(cache)長久保赤水「改正日本輿地路程全図」が示していること 1 - 三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

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長久保赤水「改正日本輿地路程全図」が示していること 1

2013年01月29日 | 個人史・地域史・世界史
 2008 年2 月に、外務省アジア大洋州局北東アジア課は、『竹島 竹島問題を理解するための10のポイント』と題するA4版16頁の冊子の日本語版、朝鮮語版、イングランド語版を同時発行した。
 それは、独島(「竹島」)を「我が国固有の領土」であるという主張などの根拠を「10のポイント」で示そうとするものであった。
 これにたいして、内藤正中さんは『竹島=独島問題入門 日本外務省『竹島』批判」(2008年10月、新幹社)を発表し、『竹島 竹島問題を理解するための10のポイント』が史実に反するものであり「内容のないきわめてずさんな刊行物」であることを簡潔に論証している。
 韓国では2012年はじめにソウル大学校出版文化院から慎鏞廈『독도영유의 진실이해  16포인트와 150문답』(独島領有の真実理解  16ポイントと150問答)が出版され、2012年7月に同書第1編の日本語版『世界の人々の独島の真実を理解するための16ポイント』(企画・翻訳韓国独立運動史研究所)が独立記念館から出版されている。同書においても、『竹島 竹島問題を理解するための10のポイント』が「真実を歪曲」していることが資料に基づいて論証されている。
 『竹島 竹島問題を理解するための10のポイント』の「Point 1」は、「日本は古くから竹島の存在を認識していました」というものであり、その全文はつぎのようなものである。
   「現在の竹島は、我が国ではかつて「松島」と呼ばれ、逆に鬱陵島が「竹島」や「磯竹
   島」と呼ばれていました。竹島や鬱陵島の名称については、ヨーロッパの探検家等によ
   る鬱陵島の測位の誤りにより一時的な混乱があったものの、我が国が「竹島」と「松島」
   の存在を古くから承知していたことは各種の地図や文献からも確認できます。例えば、
   経緯線を投影した刊行日本図として最も代表的な長久保赤水の「改正日本輿地路程全
   図」(1779年初版)のほか、鬱陵島と竹島を朝鮮半島と隠岐諸島との間に的確に記載し
   ている地図は多数存在します」。
 また、この「ポイント1」の本文の下には、「「改正日本輿地路程全図」(1846年)(写真提供:明治大学図書館)」という説明がつけられた地図のカラー写真が掲載されている。
 外務省は、本文では、長久保赤水の「改正日本輿地路程全図」(1779年初版)を、「我が国が「竹島」と「松島」の存在を古くから承知していたこと」を示す証拠としていながら、写真では1846年版の「改正日本輿地路程全図」を示している。
 これは、外務省が「改正日本輿地路程全図」の初版の写真を入手できなかったからではない。。「改正日本輿地路程全図」の1779年の初版に依拠しては、独島(「竹島」)を「我が国固有の領土」であるとすることができないからなのである。
                                          佐藤正人
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