 フランシスコ・ゴンザレス  パシフィック・エアライン773便の残骸 | 今日では信じられないことだが、旅客機の就航が始まって間もない頃は、搭乗の際の身体検査は一切行われていなかった。つまり、拳銃を所持していても搭乗できたというわけだ。だから、ハイジャックが横行した。そして、稀ながらも本件のような悲惨な事件も発生した。それは起こるべくして起こった事件だった。 サンフランシスコ在住のフランシスコ・ゴンザレス(27)は結婚生活の破綻と多額の借金に悩んでいた。友人知人には「死にたい死にたい」と嘆いていたという。「自殺してやる」などと脅迫めいた言葉も投げかけていたというから、この時点で既にいやはやなんともだ。 スミス&ウェッソンを購入した彼は、それで死ぬかと思いきや然に非ず。1964年5月6日、サンフランシスコ空港からリノへと旅立った。その際に自らに10万ドルの生命保険を掛けていた。 リノではカジノで遊んだ。そして、翌日の便でサンフランシスコに向かう途中で行動に出た。コクピットに押し入るや、機長の後頭部を撃ち抜いたのだ。 この時の通信記録が残っている。 「機長が撃たれた! 銃撃された! 今、救助している!」 (Skipper's shot ! We've been shot ! Trying to help !) 機長のアーネスト・クラークと一等操縦士のレイ・アンドレスは銃撃により絶命。機内には他に操縦できる者はいない。乗客乗員の運命は云わずもがなである。 まもなく後続の便がサンラモン付近の丘から立ち上る黒煙を発見した。生存者は1人もいなかった。43名もの謂れなき人々が道連れとなった。 さて、フランシス・ゴンザレスに関しては解せない点がある。 どうして彼は自らに生命保険を掛けたのだろうか? 妻や子供への「さよならのおみやげ」のつもりだったのだろうか? そうだとして、その思いやりをどうしてパシフィック・エアライン773便の乗員乗客に向けられなかったのか? 人間とは全く以て得体の知れない生き物である。 (2008年10月30日/岸田裁月) |