知多半島 美浜町布土の山奥に私設の美術館がある

「美術の森」美術館というよりも歴史の遺物を展示する博物館である
20年以上前からここに兵馬俑があると噂されていた
兵馬俑と言えば2200年以上前の秦の始皇帝の墓から出てきた遺物であり、それがこんなところにあると誰も思わない

しかし、ここへ実際に行って多くの人がその存在感に驚いてしまう


 

 

 

 

 

入口に入るとそこにさっそく兵馬俑の兵士がお出迎え。土で創ったにしてはとてもしっかりとつくられており、重量感がある。

当時の鎧の様子、衣服の様子などよくわかる。

 

ここの兵馬俑は全部で3体ある。始皇帝陵から出た数は6000体にも及ぶとされているが、すべての像は表情も姿も服装も一つとして同じものはないとされている。
ここにある像もやはり3体とも表情・姿は同じものではない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

右の写真が秦の始皇帝の像である。像は小型ではあるが、威厳があり後ろにある銅馬車の前に立っている。

銅馬車は、始皇帝が中国全土を統治するために移動用につかったものをかたどって兵馬俑に埋め込んだとされ、中国の博物館には2体しか現存していないとされている。

そのような貴重なものがなぜ、日本の美浜町にあるのか?
そして、これらの兵馬俑と銅馬車は、果たして本物なのか、それともレプリカなのか?

 

西安の秦始皇帝陵博物館にある銅車馬は1980年に発掘されたものであるが、この「美術の森」にある銅車馬はそれより10年前に、始皇帝陵から少し離れた砂漠の下から発掘され、当時中国共産党に知らされず極秘で日本に持ち込まれたものであるという。
当時の中国は文化大革命の余波を受けてこのようなものを文化的価値があるというより支配者階級の遺物を片っ端から壊した時であった。そこで、見つからないように運んだとのこと。そのときの協力者の名前は今も言えないという。
兵馬俑自体が、発見されたのは1974年3月、住民6名が井戸を掘ろうとして見つけたものであり、それより前にこの兵馬俑と銅馬車は見つかったとされている。
4頭の馬は兵馬俑と同様1体ずつ表情が違い、リアルで今にも動き出しそうである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

御者の姿 傘の下でたずなを引く            .

 

 

 

 

 

  馬車自体は長命をかついで亀の甲をかたどっている

 

 

 

 

 

 

 

 

精巧なつくりの銅馬車 文様が美しい            .

 

 

 

 

 

 

 

 



銅馬車 兵馬俑と一緒に出土した神獣の置物

 

 

 

 

 

これらの神獣も調査をすれば、学術的に貴重なものになるのでは?

 

 

 

 

 

 

 

 

一緒に出土した青銅の鉾 武器

 

 

 

 

 

 

 

青磁の始まりは3400年前の殷の時代        .
その後、後漢に発達し、朝鮮、日本にも普及した。
この「美術の森」に展示してあるものはいつの時代
のものかは不明だが、形は紀元前に出土したもの
と酷似している                      .

 

 

 

 

明の時代の水差しと思われる      .