高知パルプ生コン事件のことを、どれだけの高知県人が覚えているだろうか。

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高知の列車と川の浄化について | 高知県庁ホームページ



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江ノ口川
の水質浄化のご意見について、河川課からお返事をさせていただきます。
江ノ
口川
は高知市の市街地を東西に流れる、潮の干満の影響を受ける河川です。 昭和20 年代半ばに旭地区で操業を開始した
パルプ
工場から排出される廃液が原因で、
江ノ口
と浦戸湾の水質汚濁が社会問題となりましたが、昭和47年に水質汚濁防止法に 基づく新しい排水基準が県条例により施行され、主な汚濁元の
パルプ
工場は操業を 停止しました。 また、県は昭和45年度より河川浄化事業に着手し、石積みによる環境 護岸やヘドロ ...

高知生コン事件を伝えよう 大阪市大の宮本名誉教授ら調査|高知新聞



www.kochinews.co.jp/article/1191/
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高知市の
江ノ口川
に汚水を流し続けていた
パルプ
工場の排水管に市民が生コンクリート を詰めて工場の操業を...


高知市の江ノ口川に汚水を流し続けていたパルプ工場の排水管に市民が生コンクリートを詰めて工場の操業を止めた「高知生コン事件」を後世に伝えようと、大阪市立大学の名誉教授らが書籍の出版に向け準備を進めている。4人が1日から高知市で調査に着手し、3日間の日程で事件の現場を訪問したり、関係者から当時の話を聴き取ったりする予定だ。


 調査を進めているのは、大阪市立大学の宮本憲一名誉教授(環境経済学)と神奈川大学の安田常雄特任教授(日本現代史)ら。


 宮本名誉教授は事件当時、公害問題の専門家として「高知生コン事件」公判に証人出廷した経験を持ち、「事件は日本の公害事件の中で非常に象徴的。水俣病など四大公害と並べて取り上げるべきもので、貴重な証言や資料を残していきたい」と話している。


 今回の取材には出版社も同行。生コンクリートを実際に投入した吉村弘さん(68)や、「浦戸湾を守る会」会長として事件の中心人物だった故・山崎圭次さんの長男、広一郎さん(68)ら関係者3人に話を聞いた。


 吉村さんは「山崎会長は一般住民への影響がなるだけ少ない所を(投入場所として)選んでいた。当時、浦戸湾の魚は変形していたが、今ではアカメもおり、魚もよく釣れる。山崎会長が言っていたのは『これか』と思っている」と振り返る。


 「浦戸湾を守る会」の事務局長、田中正晴さん(63)は「山崎会長はどうしたら江ノ口川がきれいになるかをずっと考えていた。当時は一般市民もいろいろ調べており、そうした活動の上に『生コン事件』がある」などと証言した。


 この日の調査を終え安田特任教授は「全国的にはあまり注目されてこなかったが、戦後日本の実像が現れている事件」と話していた。


 今後、学術図書出版「すいれん舎」(東京都)の「戦後日本住民運動資料集成」の第10シリーズ「高知パルプ事件資料」(全8~9巻)として出版。主に図書館や大学向けに販売する。



■高知生コン事件■
 高知市旭町3丁目にあったパルプ工場から大量の廃液が江ノ口川に流され、川や浦戸湾の環境汚染を引き起こした。これに対して1971年6月9日、「浦戸湾を守る会」のメンバーが、廃液排出を止めようと排水管に生コンなどを投入した。住民運動の高まりがきっかけとなったこの事件は、反公害運動の全国的な盛り上がりの中で注目を集めた。




高知パルプ生コン事件とは - コトバンク



kotobank.jp/word/高知パルプ生コン事件-1724850
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朝日新聞掲載「キーワード」 - 高知
パルプ
生コン事件の用語解説 - 高知市の
江ノ口川
に 廃液をたれ流していた高知
パルプ
工業(同市旭町3丁目)の排水管に、1971年6月9日 早朝、市民ら4人が生コンと土嚢(どのう)を投入した事件。工場は操業を停止、翌年に は閉鎖された。4人のうち、山崎圭次さんら2人...

江ノ口川、中の橋を渡ると思い出す〔3808〕2013/09/18 - ひまわり乳業 ...



www.himawarimilk.co.jp/diary/?No=3808
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ここに城下町が建設された頃は、鏡川よりも
江ノ口川
の方が大きかった、とも言われ ます。ですきに大川。 鏡川には、山内氏の防衛政策で、ほとんど橋が架けられんかった がですが、こちらの
江ノ口川
には何本かの橋が。色んな橋が架けられ、外され、名前が 変わり、という変遷の歴史。 ここが中の橋と言うばあですき、当然、上の橋も下の橋も ありました。城下町と、北部の村々とを結ぶ橋は、いっぱいあったのであります。 その
ノ口川
沿い、現在のイオン(旧サティ)のところに高知
パルプ
の工場ができたが ...

高知市を水辺の街へ〔2972〕2011/06/05 - ひまわり乳業株式会社 | 今日 ...



www.himawarimilk.co.jp/diary/?No=2972
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今日のにっこりひまわり. 高知市を水辺の街へ〔2972〕2011/06/05. 高知市を水辺の街 へ. 2011年6月5日(日)雨 梅雨らしいお天気。朝からしとしとと雨が降りよります。 皆さん は、高知
パルプ
生コン事件というのを覚えてらっしゃいますでしょうか。旭町の、今の イオンさんのある場所にあった製紙工場の廃液で、
江ノ口川
がとてつもなく汚い川になり 、それが流れ込む浦戸湾も汚染してひどいことになっちょりました。それを危惧する「浦戸 湾を守る会」の山崎会長とかが中心となって、その
パルプ
工場のマンホールに生コンを ...

高知県初記録種を含む高知市新堀川の魚類 - 四国自然史科学研究 ...


(Adobe PDF) - htmlで見る
www.lutra.jp/3-7.PDF
しているとは限らない.」と記している.和田(1980). によれば,1951年から1972年まで ,日量13,500トン. の
パルプ
廃液が
江ノ口川
,新堀川および堀川を経. 由して浦戸湾に 流れ込み,浦戸湾は強度に汚染さ. れた. 高知県は1971年に公害対策研究事業を 実施し,. 落合・岡村(1972)による浦戸湾の魚類の分布と. 斃死の現状が報告され, この報告が蒲原(1958). 以来の浦戸湾における魚類の研究となる.その後,. 高知県初 記録種を含む高知市新堀川の魚類. 長野博光*・阪本匡祥**・中尾光利**・町田 吉彦**.

宇井純の高知: 風聞異説



nobless.seesaa.net/article/88253562.html
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日本中を旅することの多い私の生涯で、おそらく水俣の次に親近感をもって思い出す 土地の名前であり、また共に公害とたたかった人々の群像である。 高知
パルプ
生コン 事件のことを、どれだけの高知県人が覚えているだろうか。 昭和30年代から40年代 にかけてのまさに高度成長期、
パルプ
排水で真っ黒なドブ川と化した
江ノ口川
の無残な 姿と耐えがたい悪臭。自転車で学校に通っていたころ、九反田付近であの悪臭がおそっ てきたことを、私は昨日のことのように思いだす。真っ黒な川底のヘドロから ...

“高知市の江ノ口川に汚水を流し続けていたパルプ工場の排水管に市民 ...



b.hatena.ne.jp/entry/277950965/comment/zu2
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こちらの記事に対するzu2さんのコメントです → 「“高知市の
江ノ口川
に汚水を流し続け ていた
パルプ
工場の排水管に市民が生コンクリートを詰めて工場の操業を止めた「高知 生コン事件」”」

ブログ「浦戸湾」:生コン事件の季節 - livedoor Blog



blog.livedoor.jp/uradowan/archives/51213684.html
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公害の告発者が、裁判の被告になった唯一の事件でしょう。東京からは、東京大学の 宇井純氏が特別弁護人として駆けつけました。最初、ソファーにふんぞり返っていた宇井 純氏は、山崎圭次さんの自然観を聞いているうちに、背筋を伸ばし、座り直したそうです 。もちろん、高知
パルプ
の公害に泣かされていた地域住民は、「守る会」の実力行使に 拍手喝采を送りました。 世論は、圧倒的に「守る会」の味方でした。そして、事件の翌年、 高知
パルプ
は高知県から撤退していきました。
江の口川
から浦戸湾への ...



 
高知
パルプ生コン事件のことを、どれだけの
高知
県人が覚えているだろうか。

 昭和30年代から40年代にかけてのまさに高度成長期、パルプ排水で真っ黒なドブ川と化した江ノ口川の無残な姿と耐えがたい悪臭。自転車で学校に通っていたころ、九反田付近であの悪臭がおそってきたことを、私は昨日のことのように思いだす。真っ黒な川底のヘドロからぶくぶくとガスが湧きでて、おもわず鼻をつまんだものだ。

 貧しさからやっと脱して経済成長に向かいつつあるあのころの市民にとって、鼻が曲がるほど臭いドブ川すらも明日の豊かさのために我慢しなければならないものだったのだろうか。


 しかし、これに敢然と立ち向かった男たちがいた。

 行政のあらゆる機関に訴えても埒(らち)があかないため、自然保護運動の先頭に立っていた山崎圭次さん、
坂本九郎
さんらは肚(はら)をくくる。1971年6月9日未明、
高知
パルプからの排出口のマンホールに生コン車一杯のコンクリートを流し込んで排水を止めたのだ。それも、交番の前で。この快挙に、
高知
市民は拍手喝采した。あの、日本でもっとも汚い川と呼ばれた不名誉な江ノ口川がこれで蘇る。

 山崎さんらはもちろん、有罪を覚悟していた。愛する故郷を守るための、それはやむにやまれぬ行動だった。


http://cache.yahoofs.jp/search/cache?c=5esFPBs9plIJ&p=%E5%9D%82%E6%9C%AC%E4%B9%9D%E9%83%8E+%E9%AB%98%E7%9F%A5&u=nobless.seesaa.net%2Farticle%2F88253562.html


高知市の江ノ口川で魚大量死 コイ、オイカワなど多種



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川魚が次々に死んで川底にたまった(6日午後6時40分ごろ、高知市山手町)
川魚が次々に死んで川底にたまった(6日午後6時40分ごろ、高知市山手町)
 高知市北端町や山手町の江ノ口川で6月6日夕方、コイやオイカワなどの魚が大量に死んでいるのが見つかった。一時は数千匹と見られる死骸が500メートル以上にわたって流れ、周辺住民らが「何があったのだろう」と不安そうにのぞき


江ノ口川をきれいにする取り組み



公開日 2009年03月24日

江ノ口川をきれいにするために


江ノ口川の歴史的経緯について


 高知市の市街地を貫流する江ノ口川の水質の悪化は、昭和25年に流域内にパルプ工場が立地したときより始まり、その後も家庭排水や工場廃液により河川の汚濁が激しくなり県都の環境にとって大きな問題となりました。昭和47年には水質汚濁防止法に基づく新しい排出基準が県条例により施行され、主な汚濁元の製紙工場の操業を停止するに至りました。また、昭和45年度より河川浄化事業に着手し、石積みによる環境護岸やヘドロの浚渫を行いましたが抜本的な解決には至っていません。

河川環境改善への取り組み


 江ノ口川の水質浄化を推進するため、流域の市民交流を図り流域活性化とまちづくりに取り組んでいます。また、平成10年には流域住民と行政が参加する「江ノ口川水質浄化検討会」が発足し、バイオコードによる水質浄化や、パンフレットの作成、啓発看板の設置等を行っています。
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転載元: 汚染企業は廃業しろのブログ
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