創価に無理矢理いかせようとする親に対して思うこと
最初に言おう。
私は創価学会とかいう宗教組織は世界で最も嫌いだ。
私が創価に入ったのはいつなのだろう、きっとそれは物心なんてつく前のことだ。
幼稚園時代は親の言うことに従ってなんの疑問もなく月一の座談会やらなんやらを行ったり、小学生のころは合唱のなんかにも行かされたりしていた。
そんな今思えば地獄のような日々を異質に思ったのは小学4年生の時だ。
ある程度の分別もつきはじめていた私は昼から友達と遊ぶ約束をしていた。
そしてその日は月一の座談会の日だったのだ。
当然遊びにいこうとした私は母に止められた。
「今日は座談会の日だからダメでしょ」
その時の私は完全に初耳だった。
この時はそこそこ前から約束をしていてかなり楽しみにしていたのだ。
だから私は先約があるからといって断った。
しかし断わることなど許さないと母。
すると、母は何がなんでもいかせようと勝手に友達に電話を掛け勝手に断ったのだ。
そしてその日は無理矢理行かされたのだが、この時大層泣いた。
楽しみにしていた約束を無理矢理かきけされ、行っても楽しくもなんともない座談会に向かわされた。
そのあと、その友達に中々話しかけることができなかった。
この日を境に親の付き合いで行っていた創価というのを嫌いになっていった。
ある日こんなことがあった。
合唱の練習に他の子の親が来ていた。
もうこの時は行くことを心底嫌で恥だと思っていた。
もう誰かに自分が創価だと知られることが心底恥ずかしくて嫌で嫌でしょうがなかった。
断固として行かない意思を表明すると親は手をあげ、合唱の人が迎えに来てしまい無理矢理いかされることもあった。
完全に不貞腐れて歌う気など出るわけもなく適当に後ろで座っていると、その他の子の厳つい顔をした親が私に対して怒鳴ってきた。
その時の私は心の底から殺意が沸いてきて何を言われたあまり覚えていないが、誰もいきたいなんて言っていない合唱を誰が真面目にやるんだと言い返して出ていったのは覚えている。
その日はかなり夜遅くに帰り、親にダブルで怒られた。
小6になり、未だに行かされる合唱は完全にぶっちぎる根性を手に入れた私は公園で遊んでいた。
公園で遊んでいると創価のおばさんが友達の前で話しかけてきた。
やれ合唱がどうのとかなんとか、。
私は顔から火がでるほど恥ずかしかった。
私があんな創価に入っているって友達にバレた。
そう考えるだけで鬱になりそうだった。
更に時は流れ中学生。
もう流石に合唱は無くなったが、代わりに歌を歌うことに忌避感を感じるようになった。
この頃には身長が160を越え、成長を止めない私に対して母や父は手をあげることはなくなっていた。
というか一度全力で殴り返した辺りから無くなっていた。
この時はもう創価とか糞食らえと思っていたが、月一の座談会は親との言い争いが大体一、二時間続き時間の無駄を悟った私が折れる形で向かうことが多々あった。
朝に本尊に向かい題目をする両親の姿を見るたびに嫌悪がわいてきていた。
中学生の時、祖父が死んでしまい、創価で葬式をあげることになった。
流石に故人を前にやりたくないなんて言うことはしたくないので仕方なくやりはしたが、言い表せない感覚に陥った。
また更に時を重ねて高校生。
もう誰に何を言われてもNOと毅然に答えることができるようになっている。
月一の座談会も圧勝が続いている。
しかし、月一で親のことを嫌いになるのはそこそこめんどくさい。
家族親戚の殆どが創価に入っているので、親戚の集まりは時々めんどくさくなる。
そんな空気を察したら話をかっさらうか従姉妹たちと外に遊びにいった。
高校生といえばもう大人と大差ない思考力を持っていると行っても過言ではない。
だからこそ、高校卒業で親元を離れるし、一応の親孝行として行ってやってもいいのだが、それは私のプライドが許さなかった。
親は口を開けば創価、創価としか言わず、忙しいから云々と言うくせに大体は創価に時間をとられていた。
そんな親は対して情操教育をしてこなかった。
だから私はかなり勝手に育った。
所謂放任家庭だ。
私は小学生の時に一度いじめられ、それを3ヶ月ほど耐えたが、その後自分で解決した。
それ以降いじめてきていた子とは犬猿のなかではあるが、変な劣等感を抱くこともなく越えることができたのは良かったと思う。
しかし、この時大人も誰も彼も私に対して手をさしのべる人はいなかった。
だから私は自分一人の力で解決できるように努力をした。
いらないものは捨て、効率的で合理的に物事を考えれるようになっていった。
そして、最初に切り捨てるべきと考えたのは勿論創価だった。
行っても下らない話ばかりでイライラするだけの創価にいく理由はなんだろうか、親か?信仰か?
信仰が私を一度でも助けただろうか?
親が私の意見を汲み入れてくれてただろうか?
信仰なんか心の弱い人がやるまやかしだ。
誰かの助けを待つなんか馬鹿らしい。
自分は自分の力で助けて見せる。
そう決意を抱いた私はかなりトゲトゲしていた。
しかし、それも時間と共にトゲは丸くなっていった。
だが創価は許さない、自分の力で助かるという気持ちを忘れたことはなかった。
私の記憶では日本には信仰の自由があるはずだが、創価を何度も止めたいといい、行動に移してもやめることはできなかった。
物心もないときにやったものが有効な筈がないのだが。
このまますいけば一人立ちし、創価とも疎遠になっていくだろう。
このまま穏便に離れていってもいい。
だが、私はこれで負けるように終わりたくはない。
私はまだ学生の身の状態で脱退をすることを目標としている。
大人になれば自然に離れることはできるが名目上は会員になっている。
それは敗北だ。
徹底的に交戦をする。
そういう心積もりである。