迷惑をこうむっていることに変わりはない。限られた夏休みの貴重な時間を、やる気なしのサポート相手についやすこっちの身にもなってほしい。

「オカチって、チャットに来てから妙に素直だよな」

三人の沈黙を破ったのは&の一言だった。オカチはうなずくように「ええ」と答えた。

「あなたが僕に助けを求めてきた時、正直、僕にとっては他人事でした。というより、僕を頼って相談してくれる人、不満をもらす人、ざんげする人……結局は、すべて他人事だったんですよね。てきとうに返事して、上辺だけで付き合ってれば、そこに僕の居場所ができると思ったから」

オカチは自らのスレにざんげするように、ひたすら書きつづった。

「でも、中高生板を失って、初めてうったえてくる側の気持ちが分かったんです。だからこうして今では、誰かのために全力で何かをしようって気になれるんです。それが例え、自分のためだったとしても」

「誰かのために、か」

安藤は呟いた。

母親が喜んでくれるなら、そうすることで他の草花が生き生きと育ってくれるなら、雑草をむしるのもそう悪いものではないなと、安藤は思った。

『ほんの些細な行動が、誰かを救うきっかけにつながるんだ』

事件解決の本当の意味がそこにあるとすれば、3人の陰ながらの行動は、あながち「骨折り損」とは言い切れないかもしれない。

 

バタコが放送部主催の『三年生を追放する会』の打ち合わせに行くというので、3人は一旦解散し、また夜の11時頃にチャットに集まるということになった。

集合時間の30分前。風呂上がりの安藤は、片手にうちわ、片手に冷えたコーラを装備し、自室にあるテレビ画面に向かってにおう立ちしていた。

「エンタ、もうわけわかんねえ」

パソコンデスクに飲みかけのコーラを置きながら、安藤はぶつくさ言った。今日は土曜日だった。

パソコンはすでに稼動していて、画面はあめぞうチャットの中だ。現在4人おり、その内2人は宇宙の神秘について語り合っていたが、もう2人は例のごとく沈黙していた。その1人が安藤だが、もう1人は分からない……。

「バタコかオカチ、いる?」

もしかしたらと勘ぐり、&が4人目の参加者に話しかけるようにそう尋ねた。

だが、返事はなかった。

 

時計は11時を過ぎた。

安藤はテレビ画面からパソコンの画面に視線を移し、マウスを握った。チャット利用者は6人に増えていた。

「漫画Lに行ってみたけど、ダメね。あのスレまだあったもの」

挨拶もなしに、バタコが唐突に切り出した。

「サポートは働かない。そんなこと、分かりきってたことじゃないかw」

&が事実を思い出させた。バタコはしばらく汚い言葉を並べ立てたが、オカチの発言がそれを阻止した。

「それにしたって、静か過ぎやしませんかね?」

「何が」

バタコの口調はヤリでも刺すようだった。

「だって、もう2つも板がやられているのに、サポートが何の対応もしないなんておかしくないですか? いくらなんでも、事件発生の報告くらいはあるでしょう」

安藤は眉間みけんにしわを寄せた。

「確かにそうかもしれないな。おさぼりが板についちまったサポートでも、それくらいの対応はあってもいいはずだ」

「あんたたちって、肝心な所を見落としがちなのね」

バタコが2人をさげすんだ。

「ほう」

安藤はさながら感服したようにタイプした。

「それでは聞かせてもらいましょうか、バタコさん。あなたは何にお気付きなられたのですか?」

「単純なことよ」

バタコは淡々と続けた。

「相手は、板をまるまる1つ壊しちゃうような奴よ。サポートが無事とは到底思えない」

「こりゃ単純明解だぁ! あんたすごいよ! えらいこっちゃ!」

取って付けたような褒め言葉なのに、バタコは斜めだった機嫌を水平にまで戻してくれたようだった。

「まあ今回の一件で、サポートが足をすりむこうが、腕を骨折しようが、大した問題にはならないだろ。いてもいなくても一緒なんだから」

&は心の底から本音を吐いた。

 「それにしても、漫画Lはひどい荒れようですね」

3人で長々と対策会議を開いた後、オカチが改まって驚嘆した。

「特にこのブラクラ、これはかなり悪質ですよ」

「分かるのか?」

&が聞いた。

「ええ。ソフトやツールを使うとか、URLなどでもある程度見抜くことが可能です。それに僕、作ったりもしますから」

これにはちょっと納得だった。“オカチ様”と呼ばれていただけに、ただ者ではないなと見込んでいたからだ。

「そんなことより!」

バタコが画面の向こうから怒鳴り散らした。

「0時まであと2分なんだけど!」

3人の間に緊張感が戻りつつあった。

&たちの推測どおり漫画Lが機能しなくなりでもしたら、あめぞうりんく?の存続を揺るがす大事件に発展しかねない。そもそも、広場が止まったあの日から全てが狂い始めていたというのに……。

 「あと1分」

バタコのカウントが続いた。その書き込みには、東京タワーをロケットのごとく打ち上げられる程のパワーが注がれていた。

「くるぞー!」

&が興奮して叫んだ。災難を予知できることが、これほどまで気分を高揚こうようさせるものか?

「これで漫画Lが死んだら、サポートの無力さをうらんでやる……あと10秒」

バタコは悪態を吐きながらも、死へのカウントダウンを止めたりはしなかった。そこには、絶望を希望へ変えたいという、バタコの切なる思いが込められていた。

だが、時が運んできたのは、0時という名の明日と、絶望という名の死だった。

 

「あめぞうは終わった」

板のあちこちでそんな噂がささやかれ、一連の事件を知らないあめぞう住民はほとんどいなくなった。話題で持ち上がるのは『あめぞう閉鎖』のことばかりで、中にはそのことを“良く”思う者もいた。

「あんな管理人の下、あめぞうは閉鎖に追い込まれても仕方がない」

「このまま運営を続けても、あるだけ無意味なスレが乱立するだけ」

「そもそも、あめぞうに意味なんてあるの?」

口から出るは批判の声、レス、スレッド。終いには、サポート削除依頼板に『サポートを削除』スレッドが立ち並ぶ始末。落ちるところまで落ちたら、もう笑うしかなかった。

あめぞうりんく?への来訪者は、日に日にその数を減らしていった。というのも、この4日間、板の機能停止は休むことなく続いていたからだ。

広場、中高生、漫画Lと並び、日記、You&J、海牛J、恋愛と続いた……まるで、止まることを知らないドミノ倒しのように、板という板が次々とその機能を停止させていく。

チャットもますます人が減った。元から多くはなかったが、最近では夜になっても人の気配がない。そんな閑静かんせいとしたチャットに活気を持たせていたのは、言うまでもなく、あの3人だけだった。

「あめぞうか……短い付き合いだったな」

安藤はバタコとオカチにというより、あめぞうりんく?そのものに向かって呟いた。

この1週間、安藤は、自分なりに精一杯の努力を重ねてきたつもりだった。板で予告スレッドを見つけるたびに削除依頼し、サポートに対して何度も訴えかけてきた。事件解決へのきっかけにしてほしい……そう願いを込めて。

だが、その思いは無情にも、一度として届くことはなかった。

「そんな悲しいこと言わないでよ、バカ」

バタコの腹立たしげな発言には、ひっそりとした悲しみが込められていた。つい先程0時を過ぎ、恋愛板が“今を青春する若者たち”への役目を終えたばかりだった。

「でも、本当にこのままあめぞうが閉鎖してしまうなんてことも、なきにしもあらずですよ」

オカチはいかにも深刻そうな語調でそう言った。

「ギャー! そうだ!」

安藤には、バタコの金切り声が画面を通してはっきりと聞こえた気がした。

 「ハッカーをやとって犯人のIPを見抜いてもらいましょうよ! 証拠を用意してネットポリスに通報すれば、事件解決!」

「あんた筋金入りの愚か者だな!」

安藤はパソコンに向かって苦笑しながら、だらだらとタイプした。

「そんないかにも悪質なハッカーを雇った時点で、俺たちの身が危険にさらされちまうだろうに。自分が万引きした直後に他人の万引きを目撃して、そのまま店員に告げ口するようなもんだぞ」

長々と言いながらも、安藤はバタコの発想力に舌を巻いていた。まさに、愚か者だけが辿り着ける思考回路の終着駅である。

「じゃあせめて、ちょっとした個人情報だけでも分かればいいのに。本名や何かがどこかに……」

バタコはこりずに続けたが、何か思い立ったように途中で言葉を切った。同時に、&もオカチもピンときた。

「投稿者名があるよ!」

「投稿者の名前だ!」

「名前なら投稿者欄があります!」

難易度ゼロの3人同時カキコがそこに実現した。だが、そんなことを称え合っている暇はない。誰が提案するでもなく、3人は『8月○日の午前0時』スレッドのある板へと駆け込み、スレッドタイトルを震える手でクリックした。

どうして今まで誰も、投稿者欄に注目しようとしなかったのだろう。こんなにも身近な所にヒントがあったというのに。

「灯台下暗しとは、まさにこのことだな!」

目を血走らせながらも投稿者を確認しつつ、安藤は狂喜きょうきの独り言を漏らした。

「広場の投稿者は『2』だ!」

目にその数字を焼き付けてくるなり、&が叫んだ。

「違う! 『0』よ! 『0』! 漫画Lは『0』!」

バタコが続いた。

「僕の中高生板は『1』でしたよ」

オカチが締めくくった。

安藤はたましいの抜け出るようなため息を吐き散らし、キーボードから手を離した。

「みんなバラバラね……」

バタコが落胆してそう言った。

「でもこれ、何の数字でしょうかね? 僕、他の板のも調べて来ます!」

2、3分の後、オカチが戻ってきた。それと同時にチャット参加者が1人増え、4人になったが、安藤もバタコもそんなことには気づかなかった。今は、オカチからの調査結果以外の情報は、どうでもいいことのように思えた。

「で、どうだった? どうだったんだ?」

&がせっついた。

「かなり面白いことが分かりましたよ」

「早く教えなさいよ! じれったいわね!」

バタコの言い分は正しかった。オカチは好奇心のくすぐり方を良く心得ているらしい。

「板のスレッドによって、それぞれ番号が違うんです。メモと心の準備はいいですか? ……いきますよ。広場は『2』。中高生は『1』。漫画Lは『0』。You&jは『1』。恋愛は『2』。海牛Jは『2』。日記は『2』」

安藤は、広場が停止したその日にしたためておいた調査用紙(漢字テストの裏)を引き出しの中から引っ張り出し、オカチからの情報を走り書きした。調査用紙はしばらく使っていなかったせいか、安藤の着ているしわだらけのシャツよりもしわくちゃだった。

「2……1……0……1……なんだこれ?」

ゆがんだ文字を読み返しながら、安藤はその数字の真意を考えていた。さっぱり分からない。

「まだ終わりじゃありません」

用紙越しに、オカチからの書き込みが見えた。安藤は視線をチャットへと戻した。

「この数字を、それに該当する板の停止した順に並べてみます。そうすると……『2、1、0、2、1、2、2』となります」

「それで? その数字の意味は何なの?」

バタコが真相に迫った。

「分かりません」

安藤はため息を繰り返した。

「オカチって、こういうパズルみたいなの得意そうだけどな」

「数学は得意ですけどね。だから、1日……いや、半日の時間をくだされば、必ず解いてみせますよ!」

オカチが強がりを言っているのは明確だったが、安藤自身、自分では手も足も出ないことが分かっていたので、ここはオカチに任せることにした。

「あたしは雑学専門だから」

バタコが念を押すようにそう言った。

「はいはい。分かっておりますとも、バタコさん」

&の丁重な書き込みは、とてもすげないものだった。

 

オカチだけに任せっきりはなのはさすがに気が引けるので、安藤はベッドの上で朝の寝返りを打ちつつも、あの数字のことを考えていた。だが、いくら考えても全く答えが割り出せない。

『2102122』

何かの法則? 数式? カレンダー? 時間? 人口数? 距離? 重さ?

数字に関連する単語が波のように押し寄せては引いて行き、安藤の頭の中を朝からかき乱した。そのせいか、本日の寝ぐせはまた一段とひどい。

「2102122……」

洗面所で髪をとかしながら、安藤はぶつぶつと呟いていた。朝からその数列を何千回も頭の中で繰り返したせいで、もうすっかり脳味噌のうみそにこびりついてしまっていたのだ。

「分っかんねえよ」

鏡の中の安藤が降参した。

部屋の中がたそがれ時のオレンジ色に染まり、昼の暑さが少しばかり遠退いた時、安藤は再びあめぞうを訪れていた。利用者の数が激減したあめぞうは、殺伐さつばつとした空気に満ちていた。

すべての元凶げんきょうである犯人の影を追うかのように……あるいは、この広い掲示板のどこかに残されているはずの、わずかな希望を求めるように、安藤はサポート削除依頼板に足を踏み入れていた。

サポートからの朗報ろうほう、明るい話題、愉快な書き込み……何でもよかった。どんな些細なことでも、安藤の心を落ち着かせてくるものであれば、何でもよかったのだ。

今回の1件であめぞうから失われたものは大きい。そして、今それを補うことができるのは、自分の中にある過去の記憶だけだ。元通りに……いや、それ以上にあめぞうの復活を願うのであれば、一刻も早い事件の解決が決め手となるだろう。

だが、そんな安藤の意志を嘲笑あざわらかのように、削除依頼板にそのスレッドはあった。

「8月11日の午前0時」

安藤は別窓からチャットへと急いだ。

額に汗が滲み、胸のすぐ内側を心臓がドカドカと叩き始めた。目まぐるしく移り変わる画面はやがてチャットでその動きを止め、安藤をあの二人の元へと導いた。

「見つけた! 削除依頼板だ! 日付は明日の0時!」

焦りと興奮のせいで、&の発言は無様に切れ切れしていた。

 「やっだ!w ちょっと落ち着いてよ」

「何かあったんですか? サポートから何か連絡があったとか?」

バタコとオカチが声をかけた。

「わりい、わりい……二人ともいたんだな」

「他にどこへ行けっていうのよ……それより、削除依頼板で何か見つけたの?」

 「8つ目の予告スレを見つけたんだ。日付は明日の0時……つまり今晩。しかも投稿者名は『3』だ」

&はようやく言い切った。

「アクセストップ上位を狙った犯行も、ついにここまでってわけね。しかも次の標的がサポート削除依頼……いよいよ、本格的にあめぞうをつぶにかかってきたわね」

バタコの書き込みからは、決然けつぜんとした強い意思を感じ取ることができた。そのかたわらで、「どうりで、数字の謎が解けなかったわけです!」と遠回しに弁解べんかいしているオカチの書き込みがちらと見えた。

「しかもそれだけじゃない。スレッドには主からの書き込みがあった。『全ての時が止まる』って……」

「つまり……板がある時刻から機能しなくなる=時が止まったってこと?」

バタコは呑み込みが早かった。

「『全ての時が止まる』って……まさに、これにて完結! ……といったところでしょうか?」

オカチはゆっくりと、複数回に分けて発言した。どうやら、新しく仲間に加わった『3』という数字について、色々と考えを巡らせているらしい。

「だとすると、数字は全部で『21021223』ってことになるな」

&が言った。

「こんな数字を残すなんて……犯人の奴、一体何考えてんだ?」

「前にも言ったじゃん!」

バタコが荒々しくたしなめた。

「犯人は挑発してんのよ。捕まえられるものなら捕まえてみろ、ってね」

「だとしたら俺たち、その挑発に真っ向から立ち向かっちゃってるってわけね」

書きこみつつ、安藤は鼻で笑った。

 「ところでオカチ。何か分かったか? 数字のこと」

&は唐突に話題を変えた。

「あ……ああ……ええ……んー」

オカチは口ごもったままうなり続けた。プライドが、オカチから言葉を奪ってしまったらしい。

「あんま無理すんなよ。分からなかったら、俺たちを頼ってもいいんだからな」

 「そうよ! あたしたちは仲間よ! でも、あたしは雑学専門だからね!」

 

「もしも……もしもですよ……」

3人が8つの数字の謎について見解を述べ合っていた時、オカチが突然不吉な声色を発した。時間はもう夜の11時を過ぎていた。

「このままあめぞうが閉鎖に追い込まれたら、お二人はどうします? どこか違う掲示板を探すんですか?」

「間違ってもそんなことはないと思うけど……1つだけ確かなのは、2ちゃんには絶対に行かないってことね」

バタコがかたくなに言った。

「あそこって、どうも居心地悪いのよね。やっぱり漫画の話をするならマイナーな所よ。あたし、いいサイト知ってるの」

「俺は……ともぞうにでも移住するかな」

安藤はぼんやりと打ち込んだ。

「ともぞうって、『ともぞうりんく!』のことw?」

バタコは笑いの衝動にかられた。

『ともぞうりんく!』は、2006年2月に開設された掲示板のことだ。管理人は異なるが、その中身は『あめぞうりんく?』がそのままそっくり越してきた具合に出来上がっている。利用者数こそあめぞうに劣るが、管理状況を比べれば雲泥うんでいの差だ。

「なぜか知らんけど、ともぞうのチャットとあめぞうのチャットってつながってるんだよなw」

「だよだよw不思議よねえ。不思議と言えば、この数字よねえ」

バタコの一言で、安藤の頭の中はまたもあの数字に取りかれてしまった。

「あの……僕、ちょっと抜けてもいいですかね?」

それから間もなく、オカチが遠慮えんりょがちに申し出た。

「用事でもあるの? こんな夜中に?」

バタコがいぶかった。安藤もバタコと同意見だった。

『全ての時が止まる』まで時間がないというのに、一体何を考えているのだろうか?

「ある物を仕上げなくちゃいけないんです。……0時までには戻れると思います」

言い残し、オカチはそそくさとチャットを出て行ってしまった。

「におうわねぇ」

バタコがオカチに疑いの目を向けた。

「まさか……冗談だろうw?」

&はせせら笑った。

「でも、よく考えてみてよ。漫画Lのブラクラを見た時のオカチの言葉。『それに僕、作ったりもしますから』」

「ん~……」

確かに、バタコの言うことにも一理ある。オカチはあの時、ブラクラが悪質なものであるとすぐに見抜いてしまったし、制作するスキルも豊富に備えているようだった……あながち、冗談ではすまないかもしれない。

「でも、あいつはよくやってくれてるよ。……きっと大丈夫さ。それに、俺たちは仲間なんだろ? 今仲間を信用しないで、どうやってこの危機を乗り切れっていうんだ?」

安藤は、自分の中に生まれたオカチへの疑心を否定するかのように、そう書き込んだ。バタコも渋々とだが、納得してくれたようだった。

 

11時を50分も過ぎた頃、チャット参加者が1人増え、&とバタコを含めて3人になった。

2人ともその入室者がオカチだと思ったが、呼びかけても何の反応もない。数少ないあめぞう住民の1人が、誰か知人でも求めてやって来た……そんなところだろう。

「見てるんなら、手伝ってくれよ。この謎解き!」

&が無言を決め込む観覧者に向かって悲鳴を上げた。

「21021223。嗚呼ああ……もう死んでも忘れられないぜ、この数字」

「あと10分しかないんだから、シャキっとしなさいよ! ほら!」

バタコに発破はっぱをかけられても、安藤から出てくるのはやる気ではなく、ため息ばかりだった。

「そもそも、何の手掛かりも見つからないんだもんなあ」

頭の中で数列を棒読みしながら、安藤は文字をつづった。

「ヒントがあるとしたら、『全ての時が止まる』よね……その一言だけ」

2人の間には解読される兆しさえ見えず、時間だけが過ぎていった。オカチは一向に帰ってこないままだ。

サポート削除依頼板がその機能を停止させる0時まで、ついにあと1分を切った。

「『全ての時』って、あめぞうだけのことを言ってるのかな……」

バタコが不意に呟いた。

「さあな。もしそうじゃなかったとしたら?」

安藤はキーボード脇に頬杖ほおづえをつき、片手でノロノロとタイプした。それは、己の無力さを痛感させられ、鋭気をくじかれた者の成れの果てだった。

「つまり、世界の時が……ってこと」

バタコは、自分の発した言葉でひどく打ちのめされたようだった。

「いきなり何言ってんの?」

安藤は穴の開くほどバタコの書き込みを見つめた。

「聞いたことあるの。何とか理論とかいう、海外の研究者が発表したものなんだけど、加速した時間の流れがその限界に達した時、時が止まってしまうって……」

「さっすが、雑学専門!」

安藤は驚嘆きょうたんと感心でその心を震わせた。

「そんな話、聞いたことない。時が止まるって? あめぞうだけで勘弁してくれ!」

その時、チャット参加者がまた1人増えた。今度こそオカチに違いない。

「遅かったな、オカチ! 何やってたんだよ」

&が声をかけた。しかし、オカチはにべもなくそれを無視した。

「2人とも、なに悠長ゆうちょうに話しなんかしてるんですか!? サポート削除依頼板が止まりましたよ!」

&もバタコも、0時を過ぎたことに全く気付いていなかった。

「しかも、それだけじゃないぞ」

安藤はもう、石化したサポート削除依頼板を見てはいなかった。

過疎板を始めとする様々な板に目を通し、そして、そこに新規に立てられたばかりの、あるスレッドに注目していた。

そのスレッドタイトルは……。

「『時部屋への入口』。このスレッド……0時きっかりに、稼働中のどの板にも立てられてやがる」

安藤は歯がみしてスレッドを観察した。

「しかもこのコメント!! 『入室者は1人だけだ。お前たちのために3分待ってやる』……まるで、私たちのやってることが筒抜けにされてるみたい」

「あと3分後には、あめぞうの時が止まり、部屋への入口が開かれる。そして、そこに入れるのは1人だけ……僕たちに、その1人を選べってことを言いたいのでしょうか?」

オカチが発言した直後、チャットに静寂が訪れた。0時を過ぎてから、もう2分が過ぎていた。

「つまり、犯人と真正面から向き合うってこと?」

バタコが恐々と発言し、長い沈黙を破った。

「僕は無理ですよ……掲示板を一つ破壊してしまうような方と対立するなんて、考えただけでも……うう」

「もう! 男のくせに腑抜ふぬけね!」

バタコがいつもの調子で怒鳴った。

「バタコはどうなんだ?」

そのやり取りを見ていた&がとっさに聞いた。

「あたしは無理よ。だって、女の子だもん!」

こうなることが、安藤には薄々分かっていたのかもしれない。

そうでなければ、キーを叩く指先に汗を滲ませ、喉がこんなにもカラカラになることなんてなかったはずだ。

「オッケー。俺が行くよ」

まるで、その書き込みをずっと待っていたかのように、時間は3分を過ぎた。安藤は再び訪れた沈黙に疑問を抱き、てきとうに文字を打ち込んで投稿してみた。しかし、文字は画面に表示されず、どこかへと流された。

もう一度……やはりだめだ。

安藤の書き込みはおろか、バタコとオカチの書き込みさえなくなってしまった。間違いない……チャットの時が……あめぞうりんく?の時が、完全に止まってしまったのだ。

「誰かのためになるなら、やってやるさ!」

安藤は部屋で1人、ふつふつと湧き上がる気力を奮い立たせた。

『オッケー。俺が行くよ』

 利用者の最後の書き込みを黙々と映し出すあめぞうチャットは、その男の出発を静かに見送ると同時に、その役目を終えたのだった。

 

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