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私と『新潮45』

 こんにちは、パオロ・マッツァリーノです。アメリカのトランプは、他人の悪口をいうのを日課にしてるくせに、自分が批判されて議論に負けそうになると「魔女狩りだぁ~」と被害者ぶるのを得意技としています。
 日本では、議論に負けそうな連中が「言論弾圧だぁ~」と泣きごとをいうのが常套手段になってるようです。「沖縄の新聞潰せ」「朝日新聞死ね」などと汚い罵り言葉を吐き出しているのと同じ口から、「新潮45休刊は言論弾圧だ」なんてアカデミックな言葉が突然出てくるんだから驚いちゃいます。ケツの穴からクラシック音楽が聞こえてきたようなもんです。

 いちおう私も以前『新潮45』に連載してましたから、広い意味では関係者のひとりといえます。まったくの部外者よりは有意義な指摘ができるはずなので、この機会に思うところを書かせてもらいます。

 『新潮45』休刊の理由は長年にわたる部数低迷という会社側の説明は、ホンネだと思いますよ。もうずっと、いつやめてもおかしくない状態だったのだから、起こるべくして起こったというだけ。今回の件は西洋のことわざでいうところの、最後の一本のワラだったんです。言論弾圧なんて非難は、的外れもいいところ。

 一方で、新潮を責めるひとたちからは、理由や経緯の検証をせずに休刊したのは無責任だ、みたいな批判も相次いでますが、「説明責任を果たせ」ってのもまた、紋切り型の批判なんですよね。『新潮45』が載せていた杉田水脈さんとその仲間たちの文章は、論にも満たないたわごとです。読むだけでも不愉快なのに、そんなもんの理由や説明をあらためて聞きたいのですか?

 私は2013年から14年にかけて、『新潮45』で連載してました。それを本にまとめたのが『「昔はよかった」病』(新潮新書)です。
 連載終了後、編集部とのつきあいはなくなりましたけど、毎月ずっと『新潮45』は送られてきてたんです。以前はパラパラと拾い読みしてましたが、数年前から『WiLL』の二番煎じみたいな特集ばかりになったことで読む気が失せました。そして2017年の3月号をきっかけに、読まずに捨てるようになりました。
 そのきっかけとなったのが、杉田水脈さんが書いた記事だったんです。どういう人物なのかまったく知らずにたまたま読んで、呆れかえりました。文章・論理・歴史知識、すべてめちゃくちゃで、「論」にすらなってない。
 念入りに下調べをして書いた私の原稿にも疑問点を指摘してくるほど仕事熱心な新潮社の校正者が、杉田さんのデタラメな原稿をスルーするわけがありません。おそらくびっしり赤を入れたはずですが、編集部が無視して掲載したのでしょう。
 根拠と論理があるものを「言論」といいます。根拠と論理があるからこそ、「議論」ができるんです。根拠も論理もない個人の感情論や偏見、悪口は、議論の対象になりません。それこそまさに、なんの生産性もない偏見に反論して論破したところで、こちらが得るものはなにもないのだから、むなしくなるだけ。
 本来ならボツにすべき低レベルな杉田さんの駄文を載せた時点で、私は一足先に『新潮45』に見切りをつけてました。

 以前、『WiLL』がIS(イスラム国)のテロをどう考えてるのか興味を持って、大宅壮一文庫で検索してみたことがあります。ご存じないかたのために説明すると、大宅壮一文庫は、日本の主要な雑誌を収集し、記事見出しをデータベース化し続けている団体です。私も資料調査でよく利用するのですが、そのときはじめて、大宅は『WiLL』を検索の対象に含めてないことに気づきました。『Sapio』『Voice』『正論』といった保守系雑誌は対象にしてるので、大宅が保守の言論を弾圧してるわけじゃありません。たぶん『WiLL』の内容は言論に値しないと判断したのでしょうし、私もその判断は妥当だと思います。『新潮45』は、そのレベルにどんどん近づいてたんです。
 だから今回、新潮社が『新潮45』の休刊を決めたことには、なんの驚きもありません。言論以下の偏見、たわごとを載せるところまでレベルが低下した雑誌に引導を渡すのは、出版社としては当然の対応です。

 まともな議論の対象にできない言論以下のたわごとを何度も載せたという点において、『新潮45』は批判されて当然ですし、同じ理由で編集長は責任を問われるでしょう。
 ただ、今回の一連の報道で、ビックリしたことがありました。『新潮45』をゴリゴリ保守路線に変えた責任者として、多くの論者からやり玉にあげられた編集長ですが、じつは私に連載の執筆依頼をしてきた編集者だったんです。編集部とのつきあいが途絶えてたので、彼が編集長になってたことを私は知りませんでした。
 え、あのひとが? と正直、意外でした。というのは、連載当時、彼がゴリゴリの保守だなんて印象は受けなかったからです。もちろん、直接会って話したことは2回くらいしかないので、人柄や政治信条まではわかりませんよ。でもゴリゴリ保守の編集者だったら、私なんかに原稿を依頼してこないんじゃないの?
 しかも私は毎回、過去の日本人のダメッぷりを嗤い、保守が美化した歴史観を覆す事実をつきつけてたけど、連載中、原稿内容の修正を迫られたおぼえはありません。
 なので、編集長がゴリゴリの保守だとする批判が正しいのか、私には判断がつきません。もともとゴリゴリ保守だったのかもしれないし、最近そうなったのかもしれない。あるいは部数を上げるため、ビジネス保守に徹していたのかもしれません。実際会ったことのある私にも本当のところはわからないのだから、部外者が決めつけで責めるのは乱暴でしょう。

 さらにいえば、新潮社はゴリゴリの保守だ、みたいに、メディアに右か左かレッテル貼って決めつけて、さもわかったようなつもりになってるひとが多いことにも幻滅してます。レッテル貼りは便利ですよ。思考力や読解力がないひとでも手軽に相手を断罪できるんだから。
 もちろん、メディアごとにおおまかな政治的方向性みたいのがあることは否定しません。でもそれはトップが決めたことであり、従う社員もいるでしょうけど、意見を異にする社員もいて当然です。
 実際、今回の件でも新潮社の内部から批判の声があがったことで、新潮社の社員が全員ゴリゴリ保守ではないとわかったでしょ。
 朝日の社員が全員左翼なんてこともありえないし、産経や読売にもリベラルな社員は必ずいるはずです。
 書籍の出版社って意外と節操がないんで、同じ出版社が保守っぽい本もリベラルっぽい本も出してるのが普通ですよ。むしろ、どちらかにガチガチに偏ってる出版社のほうが特殊なんじゃないですか。世間のひとたちがメディアに貼ってるレッテルは、じつはあまりあてにならないと思ったほうがいいです。
[ 2018/10/01 21:42 ] 未分類 | TB(-) | CM(-)
プロフィール

Author:パオロ・マッツァリーノ
イタリア生まれの日本文化史研究家、戯作者。公式プロフィールにはイタリアン大学日本文化研究科卒とあるが、大学自体の存在が未確認。父は九州男児で国際スパイ(もしくは某ハンバーガーチェーンの店舗清掃員)、母はナポリの花売り娘、弟はフィレンツェ在住の家具職人のはずだが、本人はイタリア語で話しかけられるとなぜか聞こえないふりをするらしい。ジャズと立ち食いそばが好き。

パオロの著作
歴史の「普通」ってなんですか?

世間を渡る読書術

会社苦いかしょっぱいか

みんなの道徳解体新書

日本人のための怒りかた講座

エラい人にはウソがある

昔はよかった病

日本文化史

偽善のすすめ

13歳からの反社会学(文庫)

ザ・世のなか力

怒る!日本文化論

日本列島プチ改造論(文庫)

パオロ・マッツァリーノの日本史漫談

コドモダマシ(文庫)

13歳からの反社会学

続・反社会学講座(文庫)

日本列島プチ改造論

コドモダマシ

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つっこみ力

反社会学の不埒な研究報告