元をたどれば、終戦直後の連合国軍総司令部(GHQ)までさかのぼる。「マッカーサー道路」の異名を持つ東京・環状2号線。そのうち、豊洲-築地間の約2・8キロが4日、暫定開通した

▼なぜ「暫定」が付くのか。本来は築地市場の跡地に地下トンネルを掘り、片側2車線の予定だった。ところが小池百合子都知事の判断で市場移転が遅れ、やむなく市場を迂回して片側1車線を急場しのぎで整えた

▼実際に歩いてみると、迂回した影響で、築地側出口の信号では車が詰まっていた。輸送量は格段に落ちる。環2は東京五輪の期間中、選手村と新国立競技場を結ぶ大動脈として期待されていたが、もくろみが外れた。環2に限らず、深刻な交通渋滞の解決は焦眉の急だ

▼事前の話と違うという脈絡で言えば、五輪経費もそう。当初1兆3500億円を見込んでいたが、つい最近、会計検査院の調べで3兆円に膨らむ可能性があると報じられた

▼たしか、大会招致に乗り出した政府が掲げたスローガンは「コンパクト五輪」だったはず。競技施設の配置を集約し、移動がスムーズで、なおかつ既存施設を活用して財政負担を抑える。そんな理念は遠のきつつある

▼計画が次第にほころび、国は弥縫策(びほうさく)に追われ、そのツケは人々が被る。ついには担当大臣の資質にまで、けちがついてきた。(西江昭吾)