冒険者組合の受付嬢であるイシュペン・ロンブルは暇を持て余していた。
普段は依頼や依頼を受ける冒険者の受付や対応を行い、その波が途切れれば依頼書の作成や掲示板の更新をしている。しかし今日は新規の依頼もない。冒険者も来ない。他の仕事はとっくに終わっている。
圧倒的な手持ち無沙汰にいっそ面倒ごとでも起こらないかな、などと思いながら本日五度目となる依頼書の確認をしていると、扉がきしみ開く音が聞こえてくる。
仕事の気配に目を輝かせながら急いで手元の依頼書を片付ける。仕事の依頼でも依頼の報告でもしばらく時間がつぶせる。なんなら少し面倒な冒険者の新規登録でも今は大歓迎だ。
しかし入口に視線を向けたイシュペンは”それ”が目に入った瞬間笑顔を浮かべたまま全身が固まる。
まるで闇を切り取ったかのような漆黒のローブを纏い、左手には神々しくも禍々しい杖を携えた姿。顔には笑っているような怒っているような模様の仮面をかぶり、手には武骨なガントレットをはめている。黒いローブは全身を余すことなく包み込み肌は一切見えない。
ヤバイ奴が来た。
一瞥しただけでわかる厄介ごとに、頼むから自分の所には来ないでくれとあまり信じていない神に祈るイシュペンだったが、その男?は辺りを見渡した後視線をこちらに向ける。
依頼書を片付けるんじゃなかったと後悔するも男はまっすぐこちらに向かってきた。
「あのー、ここって冒険者組合であってますか?」
見た目に反して男の声と話の内容は実に平凡だった。
「は、はい。こちらが冒険者組合で間違いありません。どんなご用件でしょうか?」
よかった。どうやら話は通じる相手みたいだと胸を撫で下ろしたイシュペンは改めて目の前の男を観察する。
黒いローブを纏い杖を持った姿は魔術師組合の
そんな男が冒険者組合に何の用だろうか?
単純に考えれば依頼の申し込みだろう。
「えっと、冒険者になりたいんですけど」
予想外の答えだ。
「冒険者の登録ですか。・・それはあなたご自身がという事でよろしいですか?」
「はい、そうです」
面倒ごとでも歓迎とはいったがそれにも限度がある。冒険者の新規登録は受付の中でも一番時間がかかる仕事だ。
―――つまりその分この男に対応しなければならない時間が増えるという意味でもある。
「か、かしこまりました。まずギルドに加入ための必要書類料として五銀貨をいただきますがよろしいでしょうか?」
「え?あ、そうなんですか。あの、これじゃダメ・・でしょうか?」
言いながら男は一枚の金貨をこちらに差し出してくる。
「あの・・これは?」
それは王国で使用されている金貨ではなかった。かといって周辺の国家で使用されている物とも違う。受付嬢として多くの貨幣を見てきたイシュペンをして一度も見たことがない。
「えっと、昔私のいたせ・・国で使われていた金貨です。多分純金でできてると思うんですけど」
「ただいま確認してまいります。こちらに目を通してお待ちください」
冒険者についての要綱書を渡して組合の奥へと向かう。金がない冒険者や依頼主が物品で直接支払いをする事も珍しくないので組合内には簡単な鑑定所が設置されている。
鑑定所へ向かう途中に横目で男を窺うが男はおとなしく書類に目を通している。
◆
「お待たせしました。こちらが書類代及び鑑定代を差し引いた返金となります」
ジャラリと音を立ててカウンターに置かれた硬貨はなかなかの大金であり、中には金貨も混じっている。交金貨二枚程度の重さがあったあの金貨は男の言う通り純金でできており、とても精巧な掘り込みがされたそれは美術品としての価値も高い。しかるべき所で換金すればさらに高値がついただろう。
「では登録の手続きを始めさせていただきます。代筆にしますか? それともご自分でお書きになりますか? 代筆の場合は銅貨五枚をいただきます」
「代筆でお願いします」
男は返金から銅貨を取り出してカウンターに置いた。冒険者を目指すような人間は読み書きができない者も珍しくないが、この男がそうとはとても思えない。先ほどの金貨といいきっと遠くの国から来たのだろうと納得するとインクつぼから羽ペンを取り出し、羊皮紙を広げる。
「ではまずは最初に登録する名前を教えていただけますか?」
「鈴木悟でお願いします」
◆
「終わった・・・」
手続きが終わり男が出て行ったことを確認するとイシュペンはカウンターに突っ伏した。そんなことをすれば同僚から小言を言われるのだが今回ばかりは勘弁してくれてもいいと思う。
先ほどまで疎ましく思っていた暇を堪能していると奥からバタバタと階段を降りる音が聞こえてくる。この足音は組合長であるプルトン・アインザックだ。
さすがに組合長を前にだらしない態度ができるわけがない。大急ぎで身を起こして姿勢を整えると予想どおりアインザックが姿を現したが、なぜかひどく慌てた様子だ。
そんな様子に戸惑っている組合員には目もくれずアインザックはイシュペンにまっすぐ向かってくる。
「スズキサトルという人物の対応をしたのは君で間違いないな?」
「は、はい。そうですけど・・」
「ここではなんだから奥で話そう」
アインザックはイシュペンを引き連れて奥にある応接室を抜けて隣にある組合長の部屋へと向かった。ただ話すだけなら応接室で十分なはずだが、ここまで来るのはよほど重要な話があるのだろう。
入念に戸締りを確認したアインザックは椅子に腰かけるとイシュペンにも座るように促す。アインザックに対面するようにイシュペンが座るとアインザックは重々しく口を開く。
「彼が来てからの事を詳しく話してくれ」
イシュペンが登録までの流れを終えるとアインザックは椅子にもたれながら深くため息を吐いた。どこか疲れた様子だ。
「あの・・私が何か?」
何か不手際があっただろうか。対応を思い返すがなにも思い当たるところは無い。
「いや、君の対応に間違いは無い。まあ途中からでもいいから私に判断を仰いでほしかったが。
―――問題なのは君が対応した人物のほうだ。結論から言うと彼は王国周辺で大きな事を起こすつもりだろう」
「サトル・・様が!?」
確かに一目見ただけで只者ではないと思ったがちゃんと理性的に話ができる男であった。何か問題を起こすようにはイシュペンには思えなかった。
「一から話そうか。まず格好はいかにもな
イシュペンは頷きながらサトルの姿を思い返す。確かに声以外の部分は全く分からずじまいだったが、姿を隠すにしては目立ちすぎではないだろうか。ローブと杖はまだしもガントレットに仮面は怪しんでくれと言っているような物だ。疑問が顔に出ていたのかアインザックが補足する。
「姿を隠すといったがそれはあくまで正体を隠すためであって”スズキサトル”という存在はむしろ目立たせたかったんだろう。―――次に」
言いながらアインザックはテーブルに一枚の金貨を置いた。サトルが支払いに使用した金貨だ。
「この支払に使った金貨だ。一応確認するがこの金貨は周辺の国家で使用されている物とは違い、君にも見覚えは無い。そうだね?」
「はい。ありません」
「それを知りたかったんだろう。この金貨を運用している国。
―――つまり自身が所属している国がこちらで知られているかどうかをね」
その言葉を受けてイシュペンはなるほどと思う。先ほどは金貨自体の価値を鑑定して査定したが、もし金貨について詳しく知っていれば貨幣交換として取引していただろう。
「次に代筆を頼んだ件だが。・・彼は間違いなくこの国の文字について習熟しているだろう」
「え?」
代筆は単に異国の人物であるため王国語がわからなかったからではないのか。
「彼は書類に関して何か質問してきたかね?」
「いえ、特には。質問されたのは依頼の種類や受け方などの基本的な物だけで・・あ!」
金貨を換金する際時横目で見たサトルの様子を思い出す。仮面で表情はわからなかったが、受付嬢として長年接客してきたイシュペンにはわかる。あれは文字を目で追って
「これも筆跡を隠して正体を隠すための手段だろう。ここまでくれば彼の狙いが読めてくる。とても目立つ格好をした
―――ただひとつここエ・ランテルで冒険者登録したという一点以外はね」
「か、彼は組合にすべての罪を擦り付けるつもりだと?」
イシュペンの背中を詰めたい汗が流れる。
「その可能性が高いだろう。もしくは王国自体を揺さぶるためかもしれないがね」
面倒ごとに巻き込まれたとは思っていたがここまでの大事になるとは思ってもみなかった。顔面蒼白になるイシュペンにアインザックは弱々しながら笑いかける。
「さっきも言ったが君に間違いは無い。それにもし登録を断っていたとしても彼がここで冒険者登録しようとしたという噂はすぐに広がるだろう。彼にとって重要なのは”スズキサトル”という存在がエ・ランテルにいたという事実だ。冒険者登録はついでみたいなものだろう」
「で、では私はどうすれば・・」
彼を担当した責任を取らされるのかと思ったがどうやらそれはないようだ。ならばアインザックがここまでの話をイシュペンにした理由は何だろうか。
「何もする必要はない。ただもし事が起こった時には君まで調査が及ぶだろう。その時は断固とした態度で臨んでくれ。”私は組合のルールに則り対応しただけです”とね。責任はすべて私が取ろう。―――これでも代表責任者だからな」
悟さんが冒険者になるかどうかは結構迷ったんですが結局なる事にしました。