「俺、殺される」銃声が飛び交う現場で嘔吐しながら伝えた天安門事件
- 29歳の時、天安門で死ぬかと思った
- 今もカラシニコフの「パンパン」が怖い
- 翌朝お爺さんが卵を売っていた
中国にも民主化の動きか・・・と北京へ
平成元年(1989年)になった時、僕はまだ29歳だった。
その年の1月に昭和天皇が崩御するまで、社会部記者として1年半近く、ずっと皇居に張り付いて心身ともに消耗し、春に、外信部に次期海外特派員含みで、異動したものの、気が抜けたようで、何もやる気がしなかった。
そこに起きたのが天安門事件だった。
政治改革に失敗し、失脚した胡耀邦元総書記が心筋梗塞で急死し、怒った学生たちが天安門広場で座り込みを始めたのだ。ソ連ではすでにゴルバチョフが登場しており、民主化の波は中国にも来たのか、と思い部長に志願してすぐに北京に飛んだ。
そして6月4日を迎えた。
当時の取材メモを見ると、その2-3日前から不穏な空気で、人民解放軍は天安門を囲むようにジリジリと四方から迫り、武力鎮圧は時間の問題と見られていた。
その日の夕方、僕はいつものように天安門広場に行きパトロールした。
夜になって広場の外から銃声が聞こえるようになった。
広場に入ってきた警察の装甲車のハッチを開け、学生が火炎瓶を投げいれて燃やすなど、騒乱状態になった。
「俺、殺される」
そして午前2時になった時、突然、広場の先にある中南海(共産党本部がある昔の紫禁城)の塀の上に、人民解放軍の兵士数十人がすくっと立ち上がり、こちらに向けて軽機関銃・カラシニコフをパンパンと撃ちはじめた。
はじめ何かの間違いかと思った。と言うか現実を認識できなかった。
でも周りの人が叫びながら逃げ惑うのを見て初めて「あ、俺殺される」とわかり、慌てて逃げ出した。
その後の記憶は曖昧である。
ごみ箱の陰に隠れたりしながら、半泣きで北京飯店というホテルに向かって逃げた。
吐きそうになり、何度もえづいた。
死の恐怖で身体は機能不全に
途中気づくと、持っていた衛星携帯電話が鳴っている。
出ると東京の外信部で、「大丈夫ですか!」と叫んでいる。
「大丈夫じゃないよ!」と叫び返すと、「でも電話リポートやってください」と言う。
「いやそんなこと言われても、人民解放軍がカラシニコフをパンパン撃ってるんだよ!俺早く逃げたいんだよ!中南海の塀にいきなり兵隊が立ってさ、こっちに撃ちやがったんだよ。倒れてる人もいたよ」
みたいなことをしばらくしゃべって、逃げた。
この電話リポートというか半泣きのしゃべりは、その夜の「オールナイトフジ」という当時の人気番組にカットインされ、そのVTRから戻ったスタジオはシーンとしてどうしようもなかった、と同期のバラエティのディレクターが後に言っていた。
吐き気と共に、びろうな話だが、本当にウンチが漏れるかと思った。
おなかをスーッと下がっていった。
死の恐怖というストレスは人間の消化器官を機能不全にしてしまうのだ。
あの時のカラシニコフのパンパンという乾いた奇妙に軽快な音、はいまだに夢に出てくる。
子供の頃に遊んだかんしゃく玉の音と似ているのだ。
花火大会なんかで時々ビクッとすることがある。
中国共産党は事件による死者が319人と発表しているが、その後の報道を見る限り1000人単位の人が犠牲になったのは明らかだ。
世界が大きく動いた1989年
その後、北京から帰国して30歳になった。
そしてその年の暮れの12月に、僕はチェコのプラハに飛んだ。
ルーマニアのブカレストにも行った。
東欧では、ドミノ倒しのように民主化が進んだのだ。
お前の38年の記者人生で、最も記憶に残る取材を3つ挙げろ、と言われたら、
1:天安門事件
2:東欧革命
3:昭和天皇崩御
と答えるだろう。
3つとも1989年にいっぺんに起きた。たぶん人生で最もよく働いた1年だった。翌1990年、僕は念願かなって米国ワシントン支局勤務となり、その後、湾岸戦争を取材することになる。
世界は1989年を機に大きく変わった。
社会主義が破たんし、東西冷戦も終わった。
そして地域紛争、宗教対立の時代になった。
世界の新秩序ができたのだ。
でも中国だけは変わらなかった。
政治改革は全く進まず、
習近平になってさらに共産党一党支配が強化された。
ただ、経済の自由化は、中国を経済大国にしただけでなく、軍事大国にも変えてしまった。
平成の30年間、世界はそれまでの常識をすべてリセットして生まれ変わったのに、中国だけは同じ姿のまま、ひたすら巨大化し続けている。
天安門に戻る。
その日は一睡もせず、夜が明けたので、北京飯店から出て、天安門広場に偵察に行った。
驚いたことに、広場中央に学生達が築いていたバリケードというか、砦がきれいサッパリなくなっていた。
あの学生達の民主化にかけた情熱が跡形もなく消えている。
呆然と立ち尽くしていると、すぐそばでお爺さんが自転車の荷台に箱を置き、卵を売っている。
昨日までは警官、兵士、学生でごった返し、商売どころではなかったのに、バリケードがなくなったらもう商売か、と思わず笑ってしまった。
「七人の侍」という映画のラストシーンを思い出した。
戦いの翌朝、お百姓さん達は、歌を歌いながら、何もなかったかのように賑やかに田植えをしている。それを見た志村喬が「勝ったのは百姓だ」と呟く。
世界は新たな秩序作りに動きだした
天安門事件後、欧米各国が激しい非難を続ける中、日本だけは制裁を解除し、その後天皇訪中を実現させるなど、中国に気を使い続けたが、逆に中国は経済、軍事で巨大になるのと同時に反日を強めていく。
しかしトランプの登場で事態は不思議な展開をした。
巨大になりすぎた中国を米国は敵とみなしたのだ。
米中関係の悪化と共に、中国は今度は急速に日本への接近を始めたのだ。
今回の安倍訪中は日中新時代のスタートとなるだろう。
もちろん日本が中国への警戒心を解くことはない。
ただ30年ぶりに世界は再び新秩序作りに動きだしているのかもしれない。
(執筆:フジテレビ 解説委員 平井文夫)