そして今、文在寅政権の番が回ってきた。かつて「魂を売った」と言ったのだから、今回は「魂を取り戻す」として被害者たちが満足する交渉案を手に日本に向かって突き進んでいくべきところだ。ところが、「再交渉はしない」とうずくまっている。そうしておきながら、「慰安婦合意は被害者の基本権を侵害した」として、元慰安婦たちが提起した憲法訴願について「請求の要件に合わない」と対抗する。やはり言行不一致だ。保守政権だったら、あらゆる市民団体から「骨まで親日派だ」と猛攻撃を浴びることだろう。今回も正義の実をつまみ食いだけして逃げ、次の政権に借金を引き継がせるつもりなのだろうか。
先月30日の徴用被害者(徴用工)賠償に関する韓国大法院(最高裁判所)判決の問題点は、9月14日付と10月31日付の特集記事で詳しく取り上げたので再論しない。ここでは歴史的な意味について述べたい。大法院は、徴用被害者の賠償権を認める根拠として1965年の請求権協定に植民地賠償が含まれていなかったと判断した。この判決に反対すれば、「親日だからそんなことを言うのだ」と言われる。常とう句だが威力がある言葉だ。しかし、このように親日か反日かという物差しで見れば、大韓民国の深みが台無しになる。
韓国社会には国の正統性を否定する勢力がいる。朴正煕(パク・チョンヒ)政権を軽蔑する知力では韓国の経済発展を受け入れられない。だから、経済発展の元手となった請求権資金の性格について半世紀以上、かみついているのだ。韓国経済は屈辱外交・物ごい外交で得た日本の協力資金で築かれた「砂の城」だということだ。国の正統性を信じる人々は、この資金を植民地賠償金とたがわない「犠牲の代価」として解釈する傾向がある。受け取るべき金を後世の人々が堂々と受け取り、自ら経済発展させたということだ。大法院判決は、この資金の賠償的性格を否定することにより、結果的に一方の勢力に加勢した。文在寅政権の「徴用裁判遅延」捜査にせかされ、取り返しのつかない決定を下した。それなら請求権資金が投入されたポスコ、昭陽江ダム、京釜高速道路、漢江鉄橋、嶺東火力発電所は日本からの贈り物だというのだろうか。