【芸能・社会】藤井七段ゆかり「伝説の盤駒」 豊川稲荷に奉納2018年11月18日 紙面から
将棋最年少プロ・藤井聡太七段(16)が昨年秋、奇跡の対面を果たしたあの伝説の将棋盤&駒が17日、愛知県豊川市の豊川稲荷に奉納された。1949(昭和24)年4月8日、豊川稲荷が舞台となった名人戦で使われた盤駒。神社仏閣で指された名人戦などのタイトル戦で、使用盤駒が当該寺院に寄贈されたのは史上初。奉納式典には所有者の杉山喜美子さん(79)、杉本昌隆七段(50)、山脇実・豊川市長(74)が参加した。 史上初の奉納には深い思いが込められていた。「歴史的価値のある盤と駒ですので、将来散逸することは避けたいと考えていました。杉本先生や藤井聡太さんと不思議な縁のあるお宝でもあり、多くの方にご覧いただきたいとの思いも持っていました」と、喜美子さんはあいさつした。 豊川稲荷で行われたのは第8期名人戦第2局。木村義雄十四世名人が時の塚田正夫名人に挑み、復位への足がかりとした大一番だった。この対局にはもう一つ歴史的な意味があった。それは愛知県で初めて行われた名人戦。娯楽の少ない時代、地元は熱狂した。豊川稲荷門前と豊橋駅前には、速報の大将棋盤が設けられ、黒山の人だかりができたと伝えられる。 開催に全面協力したのは「中日ドラゴンズ」の名付け親、当時の中部日本新聞社・杉山虎之助社長だった。それは対局後に木村名人が塚田名人とともに盤の外箱裏に署名し、盤駒を虎之助社長に贈呈したことに表れていた。以来、杉山家に所蔵され、虎之助社長の長男文一さんが一昨年に亡くなった後は妻の喜美子さんが所有していた。 盤駒の金銭的価値もさることながら、この裏書きこそが愛知県将棋史に新時代を画した証しそのもの。文化財としての価値も高いものだった。喜美子さんが「散逸することは避けたい」と話す理由はここにあった。 この盤駒は昨秋、藤井フィーバーを機に喜美子さんから「どういう盤駒か見てほしい」と本紙に依頼があり、その結果、木村名人から譲り受けたお宝であると判明した経緯があった。しかも藤井七段(当時四段)は木村名人の4代下の弟子。お宝発見の報を受けると、杉本七段とともに杉山家を訪れ、盤駒と奇跡の対面をした。これも喜美子さんの背中を押した。 「あの盤駒の価値に気づけたのは藤井さんのおかげ。藤井さんの七段昇段を機に『木村名人のような活躍を』との願いを込め、奉納する決心をしました。多くの方にご覧いただける形となり、木村名人も先代もきっと喜ばれているでしょう」 藤井七段の対面からちょうど400日。この日はくしくも木村名人の命日でもあった。杉本七段は「将来、藤井がタイトル戦でこの盤と駒を使って戦ってほしいとの夢につながります」と感慨深げ。山脇市長は「豊川稲荷で再びタイトル戦が行われるよう、今後機を見て働きかけたい」と結んだ。盤駒は常設展示コーナーに飾られ、式典冒頭に除幕式が行われた。将棋ファンは必見だ。 (海老原秀夫)
◆寺院への寄贈は史上初今回の奉納には、将棋史研究家らも感嘆の声を上げた。「寺院への盤駒の奉納は、聞いたことがありません。歴史的一戦として知られる『南禅寺の決戦』(木村義雄VS阪田三吉)や『天龍寺の決戦』(花田長太郎VS阪田三吉)でもそういうことは行われていません。盤と駒はもともと高価なうえ、大舞台で使われることで希少価値が増すからです」と指摘するのは、大阪商業大学アミューズメント産業研究所の古作登主任研究員。「今回の駒は三輪碁盤店さん(名古屋市)によると、値をつけられないような超高価な逸品とのこと。それを奉納とはすごい」 木村名人の師である関根金次郎十三世名人の地元・千葉県野田市には、市が運営する「関根名人記念館」がある。そこで将棋専門委員を務める松尾師孝さんも「木村名人が1938(昭和13)年の名人就位式で詰め将棋を明治神宮に奉納したことはありましたが…」と目を丸くしていた。 <第8期名人戦第2局> 倉島竹二郎著「昭和将棋風雲録」によると、第2局の誘致には日本将棋連盟豊橋支部の稲垣九十九・六段が奔走したとされる。対局は豊川稲荷の大書院で行われ、床の間には飾りとして同寺秘蔵の大岡越前守忠相(ただすけ)愛用の将棋盤が置かれた。この対局までに木村名人は対塚田戦9連敗中。下馬評は「塚田圧倒的有利」だったが、この第2局を勝って息を吹き返し、3勝2敗で名人復位を果たすターニングポイントになった。
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