【サッカー】川口、涙と感謝の引退会見 新世代のGK育成へ指導者の道2018年11月15日 紙面から
サッカー元日本代表で、今季限りでの現役引退を表明したJ3相模原のGK川口能活(43)が14日、相模原市役所で記者会見した。川口は引退理由について、「選手ではなく、日本サッカーに違った形で貢献したいという思いが強くなり、引退の覚悟を決めた」と語り、今後は指導者の道へ進むことを明言した。クラブは12月2日、ホームの相模原ギオンスタジアムで行われる今季最終節の鹿児島戦で引退セレモニーを開催する。 「感謝しかない」。63社130人が詰めかけ、23台のカメラがずらりと並ぶ中、両親や家族、関係者への謝辞を伝えるとき、川口は言葉を詰まらせた。 ブラジルを破った1996年アトランタ五輪、W杯4大会連続出場。数々の日本の躍進に貢献した偉大なGKはここ1~2年、現役か、引退かで揺れていた。決断に大きな影響を与えたのは、日本代表の後輩たち。16強入りしたW杯ロシア大会をはじめとした各年代で、自身が代表だったときより、強くなったと感じる。 そんな日本サッカー界へ自身の経験を伝えるための決断。心境を聞かれると、「完全燃焼したかというと、余力はあるが、ただ悔いはない。ピッチ上で、ピッチ外でベストを尽くしてこの結果になった。次のステップへ行くという強い意志がある」と、力を込めた。 本格的なサッカーチームに所属する前からGK練習をしてくれた兄の影響で始めたポジション。人気アニメ「キャプテン翼」では、主人公よりも若林、若島津のGK組に憧れた。「もう一度サッカーをするならキーパー」と愛してやまないポジションは「最後のとりで」であり、大切なことは「不動のメンタル」だと言った。 「GKが人気のポジションになるには、まず(子供が)やりたいという気持ちになるかどうか。動きが格好いい、とかから入ってもいい。見栄えが大事」「自分の理想は『失敗を恐れないGK』だが、一度も自分の完成形に近づけたと思ったことはない。そういう選手を育てたい」。新世代のGK育成への熱い思いが次々と口を突いて出た。 12月2日。出番があるかどうかは分からない。「今まで通り、試合に向けての準備をしていきます」。日本の最後尾を守り続けた男が、ついにグローブを置く。 (関陽一郎) <川口能活(かわぐち・よしかつ)> 1975(昭和50)年8月15日生まれ、静岡県富士市出身の43歳。180センチ、77キロ。GK。地元のスポーツ少年団で小学生からサッカーを始め、東海大一(現東海大翔洋)中から清水市立清水商(現静岡市立清水桜が丘)高。3年時に選手権制覇。卒業後、横浜M入り。2001年にポーツマス(イングランド)に移籍するなど欧州で5季過ごし、05年に日本に復帰(磐田入り)。その後、J2、J3でもプレーした。日本代表では出場116試合(歴代3位タイ)。W杯には1998年フランス大会から4大会連続で出場。
◆川口 一問一答 アトランタ五輪のセーブ、強い記憶-GKは何をもたらしてくれたか 川口「僕は上背があるわけではない。自分が足りないと思ったことを努力し、これだけの長いプロ生活を送ることができた。常に自分が代表クラス、ワールドクラスのキーパーに比べて身長がないと言われ続けた。強がってはいたが、内心、すごく悔しさというか…。足りないものを努力するためのエネルギーを、キーパーを始めたことで知ることができた」 -記憶に残るセーブは 「アトランタ五輪のブラジル戦で。ロベルトカルロスのシュートをキャッチしたとき。あれは正直、キャッチできるとは思わなかった。マリオGKコーチ(当時)の『キャッチするまで終わらない』練習のたまもの。もう一つはドイツW杯。ジュニーニョペルナンブカノ(のシュート)を指先1本で触ったシーン。ちょっとでも指の位置がずれていたら折れていたかも」 -最後はJ3でプレーした 「J3は自分の中での挑戦だった。その中で、適応するための努力はしてきた。もちろん、厳しい環境のときもあったが、サッカーが好きだということを再認識できた」 <番記者メモ>クールに見えて人懐っこい守護神ちょっとクールに見えて、実は面白い。この日PKセーブの秘訣(ひけつ)を聞かれた川口は「特にない。目力で相手を威圧するくらい」と笑いを誘った。その昔、アトランタ五輪最終予選が終わった翌日だったと思う。他の選手たちがプールなどでくつろぐ中、ボールなどを手にした彼はそれこそ「目力」で報道陣を制して練習へ。とても真面目だった。 ピッチを離れれば、人懐っこい一面も見せた。遠征先のマカオに着くなり、記者の顔を見て、「マカオと言えば、カジノでしょ? でしょ?」とニヤリ(はい、行きました、負けました)。 そんな人柄を証明するかのように、多くの報道陣が詰めかけた。川口は会見の最後、涙をこらえて、こう言った。「これだけたくさんの方が集まってくれた。今日が最高にうれしい日」。自然と、胸が熱くなった。 (マイアミの奇跡を現地で取材、元担当・関陽一郎) ◆名古屋GK楢崎「寂しいよね」 盟友たたえる名古屋のGK楢崎が、日本代表で長くレギュラー争いを演じた川口の引退を「寂しいよね」と惜しんだ。 日本がW杯に初出場した1998年フランス大会は川口、02年日韓は楢崎、06年ドイツ大会は川口と交互にゴールを守った1歳年上の盟友を「大先輩」と評し、「こちらは追い掛けるだけで楽だった」。 一方で川口の活躍でGKにスポットが当たるようになって「キーパーを花形にしてくれた」とも話し、その多大な功績をたたえた。
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