1日に1回は本屋に行く。知ってる本屋もあるし、知らない町で、初めて行く本屋もある。ついつい、長居をしてしまうこともある。金のある時は、何回も何回も衝動買いすることもある。
この前、新宿で真っ黒の本を見つけた。何だこれは、と思って手に取った。〈「右翼」の戦後史〉と書かれていた。講談社現代新書だ。安田浩一さんの本だ。
右翼の歴史という本なのかな、と思って、目次を見、そして本文を読み始めた。
凄い。すぐに引き込まれた。やめられない。いい本だ。思い切って買った。
右翼の歴史について書いた本は何十冊とある。何百冊かもしれない。私だって書いてような気がする。
しかし、これは違う。私の知らなかったことも随分と書かれている。
たとえば〈第五章 宗教右派の台頭と日本会議の躍進〉だ。あの岡山県奈義町のことが詳しく書かれていた。私も随分と驚き、いろんなとこで書いてきた。しかし、現地に行ったこともない。取材もしてない。それで書いてきたのだ。
安田さんは違う。ちゃんと現地に行き、キチンと取材している。〈大日本帝国憲法の復原を求めた町〉として奈義町のことを書いている。
〈岡山県奈義町ー鳥取県との境に接する人口約6000人ほどの小さな町である。町の大半は山林と原野で占められ、鉄道駅も高速道路のインターチェンジもない過疎地だ。
この町が、かつて一度だけ、日本中の注目を集めたことがあった。1969(昭和44)年、同町議会で「大日本帝国憲法復原決議」が可決された。日本国憲法を破棄し、明治時代に制定された大日本帝国憲法を「復原」させよ、という内容だった。「改憲」ではなく、明治憲法そのものの「復原」である。敗戦から20年以上も経過してから、なぜ大日本帝国憲法復原を訴えたのだろうか〉
これは安田さんが書いている。うまい。誰だって興味を持つ。
私だって、この話が一番謎だった。ずっと、不思議だった。
今の憲法がおかしいのなら、「アメリカによって押し付けられた憲法を改正しよう」と言った方が理屈が通る。でも、その前の明治憲法に戻したとこから、始めるという。ちょっとおかしいのでは、と思った人が多い。
安田さんは2017年、町議会を訪ねた。凄い。行動力がある。
そして、「当時の決議提案理由書」が残っていたという。その中に、これは日本国憲法を憲法として認めることのできない理由が示されているという。
アメリカによって押しつけられた「押しつ付け憲法」が日本にさまざまな「弊害」をもたらしてると説く。
〈続けて同書は、「思想の自由」「表現・言論の自由」は、「罵詈雑言の自由にもつながる」とし、現行婚姻制度も伝統的な家族制度を「抹殺する」、ストライキを認めた「勤労者の団結権」も「従来は非合法」であったはずだと嘆いてみせるのだった。最終的に、この理由書は現行憲法を「万悪の源」と位置づけ、「菊花薫る道義国家日本の再建」のためには「明治欽定憲法復原以外に無し」と結んだ〉
これだけ見ると、過激なネトウヨの提案のようでもある。
しかし、違う。これを町議会に出したのだ。
〈当時、町議会(定数17議席)では、この提案を10対7で可決した。接戦だった。議会事務局で議事録を確認すると、保守系議員の一部からも同提案に疑問が相次いでいたことがわかる。「改憲決議ならば賛成するが、旧憲法復原には意味がない」。「本来、国会で議論されるべきものではないのか」。もっともな意見ではあるが、2時間の質疑を経て、議案は可決された。こうして山間の小さな町が決議した「大日本帝国憲法復原」は、たちまち世人を騒がせることとなったのである〉
ほう、10対7だったのか。
そして、この議決の中心人物を取り上げる。
〈取材を進めていくうちに、この議決の立役者ともいうべきひとりの人物が浮上した。
延原芳太郎ーー終戦直後から奈義町の町会議員として活動し、議決当時は町の農地委員会会長も務めていた人物である。当時の関係者が語るには、「地元のポス的存在でした。町会議員を小僧扱いするような人で、渋々従った議員もいたと思います〉
そうか。よく分からなくて、町議会のボスに従った議員もいたんだろうな。これでかなり分かった。
〈延原には複数の別の顔もあった。岡山市に本部を持つ右翼団体の幹部、そして熱心な「生長の家」信者としての顔でもある。ちなみに大日本帝国憲法の復元は、「生長の家」の創始者である谷口雅春の持論でもあった。先の関係者が続ける。
「延原さんは谷口教祖に心酔していました。生長の家岡山強化部にも所属し、先頭に立って復原に向けた議会工作に動いていました」〉
議員に睨みを利かせる一方で、地元で学習会を繰り返し、町の有力者たちにも「復原」を訴えて歩いた。その延原は1990年に92才で亡くなっている。
そうだったのか。私も昔、生長の家で話を聞いたような気がする。
確かではないが、安田さんはさらに行動的だ。取材を続ける。延原さんの家を探し、長男に会って話を聞くのだ。これも凄い。
子供の頃から、息子はよく父親に連れられ、「生長の家」の集会に行ったという。そして今、その息子も地元の「行動右翼」のリーダーになってるという。
では、その後、この「復原決議」はどうなったのか。
〈69年に奈義町で決議された「大日本帝国憲法復原決議」は、その後、各地に飛び火することはなかった。世間的には「田舎町の椿事」として認識されるだけだった。
だが、決議を実質的に後押しした生長の家は、翌70年、県庁所在地の岡山市で「正統憲法復原改正全国大会」を開催。教祖の谷口も同地を訪ね、参加者を前に講演を行なった。その記録は後に「諸悪の因 現憲法」(日本教文社)として出版されている〉
そうか。じゃ、又、その本を読んでみよう。このことは単なる「椿事」ではないと安田さんは言う。
〈この時期から日本の右派勢力は、憲法改正を最大の政治課題に掲げるようになる。
いま「椿事」を笑うことができないのは、大日本帝国憲法の復原、すなわち現憲法の破棄を大真面目に訴える者たち(なかには政治家もいる)がそれなりの影響力を持った立場にあるからだ。少なくとも憲法はもはや「改正」が目前にある〉
そうなのだ。ここから改憲運動か始まる。そして生長の家やその学生たちによる運動を詳しく紹介している。さらに「日本会議」についても書く。
そして、在特会などのネトウヨについても書く。
さらに面白いのは、「第四章 新右翼の誕生」という章がある。
ここは、他の本とは大きく違う章だ。普通、新右翼というと「一水会、鈴木」が中心に出てくるが、ここでは、「楯の会」に入れなかった牛嶋という男が出てくる。
今、大学の先生をしている。そして、彼こそが「新右翼」のルーツだという。「一水会、鈴木」ではないという。ここも面白いし、異色の右翼史だ。全体としてみても、教えられることが多い。
もしかしたら、今まで書かれた右翼の本で、最も優れたものかもしれない。私はそう思いましたね。
とても衝撃を受けたし、面白かった。いろんなことを教わった。皆さんもぜひ、読んでみたらいいでしょう。新書で840円と安い。この価格以上の価値はある。
つまらなかったと言う人はいないだろうが、そう思ったら、私に言えばいい。私がお金を返します。そのくらいの自信を持ってお薦めしたい本ですね
。この本の他の○についても紹介したいが、それは又、いつかやってみよう。
他にも推薦する本を書こうと思ったが、次の機会に。では又、来週。
7月20日(金)。「のりこえねっと」の記者会見が開かれ、私も出ました。TOKYO-MX「ニュース女子」が辛淑玉共同代表に「偽ニュース」を流し、誹謗中傷したことがあった。この日はMXテレビが謝罪し、それを受けての記者会見だ。
のりこえねっと側は、辛淑玉、佐高信、宇都宮健児が、出席した。テレビ局側から謝罪を書いた文書も配られた。又、辛さんから詳しい説明があった。
午後2時から、衆議院第2議員会館の第7会議室。多くの取材陣の前で、のりこえねっとの記者会見。私は途中で退席。
このあと、隣の参議院議員会館大講堂で開かれていた〈ストップ・ザ・アベ3選〉集会に出た。これも4時から始まっていたが、正式には、「主権者は私たち・市民が政治を変える! 市民大集会」だ。