深センはかつて小さな漁村だった。一九七八年、最高実力者、トウ小平は改革開放政策を指示。二年後、繁栄する香港に隣接する広東省のこの街を経済特区として市場経済のモデル都市に指名した。九二年、トウは再訪して「南巡講話」を出して保守派の批判をはね返した。今、深センは香港を域内総生産(GDP)の額で抜いている。
中心部、福田区にある電気街「華強北」。一万を超える大小の店が軒を連ね東京・秋葉原の三十倍の規模といわれる。案内役がまくしたてた。「中東やアフリカにあるスマホは全部ここ経由だ」
同区、深セン博物館の主役はもちろんトウ小平だ。等身大の像が立ち、その横で人々が記念写真に納まる。広報担当者は「開発当初、ビルの一つの階を三日でつくった。『深センスピード』といわれた」と説明。
テレビ、炭酸飲料、衣料品…。陳列棚には、深センが生産してきた製品が年代順に並ぶ。しかし、安価な労働力による製品輸出というモデルはとうに消えつつある。
研究型IT企業「深セン光啓高等理工研究院」は、人工知能(AI)を使った顔認証システムを開発した。担当者の范シャオ卉(ファンシャオホイ)さんは「上海の警察で実証実験をしている」といい「犯罪者の顔を特定できる」と街を歩く人々の顔を囲んで浮き出させた画面を指した=写真。監視カメラで集積した顔データをAIが解析し犯罪者を人混みから瞬時に割り出す。日本なら個人情報保護を理由に導入は難しいだろうが、范さんは「対象が移動しても追跡し続けます」と自慢げだ。
旧弊破壊の毛沢東、破壊後に新経済を創造したトウ。二人の違いは留学経験の有無ではないか。約五年のフランス留学でトウは、自由経済は人々を搾取するだけでなく豊かにもする可能性を見いだしたのだと思う。トウがまいた「資本の種」はITを軸に新たな変貌を遂げている。日本は、それを脅威として近視眼的にとらえず、お互いが繁栄する道を探るべきではないだろうか。(富田光)
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