1962年8月24日、ジェノヴァとトリノの中間にある町、トラッゾでの出来事である。アントニオ・ラゴンは幼馴染みのドナート・トレマムンノとワインを酌み交わしていた。この町に生まれた2人はかなり異なる人生を歩んで来た。アントニオは地道に働き、今では小さいながらも農場や町工場の経営者だ。かたやドナートはというと、欧州を渡り歩き、一時はフランスの外人部隊にいたこともある。そして、最近になって新妻を連れて帰郷した。 「なんだい。帰って来たんなら教えてくれよ。水臭いなあ」 アントニオはドナートを快く向かい入れ、ただ今こうして昔話に花を咲かせているというわけなのだ。 やがて2人は散歩に出掛ける。まもなくドナートだけが戻って来て、食事の仕度をしている奥さんに、 「娘さん、いる?」 「ああ、この子ですか?」 13歳のヴィタは料理を手伝っていた。 「アントニオが果樹園に行こうと云うんだ。一緒に行かない?」 「あら、結構じゃない。行ってらっしゃいよ」 と、彼女は娘を送り出す。 それっきり梨の礫だ。娘はもとより夫でさえも帰って来ない。いったいどうしちゃったんだろう? 心配した家族が果樹園に向かうと、あろうことかアントニオの遺体に出くわした。頭を銃で撃たれていた。 殺人及び誘拐の容疑でドナートの居所に急行した警察は、そこで更なる惨状に出くわすことになる。妻のセバスティアナと生まれてまもない息子のエミリオが血みどろでベッドに横たわっていたのである。セバスティアナは喉を掻き切られ、エミリオは頭を銃で撃たれていた。 机の上にはこのような走り書きがあった。 「もう生きていたくない。俺は死を受け入れる」 だからといって家族を道連れにすることないじゃないか! 先ごろ帰郷したドナートは、家はどうにか借りられたものの、なかなか仕事に就くことが出来なかった。そのために自暴自棄になったとでもいうのだろうか? ほどなくドナートとヴィタの遺体が発見された。ヴィタを犯した上に絞め殺したドナートは、銃口を口に入れると引き金を引いたのだ。 いやはやなんとも、やりきれない結末である。 おまけに動機は闇の中だ。 (2008年10月20日/岸田裁月) |