剣 沢 大 滝 落差百四十メートルの幻の滝群 安久一成 剣沢大滝は別名「幻の大滝」といわれ、その存在は古くから地元の猟師の間で語りつがれていたが、実際に滝が発見されたのは大正十四年黒部のパイオニア冠松次郎氏が棒小屋沢からながめたのが最初である。冠氏はその後昭和二年八月、最下段の滝のごく近くまで近づいている。同氏の観察では滝は三段、約三〇〇メートルということだった。 その後、日本電力測量隊の故塚本繁松氏が最下段の滝の上部「たき火のテラス」に出ており、さらに幾つかの滝を確認している。そして、近年では京大山岳部が三回にわたり大滝を試登しており、塚本氏とほぼ同地点に達している。 それに引き続いて、私の所属する鵬翔山岳会が大滝にいどみ、一回の偵察の後に昭和三十七年九月その完登に成功、幻の大滝のベールをはいだわけである。 その結果これまで三段あるいは四段と思われていた滝の数が実際には大小合わせて九段、落差約百四十メートルであることが判明した。
剣岳東面の全雪渓の水を集めた剣沢は二俣で一本になり、狭い渓谷をいっきに駈けおり十字峡で黒部川に合流する。大滝は十字峡の上流約一・五キロ、そそりたつ岩壁の間にかかっており、渇水期といえどもおびただしい量の水を踊らせている。滝の両側は三〇〇メートルもそそりたつ垂壁で、登攀は絶えず爆発したようなものすごい水流を脚下に見おろしてがら行なわれる。 大滝はスケールが大きい上に従来の沢登りと異なり、人工登攀的な要素が多く、またルートも変則的なもので途中で引き返すことができなくなる可能牲もある。さらに、登攀終了後のルートは幾つかあるが、そのいずれも大滝登攀と同じくらいの体力を必要とする。 ア プ ロ ー チ 最初に私が大滝の試登を行なった時は、関西電力専用軌道で阿曽原に入り、一般登山道を仙人池へ登った。そして南仙人山から東に延びるガンドウ尾根を下り、途中から大滝直下に急傾斜に落ち込んだギャップの多い枝尾根(大滝尾根)を下って大滝の下に達した。しかしこのルートは南仙人山から先に道がなく、かすかな踏跡やナタメ程度でルートは判然とせず、そのうえ身丈を没する猛烈なヤブコギを強いられ、大滝に取付く前にその体力の半分を消耗してしまう程である。 そこで次にのベる十字峡から剣沢を溯って近づくのが、最も簡単でかつ最良のルートであろう。十字峡までは関西電力専用軌道の終点仙人駅から、黒部川下ノ廊下につけられた旧日電歩道の水平道路を約一時間半程で簡単に達せられる。 また大町トンネルを利用すれば、逆に黒部川を下り三時間程で十字峡に達することができよう。したがって東京方面からやって来るパーテーにとっては、黒部湖や大タテガビン、黒部別山東面の壁を見ながら歩ける後者の方が興味が深い。 さて、十字峡から剣沢に入るわけであるが、剣沢が黒部川に流れ込むあたりの二〇〇メートルほどはゴルジュになっており、剣沢の全水量がごうごうと流れている。したがってこのゴルジュ帯を巻くために十字峡の剣沢右岸の台地から、黒部別山へ向かって切り開かれた古いトレイルをたどり、途中からトレイルをはずして剣沢右岸山腹のブッシュ帯に入る。山腹を剣沢上流に向かってトラバースし、小さなガリーを利用して剣沢へおりる。この間は特にトレイルはなく、要はゴルジュを巻いたと思われる所で剣沢へ下ればよい。 大滝下までの剣沢溯行は幾度かの徒渉をまぬがれない。私が行ったのは九月であるが二度の徒渉を行ない、大滝から十分ほど手前の剣沢右岸に幕営した。天幕を持参しない場合は、もう一度左岸に移ると大きな岩のごろごろした所があり、二人ほどもぐり込める小さな岩小屋なら幾つも見つけることができる。 登 攀 左岸を五〇メートル行くと突然目の前に「I滝」が現れれる。ものすごい量の水が流れ落ち、あたりには水煙がたちこめている。一番狭い所で右岸に移り(チロリアン・ブリッジで渡った)滝壺に近づく。この三八メートルのl滝の上に出るルートは、滝と右側にある「急峻なルンゼ」の中間草付帯である。滝壺の前の浅瀬を選んでふたたび対岸に移り急峻なルンゼに入る。 ルンゼの入口でザイルを結び少し登って左の草付帯に入る。最初の急な草付は手強いが、やがてブッシュが現れれ登攀の助けとなる。約百八十メートルほどで、私たちが「たき火のテラス」と呼んでいる大きな外傾した台地に出る。 台地の縁に立って大滝の核心部ゴルジュの中をのぞき込むことができる。両側の岩壁がぐっとせばまり、はるか下の薄暗い中に白い流れが見え「G滝」「F滝」を確認することができる。 さて台地の上端から埋め込ボルトを支点として、流れに向かって十メートルほど垂直に下る。ここが第一の不帰の地点とでもいうべき所で、私たちは退路を断たぬように縄バシゴをセットした。懸垂で下るにせよ、とにかく何らかの方法でルートを確保し、決して退路を断ってはならない所である。おりた所は小さなスタンスで、ハーケンで体を吊って二人がどうやら立つことができる。 ハーケンと埋め込ボルトによる人工登攀で水身上部のトラバースを行う。両側の壁は約三〇〇メートル垂直に切れ、昼間だというのに薄暗い奈落の底をゴウゴウと流れる水、その中でG滝、F滝が白くひかって見える。はるか前方の水煙の中に大滝第二の威容を誇る三〇メートルの「D滝」が姿を現わす。 約三十五メートルで次の中継地点に着く。ここからふたたび第二の不帰の地点を下降しなければならない。私はかぶりぎみの壁を縄バシゴにゆられながら十三メートル下り、さらに十メートルをフィックス・ロープを張って下ったが、ここも絶対に退路を断ってはならない所である。 目の前に「E滝」を見ながらの登攀、そして「緑の台地」めがけて斜め左へと人工登攀が続く。約四十メートルで緑の台地に着く。ここは絶壁にかかった見晴し台で直ぐ前にD滝の全容がのぞまれる。この滝はたいへん美しい急な滑滝である。滝壺は青々と水をたたえ、それを囲む岩壁はまるでスリバチを思わせる。 ここからルートは緑の台地左端のリッジから取付いて、真上にある急なガリーに入る。一、二カ所もろい小さなハングがあるので注意がいる。緑の台地から三ピッチほどで左の岩稜に移る。すでに水身からはかなり遠のき、D滝ははるか下になる。そして上流を見れば、大滝上部の剣沢がどこまやも続いている。登って来たルートをふりかえると、そそり立つ両側の岩壁はⅤ字状をなしている。大滝のスケールの大きさを感じさせる所だ。 さて、この岩稜を二ピッチ登ると岩稜を離れ左へ十五メートルほどトラバースできる所がある。D滝が足下に見える。ここが第三の不帰の地点である。埋め込ボルトを支点にして、かぶりぎみの壁を四○メートル、ところどころ空中懸垂を交えて下降する。ここを下ってしまったら、今まで登攀して来たルートをもどることは非常に困難だ。前進あるのみ。 さらに十五メートルほどザイルにすがって下ると、D滝の落口へ導く小さな尾根におりたつことができる。そして落口へは五〇メートルほどのブッシュ帯の下降で達する。上流には「C滝」「B滝」「A滝」を確認できる。 脱 出 さて、いよいよここからの脱出であるが、私たちは大滝の下にもうけたベースキャンプを撤収しなければならなかったので大滝尾根支稜を利用して戻るルートを選んだ。「小さな尾根」を戻り、「急な尾根」に取り付きもうれつなブッシュをこいで登りつめた。そして大滝のゴルジュを形成する大滝尾根支稜の裏側に廻り込み、しばらくは「傾斜のゆるいルンゼ」を下降したが、途中でプッツリと切れたため、垂直の壁を懸垂下降で「急峻なルンゼ」に入り、アプザイレンをくりかえして下った。 次に他の二つの脱出方法をのべる。一つは「急な尾根」をどこまでも登りつめ、大滝尾根、ガンドウ尾根を経由して仙人池に出る方法である。このルートは前にも記したように道なき道をもうれつなブッシュに悩まされて大滝登攀以上の体力を必要とする。あまりすすめられないルートである。 他の一つは落口からそのまま剣沢を溯行する方法である。これは最も魅力あるルートで、私も機会があったら、もう一度大滝を登攀して剣沢をつめ、剣岳に立ってみたいと思っている。しかしこの溯行の成否の決定は剣沢の雪渓状態にある。私が大滝を登攀したのは九月であったが、大滝上流の雪渓は乱れほうだいに乱れ、とうていその通過はゆるされなかった。しかし残雪期の五月には上部二俣から大滝偵察のため滝の落口付近まで雪渓を利用して簡単に来ているパーティが幾つかある。残雪期ならば最も安全で容易な魅力あるルートといえる。 以上で剣沢大滝の紹介を終えるわけであるが、アプロ-チ、登攀、脱出、いずれをとってもスケールが大きい上にルートファインディングがむずかしく、あらゆる登攀技術と強靱な体力を要求されるので、生半可なパーティが取り付くことは許されない。登攀者はこのルートをたどるのではなく、開拓するつもりで向かってもらいたい。 (なお剣沢大滝については「山と渓谷」二八六号“幻の大滝を探る”を参照してほしい) |